第11話 ファンデーション

 珍しい客が来た。

 戸惑い気味にカウンターに腰を下ろしたのは、なんと竜宮院だ。


「いらっしゃい。珍しいな。というか、初だな」


「おう、一回くらいお前が働く姿を見に行かないとな。コーヒー頼む。一番安いやつな」


「竜宮院のケチンボめ」


「お前の給料には関係ないだろ。時間給なんだから」


 正直を言えば、ぼくはコーヒーを淹れるのは得意じゃない。

 同じ豆、同じ道具を使っているのに、どうしても店長の味とは比べものにならない泥水にしかならないからだ。

 やっぱりコツがあるんだろうな。


「私がやろうか?」


 のんびり本を読んでいた店長がしゃしゃり出てくる。

 あれ、なんだか嬉しそうだぞ。

『ファウンデーション』なんて化粧品の本? を読んでいるのも珍しい。

 でも表紙イラストは宇宙船。

 なんで宇宙で化粧? コスメティックというよりコズミックじゃないか。

 ちなみに『ファウンデーションと帝国』とか『第二ファウンデーション』というのもある。

 まあそれはいい。


「いや、こいつに店長の味はもったいないですよ。ぼくがやります」


「まあ、そう言うな。美味しいのを出してやれば、リピーターになってくれるかもしれないだろう?」


 そう言って店長はぼくを押しのけ、どこか楽しげにコーヒーを淹れる。

 あれ? ずいぶん良い匂いだな……なんか、高そうだぞ?

 というか、鼻歌まで歌っちゃってる!

 やっぱり若い男が好きなんだ!

 もしかしてぼくもそれで雇われたんならどうしよう?

 ぼくは思わず生唾を飲んだ。

 誘惑されたら困るな。

 だってほら、いつも二人っきりだし。

 準備中の札を出せば、誰も入ってこないし。

 そもそも二階は店長の自宅で、一人暮らしだし!

 どうしよう、いや、素直に教えてもらおう。

 見栄を張るな、ってぼくはいつも言われてるんだ。


「はい、どうぞ。当店のオリジナルブレンドだ」


 すげえ笑顔。こうして見てるぶんには美人なのに。

 というか、ぼくにはあんな表情、一度も見せたことないぞ。

 なんだこの差は。

 竜宮院のやつめ、明日から出入り禁止だな。


「いただきます……あち」


 さも当然と言いたげに、竜宮院はブラックで飲み始めた。


「美味しいです」


「そりゃあよかった。ゆっくりしていってくれ」


 再びドアベルがチリン、と鳴って新しい客が入ってきた。

 いつも暇なのに、珍しい。


「あれ? 斉藤さん、いらっしゃい」


 斉藤さんは軽く手を挙げると、竜宮院の隣に腰を下ろした。


「適当にやっといてくれ。混んできたらインターホンで呼ぶように」


 店長の顔からは笑顔が消え、とてもつまらなそうな顔ををして奥に引っ込んだ。

 なんなんだ、この差は。お客様に失礼じゃないか。

 オーナーだからってやりたい放題だな。


「レモネードね」


 これなら簡単だ。待たせずにサッと出す。


「竜宮院くん、待った?」


「いや、今来たところ」


 ぼくは思わず竜宮院の顔面を掴んでいた。

 全身のあらゆるエネルギーを右手に集中し、思い切り力を込める。


 俺の右手が光って唸る! お前を倒せと輝き叫ぶ!


