02.生徒会長の正体……
僕は生徒会長の九条梨香さんに呼び止められた。
「突然ごめんなさい。根岸くんに用があってうかがいましたの」
「僕に、なんの用ですひゃ?」
驚きのあまり舌を噛んでしまったのが情けないけど、相手が校内で一二を争う美女となればしかたない。
おまけにこんな間近で艶やかな長髪をはらう仕草をされ、涼やかな瞳で見つめられては、手のひらが汗まみれになるのも当然だろう。
「あの……、できれば二人きりでお話ししたいので、今日の放課後に生徒会室へ来ていただきたいのですが、お時間はありますか?」
「だ、大丈夫です……」
頬を赤らめて言葉をつづける姿にドキッとしてしまう。
僕だけでなく、周囲にいた生徒も足を止めており、だんだんと廊下が騒がしくなっていた。
「あ、生徒会長さんだ」「なんか様子がおかしくないか?」「隣の男子だれ?」「アイツに用事だって」「まさか告白か?」「はぁ、ただの勧誘でしょ?」「だよね、あの二人じゃ月とスッポンだし」「ちょ、スッポンに失礼だよ!」
容赦のない嘲笑に心が傷つく。なんだい。僕が爬虫類以下の男だっていうのか。遠くからみれば中の中ぐらいの容姿はあるはずだぞ。たぶん。
「では、放課後お待ちしておりますね? ごきげんよう、根岸くん」と、彼女はみずみずしい唇をほころばせて去っていく。
僕になんの話だろう?
廊下にぽつんと残った僕は、彼女の用事とやらを考えていた。
告白という単語が頭をよぎるが、今まで接点のなかった相手に好意なんて抱かないだろう。そもそもあの人と僕とでは住む世界が違う。同学年とはいえ、人気者の生徒会長とモブの生徒だぞ。まさに月とスッポンだ。あれ? さっき誰かに同じことを言われた気がする……。
とにかく落ち着こう。
きっとなにかの伝達事項に違いない。
僕は自分の教室へ向かうと席につき、浮き足立たないよう普段通り過ごすことを心がける。
幸いなことに、あの現場を目撃したクラスメートはいないらしい。僕は胸を撫で下ろし、鞄からお茶を取り出して喉を潤そうとした。
「おいネギ、さっき生徒会長から愛の告白を受けたのか?」
「ぶぇ、ごほっごほっ!」
背後から佐野渡に囁かれ、吹き出したお茶が前席にいるグループにかかってしまった。
「なにすんだ根岸、汚ねぇだろうが!」
「すみません、すぐにお拭きいたしますので!」
ぺこぺこ頭を下げてどうにか許してもらう。よりにもよって野球部一軍メンバーたちだ。陽キャの権化みたいな人たちに目をつけられたら下位カーストの学校生活なんてお終いだぞ。
僕は席を立ち、背後の佐野を教室の隅に押し込んだ。
「まったく、朝からリア充さんたちに処刑されるところだったじゃないか!」
「そうか? ノーマルキャラでも限界覚醒すればSSRに勝てるぞ?」
誰がレアリティ最下位だと、僕は眼鏡を光らせてソシャゲの育成システムを語る佐野を睨んだ。
彼は中学からの友だちだ。最高にむかつくときもあるけど、根はいい奴だ。たぶん。
「今日の放課後が楽しみだな。早めに部活を切り上げて覗きに行こうかな」
「怪しいことを考えないでくれ! ただえさえあの人に呼び出されて緊張しているのに!」
「じょ、冗談だよ。そんな怒ることないだろう。まぁ、立ち会えないのなら校内の監視カメラをハッキングして部員皆で見学させてもらうか……」
「こら、ボソッと変なことを言ったろ? 本当にやったら犯罪だぞ?」
彼はパソコン部だが、部活そっちのけでハッキングやらアカウントの特定等々、怪しげな技術ばかりを研究している。共犯者にみなされるよう距離をとると、先生が教室にやってきて授業が始まった。
休み時間や昼食中も普段通り過ごすことを心がけ、やがてホームルームが終わり放課後になった。だんだんと教室から人が減り、校庭では運動部のかけ声が響き、部活棟からは吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。
鞄に荷物をつめこんでいると案の定、佐野がやって来た。
「はやく生徒会室へ行けよ。どうせ暇なんだろ?」
「嫌味な言い方だな。たしかに今日はなんの予定もなかったと思うけど……」
僕が帰宅部なのは凛のお迎えに行くこともあるからなのだが、今日は母さんが早めに仕事が終わるので本当にすることがなかった。
教室に残っているのが僕らだけなのを確認すると、佐野は堰を切ったように喋った。
「それで、告白はどうするつもりなんだ?」
「いや、まだそうと決まったわけじゃないし」
「おいおい、それ以外になにがある? 一生徒に伝達なんてあるわけないだろ。今のうちに返答を決めておかないと会長に失礼だぞ」
「そ、そうかもしれないな……」
悪友にも一理ある。もしも『根岸くんのことが好きです!』と、潤んだ瞳を向けられたら、どうすればいいのか?
