第21話 あの夏への扉は見つかったかい?

 時の価値は平等だ、と言ったのは誰だったろうか。

 誰の言葉かは忘れたけど、その前提は崩れてしまった。

 時は流れ、結局ぼくは雲雀ヶ崎と――るなと結婚してしまった。

 仕事を終えた週末のこと。

 飲みに行こうと呼び出され、つい勧められるままにガブガブと……。

 翌朝、気づいたときには手遅れだった。

 ブリッコしているくせに、やることがえげつない。

 でもまあ、いいや。あの事件がなければ、ぼくはいつまでも決心できなかっただろうから。

 ぼくだって本当は好きだったのに、斉藤さんを理由に拒み続けたようなものだったから。

 情けない話さ。

 るなにも苦労を掛けた。

 本当はぼくがどうにかしなきゃいけなかったのに。

 でも、竜宮院に言われるまでもなく、こういうのはレアケースだ。

 普通なら絶対にここまで待ってはくれない。

 それはわかってる。

 今にして思えば、斉藤さんがぼくをオトモダチとして好きと言ったのは、こうなることがわかっていたからなんだ。

 ぼくを縛らないために。

 ぼくたちは本当に幸せな人生を送れたと思う。

 それだけは間違いない。

 自信を持って言える。

 ぼくはるなを愛し、るなもぼくを愛してくれたんだから。

 そして、るなが死んだ。

 七〇歳だった。

 死因は膵臓の癌だ。発覚したときには、全身に転移して手遅れだった。

 苦しかったと思う。

 でも、決してそんな素振りは見せなかった。

 そして「運命ですよ。わたしは幸せでした。後はよろしく」と、笑って死んでいった。

 素晴らしい人だったと思う。

 考えてもみなよ、最後に笑って死ねる人生を送ることが、どれほど偉大なことか。

 膵臓を食べたいとすら思ってしまった。

 思っただけだけど。

 るなが死んで五年。

 今日も遺影に手を合わせ、線香を上げる。

 写真の中のるなは、いつも笑顔だ。

 子供たちは全員都会に出て行き、孫の一人は外国に嫁いだ。

 最後に残されたぼくは一人、自宅の縁側でお茶を飲んでいる。

 ぼくももうじきお迎えが来るかもしれないが、心残りが一つだけある。

 縁側では、ピートと名付けた猫があくびをしていた。

 ピートは雑種のトラ猫だ。母猫は勝手に物置に入り込んで子供を産み、どこへとなく消えていった。兄弟姉妹も同じだ。

 なぜかこいつだけ居残っているんだが、別に飼ってるわけじゃないぞ。

 こいつが勝手に入り込んで魚の骨とか缶詰の油とかをしゃぶってるんだ。

 うーん、飼ってる……のかなあ。

 でも、心残りはこいつじゃない。

 元が野良猫だし、ぼくが居なくてもひとりで立派に生きていけるだろう。


「にゃー」


「よしよし」


 ぼくはまだ浦戸にいる。

 この町を離れられない理由があるからだ。

 大きな災害は何度もあった。

 疫病も何度も流行した。

 繰り返される不況で、日本の国力はどんどん衰えた。

 紛争で領土も狭くなった。

 人口も減り、周囲は空き家だらけだ。

 世相は暗く、誰もが未来を憂いている。

 それでも、ぼくはまだ生きている。

 生きて待ち続けている。

 まだ、死ねない。

 だってまだ、約束を果たしていないから。

 新聞を広げると、一面トップは久しぶりの明るいニュースが報じられている。

 竜宮院博士の記事だ。

 彼の開発した新型のナノロボットが、がんを始め様々な病気を治療することに成功したんだよね。

 基本の技術はもちろん斉藤さんから取ったサンプルの改良だけど、その事は一部の関係者しか知らない。

 この新型は破損した細胞を修復するから、使い道は病気だけに限らない。

 昔なら助からないような怪我だって治せるし、老化だって抑えられる。

 不老不死までは無理だろうけどね。

 量産化も軌道に乗り、ノーベル賞の受賞も確実と言われているみたいだ。

 昔ならそれこそSFの話だ。

 でも、これからは現実の話になるし、これから生まれる若い世代はこれが当たり前だと思って育ち、疑問にも思わないだろう。