「おい。どういうことだ竜宮院。それじゃまるでデートじゃないか。説明しろ」


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」


 斉藤さんがニヤニヤしながらぼくの手首を掴んで止めた。


「デートだったらこの店は選ばないわ。わたしたち二人とも、あなたに用があってここで待ち合わせただけ。ここなら他の人には話を聞かれないものね」


「……?」


 斉藤さんはカウンターに肘を乗せると、手を組んで口許を隠すようなポーズを取った。

 なんか、凜々しくて格好いい。

 表情までどこかの司令っぽいな。


「槍ヶ岳退治、よ」


 どうやら、斉藤さんがまたポイント稼ぎを企んでいるらしい。


「退治とはまた、モンスターみたいな扱いだね」


「ええ、モンスターよ。放置しておけば、犠牲者はさらに増えていくわ。それというのも――」


 竜宮院が斉藤さんを制した。


「待ってくれ、斉藤さん。俺から話すよ」


 なんだこいつ、普段アホっぽいのに今日はやたら真剣な顔をしてるぞ。


 *


 なんか微妙にショック。

 いや、別にどうってことはないんだけどさ。

 信じられるか?

 この竜宮院にはなんと、なんと彼女がいたんだよ。ぼくに黙って。

 いや、言わなくてもいいんだけど。

 プライベートな話だから。


「あれは去年のクリスマスイブのことだ。俺は駅の待合室で、彼女と待ち合わせをしてたんだよ」


 何それ初耳。ぼくは去年何をしてたっけ? イブの夜は。

 ああ、プラモデル組んでたな。

 中島飛行機キ―四三。一式戦闘機。愛称は隼。大戦中の日本の主力戦闘機だ。最高速度五四八キロ。武装は十二・七ミリ機銃が二つ。

 プロペラで飛ぶ飛行機、なんか好きなんだよね。

 同じ頃の零戦より扱いが地味だけど、防弾装備で防御力が高いし。

 設計には糸川英夫博士が関与しているんだ。

 ほら、小惑星イトカワの名前の由来の人。

 小惑星から初めてサンプルを持ち帰った探査機、あれもはやぶさって名前だ。

 ただ、ぼくはプラモはあまり上手くない。

 接着剤ははみ出すし、色を塗ればやっぱり塗料がはみ出す。

 主翼と胴体の間には、実際にはあり得ない隙間があるんだよな。

 まあ、冬場はあんまり畑をいじらないから、他の趣味もできるってわけだ。

 ええと、何の話だっけ。

 あっ、斉藤さんのペンダント似合うなあ。

 銀色のロケット。

 写真を入れるロケットじゃなくて、もちろん宇宙を飛ぶほうだ。

 太陽とロケットを組み合わせたデザイン。

 店長のジャンパーにも同じエンブレムがあったから、流行らしい。

 トランターっていうブランドみたいだ。


「俺の端末に彼女からメッセージが来てさ」


 戦後、GHQに航空機開発を禁じられたせいで、日本の航空宇宙技術は立ち後れた。

 秋田県の海岸で糸川博士が実験したペンシルロケットが、日本の宇宙開発の始まりだ。

 小さな物を安直にも拡大する、という発想で開発されたのがカッパロケットやラムダロケットで、これらは実際に宇宙に行ける。

 斉藤さんはペンダントを持ち上げると、笑顔で揺らした。

 ぼくはペンダントを見ているのであって、胸元を見ている訳じゃないからな。

 本当だぞ。

 で、竜宮院だ。


「急用で行けなくなった、せっかくのクリスマスにごめんなさい、って」


 おおっと。思ったより面白くなりそうだ。


「俺は仕方なく駅を出た。本屋でも寄っていこうと思ってな。雑誌をパラパラと立ち読みして、日暮れくらいに商店街をフラフラしてた。その時だ――」


 竜宮院は視線を下ろし、空になったカップを見つめた。

 カウンターの上に置かれた手は、堅く握りしめられている。


「彼女は……槍ヶ岳と楽しそうに歩いてた。しっかりと手を繋いで、な」


 おおっと。


「俺のことなんか丸っきり目に入らない様子で……俺は思わずUターンして後を付けた。何かの見間違いだと思いたかったんだ。よく見れば雰囲気の似た他人のそら似だ、きっとそうだ、って思いながら」


 おおっと!?