『お願いです、私と付き合って下さい!』と言われて、手を握られたりでもしたら……。
ハグ、しちゃってもいいのかな……?
……いや、こんなことはありえない! ダメだダメだ、変なことを考えるな!
僕は妄想を払拭し、ゆっくりと息を整えた。
「大丈夫。告白だったとしても断るよ。あの人と僕じゃ釣り合わないもん」
「は、それ本気で言っているのか? なんて悲観的なやつ……」
「えつ? まさか応援してくれているの?」
「なんで意外そうな顔してんだよ。とにかく、ドキドキイベントが終わったら報告しろよ。俺はこれから部活なんだから」
「わ、わかったよ。連絡する……」
僕は佐野と別れた。
生徒会室は職員室や理事長室のある棟の三階に位置している。広さは普通教室の半分程。ドア窓が磨りガラスなので、廊下からでは会長が在室しているかは見えない。
ノックをすると「どうぞーっ」と女子の声が返ってきた。
ドアを開けると部屋の中央に長机が配置され、二人の女子がそこに置かれたノートパソコンの前に座っていた。
「すみません、九条会長に用事があったのですが、もうすぐお見えになりますか?」
僕の問いかけに、彼女たちが同時に振り返った。
「会長ならしばらく来ないと思いますよ」
「そうそう。単独任務に時間がかかっているようです」
返事をしたのは、ふわふわした栗色の髪にあどけない顔をした女子生徒だ。
彼女たちは立花姉妹だ。
その可愛らしい外見と、合わせ鏡のような立ち姿から新入生にして一時期校内の話題になっていた双子だ。僕も噂を耳にしたことはあったけど、生徒会役員になっていることは知らなかった。
こうして本物に出会うと本当に瓜二つだった。
たしか姉が鈴音(りおん)で、妹が美音(みおん)だったはず。
ヘアピンクロスを右にしているのが鈴音で、左が美音だったかな。
あれ、右が美音で左が鈴音かな? っていうか、姉が美音で妹が鈴音じゃなかったか?
ああ、もう。どっちがどっちかわかんない。天台宗とか臨済宗の開祖を答える試験問題みたいだ。
頭を抱える僕に、二人が同じ角度で首を傾げた。
「どうしてそんな難しい顔をしているんですか?」
「っていうか、会長になんのご用です?」
「ええっと、なんて説明すればいいかな……」
「あっ! もしかして入会希望ですか?」
「それなら大歓迎! 建学祭で兵員不足だったのだ! I want you!」
「え、建学祭?」
そう言われればそうだ。五月末に学校の創立を祝う校内行事がある。部屋のホワイトボードにも日程表が貼られ、彼女たちが向き合うパソコンも建学祭用の資料が映っていた。
「さっそくお仕事をお願いします! この予算案を作って下さい!」
「理事長に提出する書面だ、不手際があったらセクハラされるから気合いをいれるように!」
「あの、ちょっと待って……!」
背中を押されてパソコンに座らされる。入会希望ではないのだが二人は聞く耳をもってくれず、先輩なのだから予算もわかるだろうとさえ言われてしまう。
「無理だよ、普通の生徒に予算の配分なんてわかりっこないよ」
「もう、敬語を使って下さい! 生徒会役員になったのは私たちが先なんですから! ねぇ美音?」
「鈴音の言う通りだ! 我々が上官で、貴様は二等兵にすぎん!」
「は、はいすみません!」
叱られながら画面に向き直ると、ある数字が目に止まって僕は唖然とした。
「え……! ちょっと待って、この金額どういうことですか?」
エクセルには予算総額が五十万円と記されている。この金額は理事長によって決定されていたらしく、二人はその配分先を入力していたのだ。
「二人ともこんな金額を任されていたんですか?」
「え、ええ。まぁ……」
「うむ……。正直、苦戦中なのだ……」
萎縮する二人に僕はじっとしていられなくなった。
「とりあえずできましたよ」
「「ええっ、もう?」」
ぐっと両隣から姉妹が覗きこんできたので、カーソルを操りながら説明した。
「恒例行事なら過去のデータがあるはずなので困ったときはファイル検索してみましょう。今年は総額が減っているから、固定費以外の経費を均等に下げました。残った予算は催し物のある各部で分けることになりますが、それは部長たちと話し合って決めることになるでしょう」
