9話 黄土色はダンボール、地面の色

「ひどい」

「ぼくの昼休みに仕上げて、やっと完成していたのに」


 色が抜け落ちた応援ボードを前に陸上部の人たちは泣いていた。ひどい、みんなが一生けん命作ったのに、十人分の色を全部食い荒らすなんて。


「とにかく落ちた色の箇所はもう一度ぬりなおしましょう。自分がぬった色を思い出して」

「無理だよ。今からじゃ間に合わない」

「私のダンボールの色が見えないようにいっぱい白でぬったのに」

「誰だよこんなことしたやつは!」


 灰原先輩は直そうとみんなをうながすけど、目の前のショックに立ち直れずにいる。昨日までのてきぱきと統率が取れた部員たちの姿が見る影もない。けど完成した作品が急に一からやり直ししないとなんて、きっとみんな手につかない。

 私のポスターが色虫に食われた時も、手に力が入らなかったし。


「白居先輩、ここの文字何色をぬっていたか覚えてる」

「えっと。ここは黒を少なめにした赤を」

「わかんないよ。どの色? 茶色? こげ茶?」


 しまった。みんながぬっていた色は、私が独自で配合した色をつくって渡していたから、自分で再現するのができないんだった。市販の近い色で代用はできるけど、同じ色にはならないだろうし。

 やっぱり色虫を退治して、色を取り戻さないと。


「灰原先輩、ぬりなおしできる子を優先して直してください。私ちょっと探してきます」

「待って白居さん。探し物っていったいどこへ」


 パレットと絵筆を下げて教室を出ると、まずは携帯を取り出して色部先輩が昨日教えてくれたチャットを開いた。チャットはお店のようなつくりで、お悩みに対してタップすると専用のチャットが開く仕組みだ。


『レインボー工房:色虫、色彩欠損受付です。どうなさいましたか

 色虫が発生しました。場所は彩星小学校一階の空き教室』


 これで色部先輩に連絡が行くはず。あとは色虫が今いる場所だけど。たしか昼休み仕上げた子がいたから、吸われたのはお昼休み以降から放課後の間。Gみたいな動きをする色虫だけど、羽を使って飛ぶわけでもないし、Gのようにすばしっこいわけでもないからまだ空き教室の周辺にいるかも。


 傘立て、壁際、ろうか、そして窓の周辺。う~んここにもいない。あと色虫が集まりそうなところと言えば、鮮やかな色があるところに集まりやすいだっけ。けどこの校舎の中にそんなきれいな色がある場所なんて。美術室はここから反対側の棟にあるし。

 ……あっ、あった。近くに絵具の色があるところ。足早に私のポスターがはられている掲示板にまで階段を駆け下りる。


 やっぱりいた!

 掲示板に黄色、赤、橙の色をした色虫たちが私のポスターの前に集まっていた。ポスターはガラスに守られていたから、色虫にたかられずに済んでいた。この前のよりちょっと大きいけど、きっとこいつらがみんなの応援ボードの色を吸ったんだ。

 ……よしっ。


 パレットを開き、赤、黄、青の三色の絵の具を落として絵筆を手に持つ。色虫は背中の色彩が鈍くなれば動きが鈍くなる。先輩は黒だけを使っていたけど、色には補色っていうその色と反対になる色がある。例えば青なら黄色が補色になり、それを混ぜれば黒に近い色になる。黒や白はグラデーションという色の明るさを変える。けど色によって鈍い色になりにくいものもあるから、補色を利用するのが一番いい。


 まず目の前にいる赤色の色虫、これには緑が補色になる。手持ちには緑はないけど、青と黄色を同じ分量で混ぜれば、完成。


 あとはこれを背中の羽の部分にぬれば。でも絵筆に虫をぬるのは抵抗あるなぁ。……ううん、みんなの色を取り戻すため。先輩が到着するまでの足止めくらいなら。


「ええいっ!!」


 赤の色虫の背中に緑をぬりつけた。

 よしこれで動かなく……あれ?


 緑をぬりつけた色虫の背中は黒に変色せず、それどころか色虫が羽を広げて羽ばたかせるとぬった色を振動でふるい落とした。

 うっそ!? なんで効いてないの!? 先輩と同じようにぬったのに、混ざり合わない。せっかく筆一本犠牲にしたのに!

 すると色虫の一匹が私に気が付き、体をこちらに向けると口からオレンジの粉末のようなものを吹き付けてきた。


 なに!?

 飛んできた粉末を避けると、それがろうかに散らばった。


「オレンジ色のスプレー?」


 触ってみると、かすかに絵具の匂いがする。この間の色虫はこんな行動しなかったのに。もしかして、これが色虫の成虫!