「でも、マフラーの柄も鞄に着けたキーホルダーも、間違いなく俺がプレゼントしたものだったんだ。見間違いじゃないと確信したはずなのに、俺の足は止められなかった。なぜかはわからない。足が勝手に動いちまうんだ。そして二人は――」


 ぼくの頬に何かが触れる。脂汗だ。果てしなく嫌な予感がする。


「細い路地裏に入った二人は、俺が見ているのを知ってか知らずか……キスをした」


 うわあ。


「俺は耐えられなくなってその場を逃げ出した。嘘だ、嘘だ、嘘だ、俺は本当にそう叫びながら走ってたよ。涙と鼻水で前なんかろくに見えやしない。俺は赤信号で飛び出すところだったが、ある男にぶつかったことで轢かれずに済んだ。本当に危ないところだったんだ」


 あれ?


「そいつは古くさい飛行機のプラモの箱を抱えててさ。情けなく顔面から水たまりに突っ込んだ俺に、心配して声を掛けてくれたんだ。……お前のことだよ、山田」


 言われてみれば、そんなこともあった気がする。

 でも泣いてたのは顔面から水たまりに突っ込んだからだと思ってたし、そんな事情があったなんて知らなかった。


「お前がいなければ、俺は車に轢かれていたんだ。どうにかして恩を返したいと思っていたんだが、なかなか機会が無くてな。雲雀ヶ崎の件は良い機会だと思ったんだが」


「その……彼女とは?」


「それっきりさ。今となっては、あいつの中じゃ俺と付き合ってるなんて認識は無かったのかもしれない。もっとも噂じゃ、その後しばらくして槍ヶ岳とは別れたらしいけどな」


 普段アホ面晒しているくせに、竜宮院は思いのほか重い過去を背負っていた。

 人間、見かけによらないもんだ。

 何の慰めにもならないとは思うけど、ぼくはもう一杯コーヒーを淹れてやった。

 一番安い豆で、ぼくが淹れたものだから、あんまり美味くはないと思うけど。


「いや、俺にはこれがちょうど良い。美味くはないけどさ」


 案外、好評のようだ。

 あれ、ということは。斉藤さんももしかして、ぼくの知らない恋愛をしていたのかもしれない。

 もしかして、もしかして。

 ぼくの視線に気付いたのか、斉藤さんは顔を上げた。


「気になる?」


「な、何が」


「わたしと槍ヶ岳くんの関係」


「そりゃ気になるよ、もちろん」


 斉藤さんの唇が奇妙に歪んだ。


「元カレ、よ」


 あっ! 胃が痛い! 

 これは再手術かもな。ついでに脳改造でもしてもらったほうがいい。

 感情を除去してもらうんだ。

 城先生ならできるはずだ。たぶん。知らんけど。

 斉藤さんは長い黒髪を指で梳くと、頬杖をついた。


「わたしと性行為に及んだら、間違いなくウィルスに感染して死に至る。それを言ったら、翌日には別の彼女を作ってたわ。交際期間は二日。手も繋がなかったわね」


 ホッとしたような、ムカッときたような。

 とにかく槍ヶ岳の二十三人の彼女に、斉藤さんが含まれるという事実はぼくをノックアウトするにはじゅうぶんだった。

 ぼくはカウンター内に置いた丸椅子に腰を下ろす。


「手口はおなじみのマッチポンプ戦法。わたしを仲間に襲わせて、危ないところを助けに入るって寸法ね。あの時は今よりも少し手が込んでいたんだけど、大枠では変わってないわ。だんだん雑になってるみたいだけど」


 つまり、雲雀ヶ崎の時と丸っきり同じだ。怖かったろうに。ぼくは言った。


「よしわかった。槍ヶ岳を殺そう」


 二人は目を丸くした。

 なんだ? 何か変なことを言ったか?


