16.あの日と同じ場所


 火曜日の昼休み。僕は梨香さんの教室を訪ね、一緒に昼食をとらないか誘った。


「ごめん根岸くん、今日はこれから茶道部の準備があるの」

「そうでしたか。突然押しかけてごめんなさい」


 僕につづいて、梨香さんを訪ねる生徒が現れる。

 泉だった。


「僕が対応するから部室へ行って下さい」

「ううん。用件があるなら一緒に聞かなきゃ。会長だもん」


 そうは言うものの、彼女の足は震えている。

 無理をすべきじゃない、ここは僕に任せてと意見するも彼女は頑なに拒んだ。


「頼りっぱなしだとまた根岸くんに怪我をさせるかもしれない。そんなの絶対にいや」

「梨香さんこそ体調を崩せば茶道部の人たちに迷惑をかけますよ? それに、あの人に暴力を振るわれるほどやわじゃありません」


 そこへ見慣れない女子のグループが現れた。彼女たちも茶道部らしく、これから部室に向かうところだという。


「九条さんも今から部室に行きますよね?」

「ええっと――」

「――はい。九条さんは皆さんを待っていたみたいですよ」


 僕は梨香さんの背中を押した。


「それじゃ急ぎましょう。顧問が待っていましたよ?」

「え、でも……」


 梨香さんは茶道部に囲まれて部室棟へと歩いていった。

 それに目もくれず、微笑みすら浮かべて、泉が僕に立ちはだかった。


「まさか昨日の冗談を真に受けたの? そんな面倒くさいことしないから安心して。桑原だって‘今’はいないし」


 僕は拳を握りしめる。

 自分は健全な間合いを保ちつつ他人を仕向けるとは卑怯な人だ。


「そもそも私、あなたに用事があって来たの」

「奇遇ですね。僕も請求書の件でお願いしたいことがあったんです」


 泉から今日の放課後に時間をとれるかと訊かれた。

 早めに決着をつけようと思ってはいたが、向こうからくるとは予想外だった。


「どこで話そうか? 部室だと外野がうるさいし、生徒会室だと風が吹き込んで寒そうね」

「あははっ、痛いこと言いますねぇ……」


 右手で頭を掻きつつ、内心でガッツポーズする。

 泉から部室を避けてくれたのは助かった。交渉は相手のテリトリーでは不利になるし、桑原が謹慎中とはいえ他の部員から横槍が入るだろう。生徒会室も梨香たちがいるから得策ではない。僕の交渉方法はできるだけ秘密にしておきたいからだ。

 お互いの縄張りを除いて、学校で二人きりでゆっくりと会話のできる場所といえば――

 やはり、あそこしかないだろう。


「わかったわ。ホームルームが終わったら行くから待っていてね」

「はい。お手柔らかにお願いします」


 互いに愛想笑いを浮かべるものの、目は笑っていない。

 しかし、困ったな。

 今日の放課後では間に合わないかもしれない。

 僕は教室に戻ると、隅にいた佐野の隣に腰かけた。


「会長とのランチはよかったのか? 安心しろ、もう転送しておいたぞ」


 こっそりスマホを起動してみるとURLが送られていた。

 泉に対抗するため、僕は佐野にある依頼をしたのだ。

 時間はかかると思っていたけど、職人(プロ)の仕事の早さには驚かされる。


「あくまで可能性が高いだけだ。無難な文章しかなかったから、完全な特定はできなかったよ」

「でも、どうやって調べたの?」

「ツイートしている時間帯とフォロワーを調べて候補を絞った。高校生(おれたち)が平日で使えるのは放課後から夜にかけてだからな。それと、フォロワーのなかにはプロフィールに住んでいる地域を記載する人もいるからそれも判断材料になる」


 なるほどと、唸らされる。

 これで本アカと共有しているか、グーグルマップと照合できる画像を投稿しようものなら特定率は更に上がるという。


「お前がこんな手段に頼るとはな。っていうか、怪我させられたならさっさと救急車を呼べよ」

「ありがとう。えっ、なに、どうしたんだ?」


 ずいっと、佐野が顔を近づけ、報酬のことは本当なのかと訊かれた。


「それならいい。これで建学祭の当日が楽しみだ」


 なんだい。僕が心配で協力したわけじゃないのか。

 でも、佐野のおかげで武器が増えたことは事実だった。


 放課後になり、屋上へ向かった。

 扉を開けると、夕日が一人たたずむ泉を照らしていた。


「ここなら邪魔は入らないわ。できるのかできないのか、それとも払うつもりがないのか、前置きはいいから本音で話してくれないかしら?」

「そんなことより泉さん、今日はアルバイトのシフトはないんですか?」

「あら。いったい何の話?」

「このアカウント、あなたですよね?」


 僕はURL先のプロフィール画面を見せた。



 アカウント名……IZU

 プロフィール……北陸住み。フォロパしません

 最新のツイート……もうこのアルバイト無理。暑くて卒倒する。っていうか変な客ばっかり。いい歳して順番も守れないのかよ



 泉はわずかに目を開いた。


「そういうのを調べるのって犯罪じゃないの?」

「公開された情報を集めるのは違法じゃないし、そこから推測するのも自由だ。それが嫌なら鍵をかけておくんだね」


 僕は佐野にアカウントの特定を依頼していたのだ。

 本当に泉が『パパ活』を行っていればSNS上に裏アカがあり、それを特定できれば交渉を優位に持ち込めると思ったのだ。


 結果としてその事実はなかったが、彼女らしきアカウントには愚痴がのっていた。

 無許可のアルバイトは退学処分だ。それをちらつかせて気勢を削げればと考えたが、動揺してボロを出すような彼女ではなかった。


「そのアカウントが私のだとしても、内容が事実とは限らないわよね? 私生活の充実をアピールする為に嘘の投稿をすることもあるでしょ?」


 そう言われては手も足も出ない。


「ごもっともですね」と、僕は懐に手を伸ばした。


 プランBに移行しようとした瞬間、背中に鋭い痛みが走った。

 実母との誓いに背こうとしたからだろう。

 実母は指導時に必ず背後に立ち、間違いを犯せば布団叩きを振り下ろした。

 ご飯を抜きにされたり、真冬に外へ放り出されこともあったけど、いつ殴られるかわからない恐怖こそが一番の苦痛だった。


 このトラウマを克服できてさえいれば、梨香さんを傷付けることもなかっただろう。

 こんなにもはやく親密になれると思わなくて油断した僕の責任だ。


 だからこそ、このトラブルは僕が解決しなくちゃいけない。

 梨香さんの悲しむ顔なんて、もう見たくない。

 彼女に笑顔でいてもらう為なら、どんなことでもする覚悟だった。



「――ねぇ。さっきから聞いてんの? こっちはさっさと返事がほしいんだけど?」


 泉が詰め寄り、僕を睨み上げる。フェンスから差し込んだ夕日が、静寂の蟠る屋上に長い長い影を落とした。

 ふと。泉の横顔に影がはりつくのを見下ろしながら、場違いなことを思い出していた。


『今日の放課後、生徒会室に来ていただけないでしょうか?』

『お願い根岸くん、アレを私に譲ってよぉぉ! なんでもするからぁぁ!』


 廊下で会長に呼び止められ、そして屋上で梨香さんに出会ったことを。

 それがなければ生徒会役員になって軽音部と衝突することも、実母との誓いを破ろうともしなかっただろう。

 そしてなにより、梨香さんのことを好きになることも。


 こんなことになるなんて、誰が想像できただろう。

 話はそう。

 すべてあの日から始まったんだ。

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