蛙鳴未明

 ぞっとした体験、ですか。う~ん……あ、思いつきましたよ。学生をやってた頃、アパートに妙な荷物が届いたんです。一メートル四方くらいの箱ですよ。全部の辺にテープが張られてて、厳重に梱包されてる。送り状には私の名前と住所だけが書かれてて、中身も送り主も分からない。仕送りも買い物も覚えがない。まあ若い頃ですからね。妙なものを見るとたちまち好奇心がむくむくと起き上がってくる。開けて何が入ってるか見てやろうじゃないかと決めました。


 やけに軽いなあ、なんて思いながらリビングに運び込みましてね。ハサミで御開帳ですよ。何が入ってたと思います? ふふ……空ですよ。まったく何も入ってなかったんです。アリ一匹通さないような封がされてたのに、ですよ。私も冗談だろ、と思ってね。箱の隅々まで指を走らせてみたんですが、ほこりの一つも引っかからない。なんだか気味悪くなりましてね。その箱、すぐたたんでゴミに出してしまいました。普段は二、三週間は寝かせるんですがね。


 それからどうも、ちょっとずつ生活がうまくいかなくなりました。寝覚めの良さが自慢だった私が、目覚ましの通りに起きられない。大学の課題を忘れる。アルバイトで小さなミスを繰り返す……一週間後にはとうとう当時付き合ってた彼女とのデートをすっぽかしてしまいましてね。怒り狂った彼女に家まで押し掛けられてしまいました。

 インターホンが狂ったように鳴った時はこの世の終わりが来た、と思いましたよ。こわごわドアを開けるともう一気に乗り込まれましてね。横綱ばりの気迫でぐいぐいリビングまで押し込まれました。けれどそこで彼女はぴたっ、と足を止めましてね。さっきまでの剣幕がウソのように青い顔をして、戸口からリビングの中をこう、ぐるっと見回すわけです。どうかしたの、と聞いてみると彼女にいきなり手を掴まれてぐい、と廊下に引きずり出される。リビングの扉を閉めて、声を潜めて言うんです、彼女。この部屋やばい。今すぐお祓い呼んで、って。


 ええすぐに呼びました。そりゃそうしますよ。彼女の霊感と言うか第六感というか、そういうものが強いのは長い付き合いで知ってました。それがまあこんなに目を見開いて、冷汗かきながら言うんですよ? 尋常じゃない。霊能者さんはすぐ来てくれました。彼女から話を聞いた後、最近何か変なものが届かなかったか、と聞かれたんで空き箱の話をしたら、厳しい顔をしてリビングに入っていきました。

 お祓いが終わったのは日付が変わる頃でした。リビングから出てきた霊能者さんは見るからに憔悴しきってましてね。ぼそぼそと言われました。


 悪いのがうじゃうじゃ飛び回ってたよ。あんなの一度も見たことない。あんた彼女さんに感謝しなよ。三日遅れてたら死んでたよ。


 いやあ、あの時はぞっとしましたね。まあその後、目ん玉飛び出るような額請求されてもっとぞっとしましたがね。はっはっは。


 ……その後似たような荷物は届かなかったのか、ですって? 届きましたよ、何度もね。送り主も中身も分からない荷物。重いもの、軽いもの、サイズの違うもの、色々届きましたが、さすがにあれから開けてません。さながらパンドラの箱ですね。いつか送ったやつを突き止めて一気に送り返してやろう、と思ってるんですが、いやあなかなか見つかりませんね。え?  そうです。今も持ってますよ。廊下に面した二部屋あるでしょう。あそこに溜めてます。まあそろそろ子どもが生まれるんでいい加減部屋を開けたいんですが――そうだ。あなたの家に送っても?

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蛙鳴未明 @ttyy

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