「いや、それはさすがにやり過ぎだ」


「そうよ。ちょっと過激すぎるわね、山田くん」


 *


 さすがに殺すのはやり過ぎだ、という意見ももっともだ。

 殺人罪で有罪になると、死刑または無期懲役、または五年以上の懲役刑だ。

 それだけの時間を槍ヶ岳のために捨てるのはもったいない。

 ぼくは家に帰ると、気持ちを落ち着けようと放置していたメッサーシュミットBF一〇九に手を出す。

 雪が無くなると畑にかまってばかりだから、この時期は例年プラモはやらないんだよね。

 これは大戦中のドイツ空軍の主力戦闘機。

 ランナーからパーツを切り離し、接着剤を付けて説明書通りに組み立てる。

 コンプレッサーが無いから塗装は筆塗りだ。

 気持ちを落ち着けるためにやっていたけど、ついうっかり翼に日の丸のデカールを貼ってしまうくらいには動揺していたらしい。

 まあ、これはこれで架空戦記っぽくて有りかな。

 少数が密かに日本に持ち込まれた、って設定で。

 もっと上手く仕上がっていれば、の話だけど。

 不格好だなあ。箱絵と全然違う。


「さて」


 竜宮院の重武装には、ちょっとした秘密がある。

 バットもプロテクターもテーピングも、全部野球部の備品だったんだよね。

 もちろん竜宮院は野球部員じゃない。

 協力者に借りたんだ。

 装備するにも一人では時間が掛かるけど、二人掛かりならすぐだ。

 野球部員の中にも、槍ヶ岳に恨みを持つ人物がいるってわけだ。

 元々槍ヶ岳はエースで四番。それでなくても敵は多い。

 なんか放っておいても勝手に刺されそうな気がするな。

 つまり、その前に何とかしなければならないわけだ。

 案外時間が無いのかも。


 翌日の昼休み、ぼくは竜宮院に連れられて協力者と話す機会を得た。

 槍ヶ岳は今日、学校を休んでいる。

 体調は問題ないらしいから、サボってデートかな。

 色々と嗅ぎ回るなら、今日がチャンスだ。


「あっ、花泥棒」


 黒塗りの高級車に追突してしまった先輩の見舞いに、畑から花を盗んでいた彼が協力者だったとは。


「いやその、あの時は世話になったね。君が竜宮院の知り合いだったなんて、たまげたなあ。山口やまぐち君だっけ?」


「山田だ。入院してた先輩はどうなった?」


「退院したよ」


「そうか、よかったな」


 彼は多田野ただのという二年生だ。

 ポジションはセカンドの補欠。

 つまり、槍ヶ岳が退場すればこの多田野くんが試合に出られる、という訳だ。

 同じ学年でレギュラーと補欠、ともなれば思うところもあるだろう。

 なんともまあ、ドロドロしてきたのか、槍ヶ岳がドロドロにしたのか。

 槍ヶ岳が死んだら、警察がまず最初に疑うのは多田野選手だろう。

 二時間ドラマなら、最後に崖の上で長々と犯行を自白するやつだな。

 誰だって疑う。ぼくだって疑う。


「でもオレ、そんな卑怯な手を使って槍ヶ岳を陥れるなんてさ、やっぱり男らしくないと思ったんだ。あの時のオレは、やっぱりどうかしてた。オレは自力でレギュラーの座と、神戸かんべさんの心を掴んでみせるよ」


「神戸さん?」


「マネージャーだよ、野球部の」


 竜宮院が耳打ちしてきた。


「槍ヶ岳の今の彼女だ」


「はあ? 今のってなんだよ」


 というと、あれか。彼女が居るのに雲雀ヶ崎と付き合おうとしてたのか。


「別に珍しくもないだろ。新しい彼女を作ってから前の彼女を切る。よくあることだぜ」


「そんなもんかあ?」


 竜宮院は目を伏せた。


「よくあること、だから許せないのさ。もし付き合えなければ、何食わぬ顔をして元の鞘に収まる、ってわけだ。ふざけた話だが、これが現実だ」


「……」


 なるほど確かに、考えてみれば竜宮院も同じ目に遭っている。

 ドロドロだなあ。

 恋愛って、そんなに大変なものなのか?

 不意に、頬に冷たいものが当たった。


「ん、雨か」


 ポツポツと降り出した雨は、数秒後にはバケツをひっくり返したような大雨になった。

 このぶんじゃ、今日の部活はお流れだな。

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