第19話

 地下室には鍵が掛けられていたけれど、私は氷で作った鍵をそこに差し入れくるんっと軽く回してしまう。がちゃりと音がして、きょろきょろ廊下を見渡してからそっとそこを開けた。音がしないように閉じて、階段を降り、ぽてぽてとスリッパを鳴らす。下まで降りると、ぱあっと本たちが光り輝いた。妖精たちが出て来て、それぞれに私を出迎えてくれる。

 私は籠に入れたお菓子を彼らに差し出して、コックさんに作って貰った上等のお砂糖菓子は先日助けてもらった鏡の妖精にあげた。身体の半分ほどもあるそれを受け取ったその子は嬉しそうにかぶりつく。ちょっと勿体ないな。今度は私用に作ってもらおう。お茶菓子として。


『サーニャ、コスタスに怒られたの? それで来られなかった?』

「それもあるけれど、お客様があったりしてね。随分間が空いてしまって、ごめんなさい」

『ちっとも空いてないわ! あなたはすぐに来てくれた。五年間音沙汰なしのアリアズナよりよっぽど良い!』

「その、アリアズナ――大奥様のことなんだけれど」


 言っても大丈夫だろうか、上目に様子を窺うと、妖精たちはきょとんとしながらキャンディやチョコレートを貪るのを止める。


「亡くなっているの。おそらくその、五年前に」


 ひゅううううっと冷たい風が入り込んできたと思ったら、妖精たちは泣き出してしまった。


『うそ! 嘘よそんなの、アリアズナは元気だったわ!』

「これは私の推測なのだけれど、五年前にコスタス様はご病気を患っていなかった?」

『コスタスはいつも病がちだったわ。だから私たち、アリアズナにお願いされたんだもの。彼に健康な身体を、って』

「それも多分、五年前、ね」

『……そうだけど』

「多分大奥様の魔力はそこで尽きてしまったんだと思うの。それまでも細々としたことに使っていたんだろう魔力は、そこで尽きてしまった。でも願いはかなえられた。コスタス様は元気にしている。メイドさん達に訊くとこの五年は風邪も引いていないそうよ。奥様の魔力がコスタス様を守っているんだと思う。命懸けで、守ったんだと思う。あなた達には残酷な事だったと思うけれど」


 ぐずぐずしくしくと妖精たちの泣き声が響く中、私はその慕われようにちょっと羨ましいな、なんて場違いな事を考える。こんなにも思われていたのか。だからこそ最後の頼みをしたのだろう。コスタス様を元気で。それは男爵家の跡取りだからじゃなく、自分の産んだ大事な子供だから。

 つくづく私には縁のない世界だな、と思う。妖精ですら私の為にこんな態度を見せてくれたことはない。私はどうでも良かったのだ。誰にとってもどうでも良かった。父にも母にも父の家族にも。私はどうでも良い存在だった。魔法が使えない振りをしていればなおのこと。魔女でもないただの孤児なんて育てているだけで出費がかさむだけの邪魔者だった。

 だけど私はこの屋敷にやって来て、この地下室にやって来た。それは偶然でも、因縁でも、どちらもかもしれない。魔女の屋敷に次の魔女がやって来るなんて、出来過ぎている。


 でもコスタス様は――妖精たちを忌み嫌っている。

 それが無ければ、私には天国のような場所なんだけれどな。

 多分、コスタス様は自分の母親が魔女だったことに勘付いている。

 だから魔女から魔力を受けとる妖精を、憎んでいるんだ。

 母親を殺した妖精たちを、憎んでいるんだ。


 サーニャ、と呼ばれて私はハッと顔を上げる。チョコを持った妖精が、ぐいぐいそれを私の口唇に押し当てて来た。ストロベリー味のそれは単純に美味しい。舌の上で溶かしていると、サーニャ、と改まったように畏まったように覗き込まれる。


『サーニャはそんなお願いしちゃだめよ? 折角のお友達、私達もう亡くしたくはないわ』

「心がけます」

『それで、サーニャのお願いはどうする? サーニャは魔力が多い方だけれど、人の運命に干渉するのはとっても消耗するから駄目よ。コスタスのように』

「コスタス様のように?」

『あの子は五年前、死ぬはずだったんだから』


 ぞっとしたものが背筋を走り抜けた。


『だからアリアズナは死んでしまったんだわ、多分。それと知らず運命を曲げてしまったから』


 そんな。

 大奥様。

 そんな愛情に、私は勝てるとは思えない。

 勝ち負けの問題じゃなくても。

 そんな愛情は、私は知らない。

 知らないものは伝えられない。


「私は」

『サーニャ?』

「私は愛を知りたい」


 誰にも負けないぐらい人を愛していると、そんな思いがあるのだと、知ってみたい。誰も私にくれなかった想いを、欲してみたい。我が侭だろうか。私の我が侭だろうか。メイドさん達も執事さんもコックさんも、勿論コスタス様も、私を大切にしてくれる。メイドさん達はそれが仕事だからだろう。コスタス様は? 彼はどう思って私をこの屋敷に引き取ったのだろう。

 古いドレス。適当なヘアメイク。一切無い宝飾品。化粧もろくにしていない。初めて踊ったダンスだって、知識不足で不格好だっただろう。足を何度も踏みそうになったけれど、彼はちょっと強引に私をエスコートすることでそれを避けた。屋敷に着いた時にはもう温かい部屋が用意されていて、今日はここでお休み、と額に一つキスをくれた。


 子爵領よりもっと遠い父の領地から軽い荷物を持って来るのはそれなりに大変だった。だけどこの男爵領は人が温かかった。メイドさん達もコックさんも執事さんも、花嫁を連れて帰って来た事に喜ぶ領地の人たちも。私はここに居ても良いのかと、少しだけ泣いた。


 そして今度は泣きながら追い出されるのだろうか。それなら妖精の祝福は要らない。でももしも受け止めて貰えるのなら、それで良い。それだけで良い。私は溶けたチョコレートを飲み込んで、こくんっと喉を鳴らした。


「私は人に愛されてみたい。――愛してみたい」

『解ったわサーニャ。私達の同胞』

『貴方に妖精たちの祝福を』

『めいっぱいの愛を!』


 砂嵐にでも巻き込まれるような光の渦の中、私は目を閉じて温かい風を感じる。

 愛に包まれると言うのはこんな感じなのだろうか。ぽかぽかとする。

 コスタス様の腕の中のようだな、と思った。

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