 ほかの赤や黄色の色虫がわたしに気が付き、オレンジの色虫と同じく口をぐちゃぐちゃ動かし始めた。


 逃げないと。


「ブシャー!」


 またオレンジの粉末が飛んで、体の脇にそれて、後ろに置いていた絵の具セットが全部オレンジに染まってしまった。


 飛距離も範囲も広い。どうしよう逃げられない。じわじわと迫ってくる色虫にいつのまにか追い詰められていた。

 そして赤と黄色の色虫の口から粉末が吹き出した。



 ……あれ何も来ない。つむっていた目を開けるとそこには黒髪の男の子の後ろ姿があった。


「白居さん無事」


 大きな盾、いや巨大なバケツを手にした先輩が私を守ってくれた。


「何があった」

「上の階で作っていた応援ボードの絵の具を色虫が吸ってしまったんです。足止めするために色虫の羽を黒色にしようとしたんですけど、色が混ざらないんです」

「色虫の背中の羽は普通の絵の具ではくっつかない。うちの一族の絵筆と絵の具でないと」


 そ、そんな。だったら普通の人だと色虫は倒せないってこと。

 巨大なバケツにはばまれた色虫たちは一斉に粉末を吹きかけて、バケツ倒そうする。バケツは倒れることはないけど、バケツのわきから飛び散る粉末が当たりそうで怖い。


「気を付けて、その粉末が目に入ったら失明するよ」


 粉末がかかってないに思わず顔を手で覆った。汚れると思って避けていたけど、一歩間違えたら大変なことになってたかも。もし目に入っていたらと考えると……どうしよう急に足に力が入らなくなってきた。


「白居さん、左の虫には何が効く?」

「え?」

「おれの黒一色より有効な手立てがあるんだろ」

「はい。左のには緑を。右にいるのは青と紫をぬってください。それで黒色に変色します」

「わかった」


 私が指定した緑、青、紫の絵の具をパレットに落とす同時に、穂先が平たいフラット筆を取り出した。


「バケツをいったん消すから、伏せてて。一瞬で終わらせる」

「は、はい」


 先輩の指示に従い、体を縮こまらせて伏せる。そのタイミングで盾となっていたバケツが消える。


「去れ、世界をむしばむ虫ども」


 色部先輩が足を出すと、左にいた赤の色虫にあっという間に接近して背中に緑色をぬりつける。私の時には何も変化がなかった色虫の背中の赤色が緑と混ざり始めて黒く鈍りだし、ひっくり返ってしまった。倒れた赤の色虫は倒さず、筆を入れ替えずに青の絵の具をつけると、黄色とオレンジの色虫に筆を向ける。

 筆を向けられた色虫たちは抵抗しようと、オレンジ黄色の粉末を先輩に吹きかける。


「消えろ」


 先輩は早かった。右往左往としていた私と違い、粉末が飛んでくる位置を予測していたように全部避けていた。そしてオレンジの色虫に青を、黄色の色虫には紫をべったりとぬり、ひっくり返した。

 最後はこの前と同じく筆の持ち手の部分で三匹を一掃してしまった。

 覆っていた指の間からのぞいていた私は、カッコイイと思うより思い上がっていたと痛感させられた。


 色虫たちが全部駆除されたのを確認すると、力が抜けてしまいその場にへたり込んでしまった。


「色虫の成虫がこんなにやっかいなんて」

「いやあれはまだ幼虫。脱皮して少し大きくなっただけの虫だ。色虫は色を吸収すると成長して新しい器官を身につけて生息範囲を広げたり、敵対する生物への反撃能力を身につけるんだ」


 ……だめだ。やっぱり私だめだよ。

 先輩のおかげで応援ボードの色が戻ったのはよかったけど、ぜんぜん色虫のこと知らなくて、色部先輩に迷惑かけちゃったなぁ。足止めすらできなかった。お手伝いするなんて言えたことじゃない。


「終わったよ。白居さんが連絡を入れてくれたおかげで助かった」

「いえ、私はぜんぜんなにもできなかったです」

「そんなことはない。白居さんが色を教えてくれてくれたからすぐに退治できたんだ」

「それでも、私は足手まといになるだけでした。先輩ありがとうございました」


 今後色虫を見つけたら先輩に連絡するだけにしよう。先輩の足手まといになるよりは。

 そろそろ陸上部のみんなのところに戻ろう。色虫を倒したから応援ボードが戻っているはずだろうし。


「みう! 何やってんのさ」


 昇降口の上から聞き覚えのある声が降ってきた。

 階段の踊り場に顔を真っ赤にしている茜ちゃんがいた。もしかして、さっきの見られた。


「あ、あのねこれは」

「説明より早く戻らないと。急にいなくなってみんなボードにどの色ぬればいいかわかんなくなってんだよ!」

「だからね、それをなんとかするために……なんで茜ちゃんがそれ知ってるの」

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