絶望を上書きする、俺の多忙な転生物語。(女神の召喚編)

猫3☆works リスッポ

第1話 序章 転生召喚

6:15分

IDカード、暗証番号、虹彩認証を登録、玄関の扉が開く「おはようございます杷木です、加藤さん遅れて申し訳ありません。」横の受付の窓から内部を覗く。

さすがに警報音は止めてあるようだが管理室の監視モニターに警報表示がフラッシュしていた。

「おお早いねハギ君おはよう、いやいやこっちこそ休日に悪いね、課長に連絡したら君に飛ぶのは判ってたんだが。」わざとらしく老眼鏡をかけ直し俺を見ると「さすがだね既に装備は万全か、装備品持ち帰りは本当は駄目なんだが・・君ならいいか。ほかの者はまだ来ていないが準備次第追いかけるんで先に現場に行って貰っていいかい?」。

加藤さんは小柄でちょい太めのおじいさんだ、緊張のためか空調の効いた室内なのにタオルで額の汗をぬぐっている、OBだが今は外注警備の人だし事務だったから該当区域に立ち入ることが出来ない、まあ先月70歳の誕生日を過ぎてるから無理もさせられない。

「問題ないですよ単独行動慣れてますから。」

「ほんとに無理すんなよ、君はおれの孫みたいなもんだからな、労災案件は駄目だからな。」

「俺・・孫です。」真顔で言うとピリピリしていた加藤さんの表情が少し和らいだ。

故障履歴のプリントアウトを受け取りエレベータ内で装備を再度確認、該当階で降りて足早に現場に向かう。

「なんでこんな日に」悪態をつきたいわけじゃ無いが俺は空調設備の故障の呼び出しを受けて緊急の休日出勤を余儀なくされ焦っていた。

「ハギ君聞こえるか?」VRゴーグルから音声が来た。

「聞こえます、他の状況はモニターで把握出来ますので他に異常が無いか監視だけよろしくお願いします。」

「わかったよ頼んだよ。」

「頼まれました。」

今回一人で現場に向かうため安全を考慮し監視カメラに映り込むルートを選んで進む。

「ID認証クリヤ」次のセキュリティを抜けて故障した該当機器番号を確認する、次にヘルメットに装備したVRゴーグルに指示を出した。

「シド、機器点検開始だ。」

俺の声紋を確認してゴーグルとリンクしたタブレットのアプリが反応した、ここが一番大変だったところ。Ai風に無駄にカッコいい。6インチのタブレットは腕に装備してある。安全帯と工具袋も腰に装備してある。

最近の音声合成は抑揚まで人間に劣らない、それが至らないのはプログラマーの力量不足なだけつまりは俺が悪い「シドご免な」。

さて機器点検は俺の戯れ言を無視して順調にスタートしている。

「本人声紋確認、職員番号toma6958805、指示了解、設定機器とワイヤレスにてデータシンクロを開始します

・無音モード解除

・エラー系統の該当機器はpac01ですACU0025のリンク不能

・電流は誤差正常範囲内

・ダクト静圧22pa 設定値の誤差正常範囲内

・クリーンルーム陰圧異常・正常範囲を500%逸脱

・原因不明

・DDCよりシンクロ拒否

・冷媒、冷却水他データ参照不能

・データエラー

・サーバーリンクエラー

・想定外の状況、アプリ緊急停止、修正をしてください

「アプリ自動再起動中、安全装備確認、安全帯装備してください。」

え?何でサーバーリンクエラーを吐くんだ?「つまりここか?」

昨日点検しているから基盤交換に至るほどの故障のはずは無い、パラメータの補正を掛ければ応急対応だけでも、空調自動制御盤の扉を開けて愕然とした、そこに有るはずのものが無い!


【此奴もようやくここまでたどり着いたのう。

これで何百回目、いよいよ説明するのも面倒よのう。

我の力で強制的にビジョンを流し込んでくれよう、ネタはあり合わせで良かろう、転生者ならばこれくらいでは死なんじゃろう、まあ、たとえ狂ってもスキルさえ残ればそれでいいからのう。】


研究所の前についた頃には太陽が高く上がり建物の影が短く落ちる、ちょうど昼の12時か、この時刻には旭川空港から彼女の実家の富良野に行き御両親に婚約の挨拶を済ませているはずだった、遠距離恋愛で付き合って2年、美人だし可愛いんだ。

感情が欠落気味で女子に縁の無い俺にとって初めての彼女が婚約までしてくれたなんて、多分とても嬉しい。「会社や貴方の家族にも秘密ね、だって驚かせたいから」と言うから今回やっと準備したのに。


なのに今この実験施設の白いコンクリートの床に赤く染まった物体を呆然と見下ろしている俺が居た、どうしてこうなったんだ。


「シド、音声記録、空調機ACU0025の自動制御盤のDDCカードが抜かれてる、型番とアドレス、空調停止の原因は」俺の声を遮って突然タブレットの音声安全確認アプリに警告された

「安全帯未確認、確認してください。」

え?確認してるよ?さっき答えただろ

しょうがない、はいはい「安全帯確認。」

再度警告が発声する

「確認してください。」


ノイズのように他の声が混じる

【転生者よ。】

転生者ってなんだ、アプリがバグった?

