第8話 帝はご機嫌斜め

「なんで! なんで、こんな事を書いて来るのだ!」


まだ九歳の一条天皇は癇癪を起していた。

周囲にいた貴族たちも、お付きの女官たちもどうする事は出来ずにオロオロしている。

清涼殿に響きわたる声が喚き続けている。


「帝、どうか落ち着いて下さい」


「帝、お怒りをお鎮めになって」


「これが怒らずにいられるか!」


一条天皇は怒りのあまり、膳を蹴飛ばした。

上に乗った椀や皿と一緒に、朝食に用意された料理がふっ飛ぶ。


「どうされたのですか? 帝」


御簾を上げて清涼殿に入って来たのは背の高い美丈夫、藤原道長だ。


(兼家の息子、道長か?)


近くにいた藤原実資ふじわら の さねすけが微かに眉を顰める。


一条天皇の父親である円融上皇は、摂政となった藤原兼家との間で、微妙な権力争いを繰り広げていた。

正面切って争う事は少なかったが、どちらが一条天皇に対して、ひいては宮中での権威を広げられるかの争いだ。

藤原実資は円融上皇の側近であった。

対して道長は兼家の息子だ。


「おお、道長! ちょうど良かった」


幼い一条天皇は道長に駆け寄る。

一条天皇の母親である藤原詮子は、道長の姉である。

それもあってか、道長は一条天皇のお気に入りだ。

本来ならは道長の官位では帝の近くに寄る事など許されないのだが、彼は特別だ。


「これを見よ!」


一条天皇は投げ捨てるように、手にしていた文を開いた。


「拝見いたします」


文を手にした道長はしばらくすると「これは無礼な!」と口にする。


「そうだ。朕が即位した挨拶に宋の皇帝に文を出したら、こんな返答が来たのだ!」


帝がダンダンと右足を踏み下ろした。


「『いつ朝貢に来るのか? 最近は倭からの金銀の貢ぎ物が少ない。そんな事では我が臣下の王とは呼べぬ』ですと……」


当時の日宋貿易では、日本からは金銀、硫黄、水銀、真珠、工芸品(刀剣・漆器など)を輸出し、

宋からは宋銭、香料、薬品、陶磁器、織物、絵画、書籍(主に仏典)を輸入していた。


そして当時の日本には貨幣がなかったらめ、宋銭は国内の貨幣のためにも、宋との貿易のためにも必須だった。


「しかもその上『周辺国の王は、宋の皇帝のために一族の女を後宮に差し出している。倭からはそれすらもない。昔に魚臭い生口(奴隷)の女が送られただけだ。もっとも倭は辺境未開の地なので、後宮に差し出せるような知性と美を持った女がいないのだろう』だと!」


帝は真っ赤な顔をツバを飛ばして喚いた。


「まさしく、いくら大国・宋と言えど、これは我が国にとってあまりに無礼千万な返答……」


道長も神妙な顔でそう呟く。

もっとも道長は内心では


「まぁ宋から見たら、こういう事になるだろうな。あの国は昔から日本を国として認めていない。彼の国が言う天子とは『天が続く限り全ての土地を治める』という意味だからな」


と思っていた。


道長は勉強家で博学でもあり、密かに私貿易にも手を染めていたため、大陸の事情にも詳しかった。

そこで道長はふと思いつく。


(ここはあの二人を追い払えるチャンスかも?)


「帝、私によい考えがあります」


「なんだ? 言ってみろ」


「金銀を送る事には限りがありますし、宋では金があまり採れないゆえ、簡単に送るのは惜しい事です。この要求は突っぱねましょう」


するとその場にいた藤原実資が異論を口にした。


「ですが宋の要求を丸ごと跳ね付けるのは得策とは思えません。何よりも宋銭が入って来ないのでは、我が国の経済に影響がありますし、今後の貿易にも支障がでる」


道長が余裕の表情で実資を見る。


「実資殿、私は全てを跳ね付けると言っているのではありません。金銀よりももっと人間の欲望に直接訴えかけるものを送るのです」


「道長殿、何を送ろうと言うのだ?」


道長がニヤリと笑う。


「女ですよ」


一条天皇が訝し気な顔をする。


「女を送って、金銀以上の成果が見込めるのだろうか?」


道長が「問題ない」と言ったように両手を広げた。


「勿論ですとも。帝はまだ幼いからご存じないでしょうが、男にとって女というのは、この上なく極上の宝なのです。どんな豪傑や偉人でも、男は良き女には夢中になるのです。それは大陸の歴史を見ても解ります。妲己・呂雉・則天武后……宋以前の殷・漢・唐を滅ぼす原因を作ったのは彼女たちです」


またもは実資が口を挟む


「道長殿、そなた言う事も解る。だが女を送るとして、誰を送るのだ? 女官や貴族の娘たちにそんな豪の者がいるのか? 宋は遠い。言葉も通じぬ異国の上、生きて戻って来れるかもわからぬ。そもそも無理強いは出来ないぞ」


「それも問題ありませんよ。宋からの返状にも書いてあるではないですか。美と知性を合わせ持った女と」


その場にいた誰もが首を傾げた。

実資が訝し気な目で道長を睨む。


「どこにそんな女がいると言うのだ。道長殿、まさか帝のご機嫌を取るために、この場限りのいい加減な事を言っているのではあるまいな?」


だが道長は涼し気な様子で、歌うように答える。


「大陸の知識を持ち彼の国の言葉を話す事が出来る、さらに創作においても抜群知性を合わせもった女。そして男を溶ろかす魅力を持った当代随一の美女二人が……」


実資が驚きの表情を浮かべる。


「まさか、そなた、自分の恋人を……?」


女官たちも驚きのあまり口をついて出た。


「紫式部様と清少納言様……」


帝だけがまだ理解していない状況だ。


「それは解ったが、その二人は宋に行く事を了承してくれるのか?」


道長は自分の胸に右手を当て、自信タップリに言い放った。


「それはこの道長にお任せあれ。必ず私が二人を口説き落としてみせます」



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今回のウソ設定

※1,一条天皇が即位の挨拶を送ったとか、宋の皇帝からこんな返状が来たとか、全てウソです。

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