第12話 ルンルン気分の和泉式部

藤原道長の屋敷。

道長は険しい顔つきで目の前でボォーとした表情の少女に言った。


「いいか。このお役目は大変危険なお役目なんだ。断ってもいいんだぞ」


だが既にお花畑を見ているような様子の少女・和泉式部に、道長の言葉は届いていなかった。


「ああ、大陸……宋……、千年以上前からの歴史ある国……。私、杜甫や李白、王維、韓愈が読んだ漢詩の世界に行く事ができるのですね……夢みたい」


「いや、宋にたどり着けるかどうかも解らない。おまえのようなまだ幼い少女が無事に帰って来れるかどうか……」


「私、花木蘭(ムーラン)も大好きなんです。あ、あと孟姜女(もうきょうじょ)とかも素敵ですよね。涙で死んだ夫を見つけるとか。私もそんな男性と巡り合いたいです……宋ならいるかな?」


「命の危険があるんだぞ。解っているのか?」


「宋の都は開封ですよね。あ、でも平安京のモデルになった長安はぜひ見てみたいかなぁ。洛陽も美しい町だとか……」


「おい、私の話を聞いているのか?」


苛立ったように道長がそう言うと、和泉式部はポカンとした顔で見返した。


「ええ、聞いております。私、清少納言様や紫式部様と一緒に、宋に行けるんですよね」


「ぜんぜん聞いてなかったんだな……」


道長は右手で自分のこめかみを押さえた。


「確かに一条天皇が、おまえを二人の付き人として宋に行かせろと言った。だがな、宋への旅路はそんな簡単なものではない。幼い女子のおまえが無事に帰って来れるような所ではないのだ」


しかし和泉式部は、またもやキョトンとした様子で尋ね返した。


「でも道長様は、清少納言様と紫式部様を宋に行くようにお薦めしたんですよね? そんなに危険な旅なら、なぜご自分の恋人をそんな場所に行かせるのですか?」


「ぐっ」


道長が一瞬だけ返答に詰まる。

事実、都の貴族たちも「なぜ道長は自分の恋人二人を危険な使者にしたのか?」と疑問を呈する者が多かった。


だが道長は二人が特殊な技能を身に着けている事を知っているのだ。

さらに道長自身も

「清少納言と紫式部なら殺人術を使わずとも、己と魅力と身体一つで、そこらの賊など手なづけてしまうだろう」

と考えていたのだ。


「あの二人は別格だ。彼女たちは並の男など簡単に手玉に取れるだけの力がある。滅多にいない女傑なのだ」


すると和泉式部は勢いよく手を挙げた。


「じゃあ私も、お二人のような女傑になりま~っす!」


その言葉に、道長はまたもや面食らった。


「ば、馬鹿を言うな。あの二人のような女傑って、どんな意味か解っているのか?」


「え、う~ん、頭が良くって、いっぱい恋愛する女性って事ですか?」


道長は黙り込んでしまった。

まだ十歳の少女でしかない和泉式部に、彼女たちの性遍歴を語る訳にはいかない。

しばらく思案した後、道長は諦めたように言った。


「分かった。おまえがそこまで宋に行きたいのなら好きにしろ。もう私は止めない。だが二つだけ言っておくことがある」


「なんでしょうか?」


「一つは、清少納言と紫式部は非常に仲が悪いという事だ。宋への旅の最中、どんな諍いを起こすか解らない。おまえに与えられた役目は、その二人の間を取り持ち、仲違いさせない事だ。絶対にどちらか一方に肩入れするなよ。バランス良く立ち回るんだ」


「ハ~イ、わかりましたぁ! あと一つはなんですか?」


「もしおまえに宋へ渡る事の迷いが生じたなら、博多津を出るまでに戻って来い。父母の家が恋しくなった時、またはあの二人の間で板挟みになってどうにもならなくなった時があったなら、その時は引き返すのだ。博多津を出るまでならば、都に帰って来れるからな」


老婆心ながら道長はそう言ったのだが、和泉式部は元気よくこう返した。


「大丈夫です! 私、清少納言様や紫式部様のような大人の女性になりたいので! 途中で帰って来るなんて勿体ない事は出来ませんよ!」



十歳の和泉式部。

後に道長から「浮かれ女」、紫式部さえも「素行が良くない女」と言われる彼女だったが、この時はまだ純真無垢で夢見る夢子ちゃん(プラス、ちょっと不思議系)な少女だった。

しかしこの旅で、彼女は二人から大きな影響(主に男について)を受けてしまうのであった。



●ちょっと説明

※1,杜甫や李白、王維、韓愈:古代中国の有名な詩人。高校で習った(笑)

※2,花木蘭:中国の昔話で、病弱な父の代わりに戦場に赴いて活躍した女将軍の話

※3,孟姜女:中国の昔話で、愛する夫が万里の長城建設のため連れていかれ、探しに行ったら既に死んでいて万里の長城の下に埋められていた。孟姜女が嗚咽するとその涙で万里の長城が崩れ、夫の亡骸と対面するという話。

※4,開封:宋の首都だけど、この時代は開封とは呼ばれず『東京』と呼ばれていたそうです。でも紛らわしいので、ここでは開封にしました。

※5,博多津:遣唐船が日本を出発する最終地点。古代から博多は重要な湊だった。


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今回のウソ設定

※1,とうぜん和泉式部が宋に渡ったなんて話は作り話です。十歳の時の彼女がこんな少女だったのかも解りません。

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