だがそこに見えたのは、俺の声が黒い渦を巻く空間に吸い込まれ消えて、宙に浮いたゴーグルには届いていない光景だった、「骨伝導にしたほうが良かったな」。さらに左手が思い切り引かれ、閃光と共に幾つかの自分が自由落下しているのをゆっくりと感じていた、視界の隅にはフックをかけていたはずの手摺が共に12m下にあるコンクリートの床に向かって落下していた。

何故か安心感があった、なんだバグっていないじゃないか、俺の作ったアプリは正常だった。

とても聞きたくない音と衝撃が走り世界は闇に沈んだ。


それが何であるか最初は認識出来なかった、余りにも原型を留めていなかったから。

この高さでの損傷としては酷すぎないだろうか。

自分の冷静さもいつも通りで不思議だった、その肉塊は落下による損傷にしては妙で、刃物傷と裂き傷まである、内臓もぶちまけられ脳漿も垂れ流しており眼球も・・。

それは見ないことにして機器の破損はないか確認する、空調機などは正常、停止してはいるが原因は分かっている、記録はタブレットが真っ二、つ、ああこれじゃ点検結果の記録ができない。

手に取ろうとするがすり抜ける、なんとなく普通じゃないことがわかってくる。なんかとても寒かった。


何故だこれは誰だ「俺」の中に音のない言葉が流れ込む。


【小高い岩の上で硬い黒い毛で覆われた獣、肉食の魔獣ハウンドが鋭い牙で捕えたばかりのウサギに似た白い獲物にとどめを刺し、まだ温かい内臓を喰いちぎる、すぐ近くに神殿があることも気にかける様子もなく茶色く枯れかけた草と土を赤い血で染め黙々と食事に勤しんでいた。それはこの地に生きるもの達にとってはいつもと変わらない平穏な日常にすぎなかった。

ここはナトム大陸の王国カリドラの領地の北端に位置する聖地メテオルス山。この日はこの季節としては珍しく晴天に恵まれ妙に暖かく空も世界の果てに突き抜けるように青く澄み渡っていた、だがもうすぐ冬がやって来るこの季節は、さすがに日が落ち始めると先程までの陽射しが嘘のように、あっという間に氷のような冷たい風が吹いて枯れ始めた落葉樹の葉を吹き寄せる。高くそびえゴツゴツとした山肌を金色と赤色に染め分けた秋の太陽の光が今日という時間さえ燃やし尽くそうと一瞬輝きを増したように思えた。


この世界の始まりから生きている女神は一見妙齢の豊満な姿だが度重なる転生召喚者への搾取による呪いを受けそれが蓄積し目は血走り肌は老婆のように荒れている、この数百年の間に悠久の時を生きてきたその無限の力は失われつつあった。

神殿の暗闇の中を何度も音もなく歩き回るその姿には魔境を徘徊する飢えた魔獣とさしたる違いは見出せないだろう。

それでも身に付けている白を基調としたゆったりとしたシルクの衣装に派手な金銀の刺繍がされ、体のラインが見て取れるほどの薄い布で辛うじて聖なる雰囲気を残してはいた、また神力で化粧を施しているため通常で有れば目をそらすことが出来ない程の崇高な美しさの筈の姿は、よく目を凝らせるならば黄金の髪は所々老婆の白髪のように乱れ陰鬱に暗い陰を引きずっている。先程からその女神の肩に白い塊がもぞもぞ動いている、その塊は紫の嘴をもつカエルに似た白い綿のような、手足の無い小さな握りこぶし大の生き物で、ビクッと何かに反応すると薄紅色の霧を吐きながら飴のように変形し女神の足下に移動した、そして移動した先から床の魔法陣の模様と一体となり溶けるように消えてしまった。

置き去りにされた霧はそれを追いかけるように丸く纏まり床に落ちた、床は一瞬どす黒く変色し血の焼けるような刺激臭と共に泡立ちやがて何事もなかったように元の床に戻った。

