第5話 紫式部と清少納言、御所で出会う

朝食(とは言ってもほぼ昼食に近い)を済ませた紫式部は、未一刻(午後一時くらい)に御所に出向いた。

御所内側の承明門を通り、紫宸殿ししんでんの前で牛車を降りる。

そのままお供の侍女と一緒に紫宸殿から仁寿殿じじゅうでんを通って七殿五舎しちでんごしゃに向かった。


その仁寿殿を抜けた時だ。

前方からやはり侍女を連れた背の高い女性がやって来る。

紫式部は相手の顔を確かめるまでもなく「チッ」と舌打ちした。

この御所の後宮に出入りする女性で、自分と同じくらいの身長と言えばただ一人しかいない。

言わずと知れた清少納言だ。


清少納言の方も紫式部に気が付いた。

先に声を掛けたのは清少納言の方だ。


「あら、お久しぶりですね。紫の君。お元気でいらっしゃいましたか?」


「お陰様で、健やかに過ごしています。清の姉君こそ、つつがなく過ごされていましたでしょうか?」


言葉こそ優しく、互いに親しみを込めて呼び合っているように見えるが、その瞳には相手への敵意が燃えている。


「今日は何の御用事で御所に?」


清少納言が穏やかな口調で尋ねる。


「ええ、新しく書いた源氏物語の続きを持って参りましたの。女官の方たちがとても楽しみにして下さって……いつも『次のお話はいつ出るのかしら?』と沢山の文を頂くものですから。中宮(帝の后)でさえ『一番の楽しみ』と言ってくださるんですよ」


そこはかとなく自信をチラつかせる紫式部に、清少納言の眉がピクリと動いた。


「本当に源氏物語は大人気のようですね。ただひたすら男女が睦み合う、そのシンプルな内容がいいんでしょうね。あれほどテンプレ通りに延々と続くお話など、中々書けませんわ。文章の方もひらがなが多くって、どんなバカにでも読めるように工夫されているし」


紫式部の口元がヒクついた。

が、すかさず作った笑顔を清少納言に向ける。


「ええ、やはり『もののあわれ』を主題にした源氏物語は、多くの方に共感されやすいと思うんです。書いたものは読まれてこそ、価値があると言えますから。いくら『をかし』を主張された所で漢字の間違いが多くあると、そっちの文章の方が『おかしく』なって笑ってしまいますものね」


 ビキビキビキッ


清少納言の額に青筋が入る。

だが顔だけは能面のように笑顔を張り付かせたままだ。


「そうそう、大人気の源氏物語ですが、ヒロインの紫の上は、どうして『紫』と呼ばれるのでしょうか? もしかして肌の色が浅黒くて、それが『紫色に見えた』なんてオチじゃないでしょうね?」


この時代は色白が美人の条件だ。


 ゴオオオォォォ


紫式部の顔色が変わる。

健康的な褐色さから、ドス黒くさえ見えるほどだ。


「しゅ、主人公の光源氏の初恋の相手、藤壺にゆかりがあるから『紫の上』としたのですが……日本語、読めませんでしたか?」


「すみません、私、世俗的な駄文は読まないもので」


「そうでしょうね。一部の僧ぐらいしか読みそうもない、主観だらけの皮肉文章なんて、普通の人は読みたくないですもんね」


 ビキビキビキッ


 ゴオオオォォォ


もはや二人の間には、邪神召喚か悪魔出現が起こりそうな雰囲気である。

二人の侍女は、自分達に火の粉が降りかからないよう、既に遠くに退避していた。


「ひいいっ」


そこを通りかかった女官は、あまりの二人の闘気オーラの凄まじさに、手にしていた食器を床に落とした。


 ガッシャーン


その派手な音で、二人ともハッと我に帰る。

お互いが気まずそうに目を合わせた。

清少納言が「コホン」と一つ咳払いをした。


「今日はこの後も用事がありますので……これにして失礼します」


すると紫式部も扇で顔を隠すようにした。


「私も……皆さんがお待ちになるといけないので……」


それを聞いて、やっと侍女たちも恐る恐る戻って来る。


「それでは、また」


「ええ、ごきげんよう」


二人は辛うじて別れの挨拶を交わし、目線を合わせずにすれ違い、離れていった。

だが、二人の腹の中では、相手に対する怒りの炎が燃えくるっていた。



●ちょっと説明

※1,平安時代の貴族は、一日二食で午前11時と午後4時くらいに食事を取ったそうです。ただし朝にも軽食を取ったとか。

※2,七殿五舎:簡単に言うと後宮の事。天皇の后妃の住まう殿舎。

※3,仁寿殿:儀式を行ったり行事を見物する殿舎、くらいに思って下さい。

※4,源氏物語は『もののあはれ』、枕草子は『をかし』をテーマにしているそうです。

※5,もののあはれ:平たく言うと「しみじみして趣きがある」、心情に訴えかけるんでしょうか。

※6,をかし:超平たく言うと「興味深い。心が引かれる。おもしろくて優れている」、知的な面白さって事でしょうか。



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今回のウソ設定

※1,紫式部は「紫の君」なんて呼ばれていません。同じく清少納言も「清の姉君」なんて呼ばれていません。設定です。

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