第14話

「そうだねえ、なんなら一週間ぐらいこちらに厄介になるのも良いかもねえ」


 食前酒の段階ですでに頭が大分ゆるーくなっていた子爵の言葉に、アリサさんはぱあっと明るい笑顔を見せた。一週間もあれば簡単なマフラーは完成するだろう、それを渡すのが楽しみなのか、アリサさんはうふふっと笑って私を見た。私も笑い返す。


「今日は私も泊って行く予定だが、構わないかね、コスタス君」

「勿論構いませんよ。僕が仕事の間サーニャに構ってあげられないのも解消されるし、願ったりかなったりです。十分に寛いで行って構わないからね、アリサちゃん」

「わーい! コスタス兄さまありがとう! サーニャお姉ちゃんも、よろしくね!」

「はい、アリサさん。大物が出来上がったら小物の作り方も覚えて行きましょうか」

「うん! 色々覚える!」


 生徒がいるとこんなにも楽しい事だったんだなあ、編み物って。基本は手慰みだったから気付かなかったな、こんな気持ち。一人でいるのが嫌だから趣味を作った。だけどそれも結局取り上げられた。でもちゃんと手に付いていたそれは、今もこうして役立っている。


 身分の高い人に恩を売れるのだ、なんてあさましい考えはないけれど、皆無だとは言えないのかもしれない。この家の為に私が出来る事は、このぐらいだ。ナターシャさんのパン作りは上達してきている。ナースチャさんは件の坊ちゃんと仲良くしているらしい。リリーさんは休みの日にお茶に招かれたそうだ。みんな上手くいっている。今日もコックさんのお料理は美味しいし、執事さんもてきぱきとメイドさん達に部屋の用意をさせながら機嫌良さそうだ。

 やっぱり目上の人のもてなしをするのは緊張と同時に光栄なことなのだろう。ありがとう、と妖精に舌の動きだけで言うと、胸を張られた。それからハンバーグを一口持って行かれる。安いものだ。


 しかしまた一週間は夜中に出歩けなくなるな。先日のお礼は早くしてしまいたいのだけれど、こう屋敷に人がいるとそうも言っていられない。子爵はぐっすりだろうけれど、アリサさんはまだ夜中に目を覚ましてしまう事もある年頃だろう。睡眠周期がきっちり定まっていないと言うか。でも目を使って編み物をしていたから、眼精疲労はあるだろうか。そうだとしても、油断はできない。ごめんね、妖精さん。

 ふわあっと大きな欠伸を漏らした子爵に、コスタス様は不思議そうな目で彼を見る。お酒には強かったのに、と疑問に思っているようだ。疑われる前に、先手を打つ。私も狡賢い奥様になったものだ。ここでの暮らしを守るためなら、何でも、どうとでも。


「今日は何のお話をしていらしたのですか? お二人とも」

「ああ、治水の件でね。堤防を作ろうかと言う話が出ているんだ。僕の領地はそんなに広くはないけれど、春には雪解け水がどっと出る。それを子爵の領地に営農用水として引き込む話を色々と――業者はどちらから出すか、資金の工面は、氾濫防止の水路図とかね」

「コスタス君も大人になったなあ、こんなに込み入った話を出来るようになっているとは思わなかったよ。てっきり親父殿に回されると思ったのにてきぱきと進めてくれて。楽だったけれどお株を奪われそうでちょっとひんやりもしたよ、ははは」

「お父様、私だっててきぱきしたのよ! サーニャお姉ちゃんから編み物を教えてもらって、あとお菓子も食べた! 美味しかった! でね、お父様にマフラー作ってるの! 楽しみにしててね、一週間あったらきっと出来上がると思うから!」

「おお、それは嬉しいなあ。アリサは呑み込みが早い子だなあ、はっはっは!」


 子煩悩なお父さんの様子に、胸がほんのり温かくなってからちくっと痛む。こんな人が父親だったら――否、だったら私は生まれないか。父は母が魔法使いだと正体を明かした途端に政敵に呪いを掛ける事を強要して来たらしいし。それまではただの妾の一人でしかなかったらしいから、子供なんて産ませるつもりはなかっただろう。

 私は母の代わりの魔女だった。ただし落ちこぼれの振りをしていた。だから私は何とかこうして落ち延びることが出来た。頭を撫でられた記憶はない。褒められたことをした事は何も無い。私に求められていたのは他人を害する魔法だったから、そんなことで褒められたくはなかった。撫でられたくはなかった。自慢されたくはなかった。それは今も、変わらない本音だ。


 父の願いをすべて受け続けて来ていたら、私も遠からず母と同じ運命をたどっていただろう。魔力の欠乏で死に至る。大奥様。ふと思い出した肖像画。あなたはどうして亡くなったのですかと、訊いてみたい気がした。もしもそれがコスタス様の妖精嫌いに繋がっているのなら、気になる事ではある。魔女嫌いに繋がっているのなら。魔女とばれた時の為に、知っておかなくてはならない事だと思うから。


 でも、そんなことを知ってもコスタス様はきっと変わることが無いだろうな、とも思えた。大奥様関係の事には間違いないだろうと何となく予測は付いているけれど、だからと言ってそれが今更どうこう出来ることじゃない。だって私は落ちこぼれ。人を癒す魔法は使えない。役立たずの形だけの伯爵令嬢だったのだから。男爵夫人としても、多分、子供に編み物を教えるのが精いっぱいだろう。

 そろそろ出来上がる肩掛け。コスタス様は喜んでくれるだろうか。余計な重荷になるだけだろうか。やっぱり前向きにはなれないな、そんなに急には。鼻で小さく溜息を吐いて、私は夕食を食べ進めた。

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