女神は苛ついていた「今度のやつも竜のエサか、使えない中年め!」忌々しく声を荒げるも周囲に目線を巡らすと女神は何かを恐れてでもいるのか急に声を落とし言葉を吐き捨てた。

その苛つきは魔力、いや神力の集中を妨げていたのだ、女神からは霊的死角となる神殿入り口から中心に向かって延びる長い回廊の隅に据え付けられた、長いマダラで漆黒の尾羽を引きずる、欠けた耳と牙を持つ魔獣の彫刻の陰から、先程から見つめていた林檎の形に似ているシミが一瞬あざけるように笑い消えたのにも気が付かないほどに。


【転生者よ、どうも余計な記憶まで転送されたようじゃ。】

どこから声がしたのか意識の定まらない俺の頭の中に困惑が広がる。


【転生者よ】

だがその声には聞き覚えがある、何日か前から、寝不足だから幻聴が聞こえてると思っていた。

【お前は良く働いたゆえにこちらで暮らす手伝いをしてやろう。】

はっきりしない意識、いや意識だけではなく自分の肉体そのものも陽炎のようにどこか捉えどころがない、ここはどこだろう?機械室ではなくなっている、白い大理石の床に円形の模様が組み合わされているのが感じられるが細かいところは把握できない、これは目で見ているのではないのかな。

動こうとするがこの模様が邪魔をする。

【喜ぶがいい、お前は過労死寸前だった、それを我が力で転生させる。】

「冗談か?寸前?それはまだ死んでない、転生するということはその時点で死んでる、つまり今回の状況的に普通それはとどめを刺したという、こちらは訴えることが出来るんだよ。」自分で言っていることがおかしいのは判っている、もし死んだのならどうやって訴えると言うんだろう。」

【どうせあと数日で寿命だったのだ、大して違いはない。】

「そんな筈はない、うちの会社はブラックじゃない、超勤だってしっかり毎月200時間付いたし年休だって有る、夜間呼び出し当たり前って、あれ?ぐれーなのかな」

【だ・か・ら・お前は良く働いたからこちらで暮らす手伝いをしてやろう。】

「大違いだ、寿命だとしても数日あればお別れととか後始末とか引き継ぎも十分できる、今すぐ全部取り消して元に戻せよ。」

【馬鹿なことを、寿命を知って後始末できる人間などいない、諦めることだな、それに私に任せていなければ転生できなかったのだ、幸運と思うが良い。】

いや、なんか違う、こいつはなんとしても騙そうとしている。

【全く貴様が紐で身体を落ちないように結ぶから、鉄の棒を切るのに手間取ったぞ、お陰で体もバラバラになってしまったではないか。】急に視界に現れた黒影女?の指先で何かをくるくる回しているのが見える、あれ?確か基板、DDC・番号・記号・「おいちょっとそれのために休日出勤して事故にっていや、それであの傷なのか!なんてことしてくれたんだ!労災申請が大変じゃないか!。」

ずいっといきなり見覚えのない女性の顔が目の前に実体化し俺は混乱する、今は見えていないのに見えている、金髪の美人?いや老婆?年齢が判然としない、じゃ此処は何処だ日本じゃないのか?、でなければやばい飲み屋とか。

俺は元々女性に耐性が薄い上に彼女以外には超弱い、急速な接近に慌ててしまった。

「近い近い!」衝突を避けようともがいた。

構わず女は続けた。

【お前は本当に運がいい、さて転生の準備は整った。私は女神である。】

うわあ、こいつ自分を女神と称して話しかけている、私は総統であると言ってるのと同じだ、とんでもなくヤバい。

【転生出来る人間なぞ100000万人に1人も居ない、特別幸運なことだ、心して受けるがよい】

おかしい、俺はなぜこんな話にまっとうに付き合っているんだ、絶対普通じゃ無いのに・・。


あれ?似たようなセリフ前にもなんか聞いたことがあるな、俺の採用時に課長が言っていた言葉だ

「この不況で採用された君達は運がいい頑張りなさい」、と、その時のメンバーで残っているのは俺一人、結局は皆条件の良いところにもしくは悪いところに転職してしまった。


いや、まて頭の整理が出来ない、現実?夢?幻覚?洗脳?この状況が普通じゃない・・のは確かだ、まずは深呼吸そして情報収集、どんな状況でも情報は力だし、そのおかげで今まで苦しいしい中でも何とかやりくりしてきたんだ、冷静になるんだ、これのどこまでが真実なんだ?。


【転生後の生活は保証してやろう、なんの苦労もなく贅沢できるようにな。

さあ転生せよ!我は女神の名によりて滅びた魂に命ずる、肉を纏いて絶望の現し身を現せ!】女が叫ぶ。

突然にそして徐々に呼吸と心臓の鼓動が感じられて手足の感覚が戻ってくる。「どこまでが現実なんだよ!」

だがいきなり頭を突き抜ける様な嫌な感触、【さあ転生後の能力はなんだ、能力を見せろ】、女は俺の頭を鷲掴みにして強引に頭の中に手を突っ込む。

うわああ!なんなんだ!これはちょっと、やめてくれ、吐き気がする!