「「なるほど~~」」と、二人が同時に手を打ち、僕の頭を撫でてくれた。
「お見事です!」
「うむ、上等兵に昇格!」
笑顔を浮かべる双子に僕は胸を撫で下ろしたが、こんな大金の采配をどうして新入生に任されていたのかが気になった。
聞くところによると生徒会役員は四人しかおらず、人手不足の為会計をやらざるを得なかったというのだ。
「そうだったんですか。でも、難しい仕事は誰かに付き添ってもらったほうがいいですよ?」
「本当は私たちだって頼りたいんです。でも、先輩たちも忙しいみたいで」
「九条会長も今、理事長と接敵中のはずだ」
「接敵って、戦っているわけじゃないんですから……」
「だって会長、理事長のこと嫌いみたいだし。まぁ、それは私たちも同じですけど」
「女子高生にセクハラしたいが為に理事長になったほどの変態らしいな」
「あはは……。まさか新入生にすら知られているとは、やっぱり有名なんだね」
「もう、笑い事じゃありませんよ!」
「男子は標的にならないから、そうやって笑っていられるんだろう!」
「うわっ、すみません、ちょ、ちょっと、やめて下さいよぉ!」
キシャーっと、二人揃って僕の制服の袖で爪研ぎしてくる。まるでストレスを発散する猫のようだ。
ネズミのごとく逃げ回っていると廊下から足音が聞こえ、九条会長が駆け込んできた。
「ごめんなさい根岸くん、私が呼んでおきながらお待たせしてしまって!」
「いえ、こちらこそお忙しいのに急かしてしまってすみません」
会長の言葉に、姉妹がきょとんとした顔になる。
「この人は会長が呼んだんですか?」
「てっきり入会希望者だと思って予算案を作ってもらったのですが……」
「え、根岸くんが作成してくれたんですか?」
僕は曖昧に頷いた。打ち込んだデータをプリントすると、それを見た会長が目を見開いた。
「すごい、このまま理事長のところへ持っていけます、根岸くんありがとう!」
「ええ、どういたしまして……」
お金に関する業務は先輩が監修すべきと意見したかったけれど、このまぶしい笑顔になにも言えなくなる。彼女だって他の仕事で忙しいだろうし、そもそも部外者が口出しできることじゃないだろう。
「あの、根岸くん。一緒に屋上まで来ていただけませんか?」
ぐいぐいと袖を引っ張られながら「二人きりでお話ししたいんです」と囁かれた。
聞き間違いかと思って確認すると、彼女はこくんと頷くのだった。
――あれ?
予算案が完成したことで今日の活動は終了となったらしく、立花姉妹は鞄に荷物をまとめていた。
「それじゃ会長、お先に失礼します」
「一七〇〇、状況終了。これより撤収します」
彼女たちが下校し、生徒会室は僕らだけとなった。
伝達事項ならここでもいいはずだが、それでも会長は屋上に行きたいらしい。疑問が膨らむと同時に、彼女の頷き方に既視感を抱かされる。横髪を押さえて上品に腰を折る姿をどこかで見たような気がするのだ。
「根岸くん、どうかしましたか?」
「いえ、なんでもありません。きっと、気のせいだと思います……」
僕らは屋上に出た。ここには給水塔があるだけで、他にはなにもなく、誰の姿もなかった。
五月になって温かくなったとはいえ、日が落ちるのはまだ早い。
茜色の空は西へ追いやられ、遠方の建物は長い影を伸ばしている。
不意にショッピングモールが見え、僕はクイズ大会のことを思い出していた。
『あっ! もしかしたらあの人、遥兄ぃのお友だちだったりして?』
凛の言葉が頭をよぎり、既視感の正体に気付いてはっとなる。
会長の頷き方は会場にいた女性と同じだ。
それに体格も似ている。まさか、あの人と会長が同一人物なのか?
いや、そんなわけがないだろう。
だってそうじゃないか。
九条会長が、あんなガチ勢のわけが――
「『私ってば疲れているのかな』も正解でいいと思うんだけどなぁ」
「え?」
背後で力強く扉が閉められると、鍵のかかる無慈悲な音が響くのだった。
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