 携帯電話やインターネットをぼくたちは当たり前のものとして育った。

 でも、昭和の時代にはSFの題材でしかなかったそうだ。

 それと同じ。

 一緒に写真に写っている博士の奥さんも、ぼくはよく知っていた。

 もちろんあの睦月さんだ。

 俺は学生結婚する、なんて言い出した時には少し驚いたけど。

 学費を安くしたいという思惑もあったんだろうな。

 オタクに優しいギャルという言葉は、知り合った頃はまだ一般的じゃなかったっけ。

 今は死語だけど。

 彼女も今ではすっかり丸くなって……いない!

 性格はまるっきり何も変わっていない!

 怖いお姉さんが怖いババアになっただけだ!

 マスコミの前では猫を被っていて、そういう世渡りは上手くなったらしいけどね。

 竜宮院陽菜さんはナノロボットの実験にも協力していたらしくて、今でも四〇歳代で通じる――と本人は言っている――若々しさだ。

 るなは羨ましがっていたけど、ぼくと一緒に老いることを選んでくれた。

 いや失礼、これはちょっとのろけてしまったね。

 話を戻そう。

 ぼく自身の主義として、約束は守らねばならぬ。

 ……そう、あの竜宮院がぼくと斉藤さんの約束を果たす鍵だったんだ。

 これがあと五年早ければ、るなも助かったこもしれないのに。

 記事の最後には博士の言葉として「これでやっと恩人に借りを返すことができた」とある。

 ぼくはタンポポコーヒーを一口すすった。

 タンポポはるなが好きだった花だ。

 カフェインゼロで、戦争の時は輸入が途絶えたコーヒーの代わりに飲まれていた。

 今ではいくらでも手に入るけど、ぼくは好きで飲んでいる。

 他の園芸家からは雑草扱いされるけどね。

 タンポポは春の楽しみで、ぼくたち夫婦はその後例年ヒマワリを植える事にしていた。油を絞るんだ。


「どうした、ピート」


 不意にピートが立ち上がり、庭を横切って垣根がわりのヒマワリを越えた。


「こんにちは、おじいさん」


 ヒマワリの向こうに女の子が立っていた。

 ピートを抱きかかえている。


「やあ。夏への扉は見つかったかい?」


「さあ、どうかしら」


 少女は――いや、戸籍上は老女だけど――斉藤さんはにっこりと頷く。

 あの頃と同じ、何も変わらない笑顔がそこにはあった。


「すぐにわかったわ。何も変わらないのね、太郎くん」


 何も変わらないは、さすがに言い過ぎというものだろう。

 でも、彼女の顔を見るとぼくの心は当時に戻ってしまう。

 忘れられないあの日々に、一瞬で戻ってしまう。

 竜宮院とバカやって、店長の店でバイトして、雲雀ヶ崎と土をいじったあの日々に。

 まるで昨日の続きのように。


「まるで『タイム・マシン』みたいだね。ジュール・ヴェルヌの」


 斉藤さんはあきれ顔をした。


「あのねえ。ハーバート・ジョージ・ウエルズだから。それにどちらかといえば『冬眠者めざめるとき』じゃない。どっちも読んでないでしょ? 正直に言いなさいよ」


「活字は苦手でね。それより――」


 ぼくは冷蔵庫を開けた。連絡を受けて、あらかじめ準備しておいたんだ。


「レモネード、冷えてるよ」


「いただくわ」


 斉藤さんは未来へと向かい、ぼくは過去に戻った。

 タイムマシンの完成だ。

 人の心は物理法則に捕らわれないのだから。

 なあ、雲雀ヶ崎。

 この畑には、何を植えたい?


(了)


注:各話タイトルはWEB公開のため便宜上つけたものであり、内容とは一切関係がない。

 古今東西、そして未来のクリエイターたちに心からの感謝と敬意を捧げる。

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あの夏への扉は見つかったかい? おこばち妙見 @otr2000

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