始まったときの様にそれは唐突に終わり、そして女は大きく溜息をつくと頭を横に振った。

【そんな馬鹿な、何ということだ、この私がかつて無いほどに神力を使ったのだ、あいつの欲するように此処までしたというのに、手を貸したというに、貴様にはこの訳の分からない能力しかな無いのか?これが何の役にたつ?仕方がないこっちを貰うぞ、お前は・ハズレだ。】

女は怒り狂い何かを唱え俺はいきなり視界が不規則に回転しみたび吐き気と混乱が頭のなかで渦巻き。

どうして!叫ぼうとしても声が出ない、吸った息を吐く前に視野がまたしても暗転した。


【だが儂は女神だ一つは約束を守る、褒美をやろう・お前の女の「今」を見せてやろう。】

その言葉と共に召喚された時のように視界が歪んでいく

どこかの家の玄関が目の前に浮かんだ、見覚えがある。

そうだ俺の婚約者は「まな」なんだ

まるで目の前にいるようにそこに真奈がいた

もしかしたらもう俺の手の届かない場所

だが抱きしめようと自然に手が出る

当然のようにすり抜けていく、どうしてこうなったんだ、今からでもなんとかなるはずだ、世の中に解決出来ない問題は無いはず。

その向こうから微かに声が聞こえる。

「お姉ちゃん、さっきのは何の電話だったの?何か暗そうに話していたけど」不安げな声が聞こえた。

声の主は確かに見覚えのある女の子だった、名前は確か・・?。

「うん何でもないよ、タスクが死んだみたい、な感じで連絡来ただけよ」いやそれなのに君はなぜ感情の無い返事をするの?俺の葬儀の準備にしては華やかなピンクのドレスを着てるし。まあ俺もこんなんだからそれについての非難は出来ないけれど。

「え!そんな、そんな、、すす、すぐに東京に行かないと、私荷造り手伝うよ、一緒に行っても」ああ表情がこわばりみるみる青ざめる、かわいそうに狼狽して言葉がつっかえてるじゃないか。

真奈は妹の方を振り返ることも無く玄関の鏡で服装を確認している「あんた何慌ててるの?私が行くわけないじゃん、ほんと死んでくれて助かったよね、私心配でここ数日眠れなかったんだわ、ほらこれ見てよ目の下が隈になちゃってるんだから、美人が台無しでしょ。あいつが来て婚約の挨拶なんかでバレたら修羅場だったんだから、大丈夫よあいつとの婚約のこと知ってるのはあんただけだし、絶対喋っちゃダメだからね、喋ったら姉妹の縁切るからね」話しながら真奈は妹に向かって指を差した。

「だって婚約者だよね、彼は私が諦めてお姉ちゃんに譲ったのに。」それでも涙ぐみながら姉の手首を掴みすがろうとした。

パン!かるい音がした、妹の伸ばした手の甲を平手で叩いた音だ。

「あらあごめんね〜そうだったよね、付き合うのはいい人だったんだけどビルメンなんて給料安いし、結婚するならやっぱ地元の開業医なの、で私のお腹には高梨医院の跡継ぎがいるの、うちのお父さんお母さんにも向こうの御両親にもとっくに紹介済みだし・・あなたに言うとタスクに言いつけそうだから黙ってたから、あんただけが知らなかったよね、涼君もタスクとおんなじ35歳なんだもの恵美は24になった私の気持ち分かるよね!比較にもならないわ。じゃあ高梨彼ピとデート行ってきまーす」真奈は出て行こうとドアを閉めかけて一瞬躊躇するのが見えた、振り向いて潤んだ瞳で妹の目を見つめる、「そうだ、恵美あんたも葬儀行ったらダメよ、バレちゃうからね」そうして真奈は全ての憂いが消え去ったようににっこりと微笑むと足取りも軽やかに玄関から出ていった。その後ろ姿を見送るだけで俺の魂が散っていくのに、玄関に残された妹の嗚咽がまだ胸を締め付ける、異界となった玄関も闇に飲まれて閉じていく。

【さあ転生者!勝手にのたれ死ね!。】非情な女神の高笑いが聞こえ俺は再び意識を失った。

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