第51話マリオネット軍人は学園生活を望んだ


 セバッテが学園を襲ってから、すぐにユアは学園から姿を消した。ファレジやリッテルが治療だのなんだのと叫んでいたので、それに専念するために学園を辞めたのだろう。


 不思議なことではないし、学園に本職の軍人がいたことの方がおかしかったのだ。


「ユアのヤツ。学園にいる間に同級生を鍛え上げていくっていうのが、筋っていうもんだろうが。おかげで大して学ぶこともなく二年生になっちまったじゃないかよ」


 そんなふうに文句をいうカザハヤだったが、彼だけは十分にユアに鍛えてもらっていたような気がする。無論、カザハヤから一方的にユアに絡んだせいだったのだが。


 ユアと自分たちの人生が交差することはもうないかもしれないとアシアンテは思った。


 カザハヤと共にアシアンテも軍属するならば顔を合わせる可能性もあるかもしれないが、今の段階で分隊長に出世しているならばカザハヤたちが入隊することにはユアは雲の上の人になっているだろう。階級絶対主義の軍では、出世した彼と親しく話すことは無理に決まっている。


「カザハヤ、アシアンテ。二年生の教室がどこにあるか分からないから、悪いが案内してくれ」


 聞き覚えのある声に、二人は振り向いた。


 そこには伸ばし始めた髪を無造作に括ったユアがいて、その後ろにはリッテル、ファレジそしてメレナーデも控えている。


 もう会わないだろうと思っていた人間の登場に、アシアンテは顎が外れるかと思った。カザハヤだけは、目を輝かせている。


「また同級生になるのかよ。たっだら、今度こそ色々と教えて行けよ」


 カザハヤはユアの背中を親しげに叩こうとしたが、その手はファレジにむんずと掴まれた。その様子を見て、ふぅとユアは息を吐く。


「まだ怪我が治りきっていなくてな。あのときは肋骨が三本ぐらい折れていて、リハビリ中にうっかり二本も折った。そしたら、病院の方でいっそのこと外でリハビリしてこいと言われて……つまり追い出された。魔法で治すと骨折は変なふうにくっつくから、自然治癒が一番なのに」


 療養しようとしていなかったらしいユアの言葉に、アシアンテは顔を引きつらせた。なにかをあきらめたようなファレジの顔からして、アシアンテの解釈は間違っていないようである。


「それで、ならば学生生活をさせて少しずつ体力を回復させろって隊長から命令があったのよ。しかも、今度は身分をあきらかにして部下の私たちは分隊長の面倒を見てもいいというお墨付きまでもらって!」


 お風呂もお部屋も授業中も一緒にいられるとメレナーデは嬉しそうだが、女性の彼女は一緒にはいられないだろう。


「あんなことがあったんだから学園生活を再開させるのは反対だったけど、隊長の意見は絶対だ。それに、分隊長が学園に行きたいと言い出したし」


 リッテルは、納得いかないという顔をしていた。彼としては、ユアには普通に休んでいて欲しかったのだろう。あるいは、学園という場所をリッテルが嫌っているのかもしれない。


 それにしても、ユアはどうして学園に戻りたいなどと言ったのだろうか。アシアンテが思い出してみても、ユアが学園生活を楽しんでいる記憶はない。


 一人で食事をして、やる気なさそうに授業を受けて、カザハヤにからまれていただけだ。ユアが笑顔でいた記憶はないし、どちらかと言えばむすっとした顔の記憶の方が色濃い。


「セバッテと戦った時の気のそらし方が面白かった。あれには、学ぶべきことがあると思った」


 ユアの発言は、アシアンテの予想外のものだった。セバッテの気を引くために色々と酷いことを言った記憶があるが、学ぶべきものがあるとは思えない。


 なにせ、あれはレベルがとても低い下ネタだったからだ。カザハヤの脳みそでは、相手を煽るのにそれぐらいしか思いつかなかったのだろう。


「……ユア。あれに学ぶべきものはない。学ぶべきものはないから、今すぐ病院でも軍でも良いから戻った方が良いよ。人生を無駄にする」


 アシアンテは本気で説得したが、ユアは首を傾げた。カザハヤはユアの話を全く聞いておらず、本職の軍人のユアが側にいてくれることをまだ喜んでいる。


「学ぶべきことはある。あれは面白かった。うん、面白かった。面白かったから、初めて同世代の人間と一緒にいたいと思った」


 ユアは、切ない感情を思い出したように微笑んだ。若すぎる軍人が何を考えているのかはアシアンテには分からない。けれども、彼が同級生になるのならば徐々に分かっていくのだろうか。


「さて、同級生になるカザハヤとアシアンテに頼みたいことがある。分隊長の取り扱い説明書。俺たちも気を付けるけど、教師って立場にもなるから目が届かないところもあるからな」


 そう言ってリッテルは、分厚い紙の束をアシアンテとカザハヤに押し付ける。


「基本的に痛覚がないから、怪我をしていなかを常に注意してくれ。あと、味覚もない。スープなんかで知らない内に火傷する可能性もあるから、冷ましすぎるぐらいに冷ましてから飲ませろ。飲み物も同じだ。寒い暑いも分からないから、季節の変わり目を特に気を付けること。細かいことは、そこに書き出している。あっ、ストレスが限界になると吐くから、そこにも気を付けてくれ」


 カザハヤは、ぺらぺらと紙をめくる。小さな字でびっしりと注意事項が描かれており、カザハヤは思わず眩暈に襲われた。赤ん坊の育て方だって、ここまで詳しくは指導されないだろう。


「歩き方やジャンプしたときの着地の仕方もよく見て欲しい。足をくじいたりしても、気づかないで歩いていることがある。あと、発熱も分からないから顔色などで体調を観察して、何かあれば私のところに連れてきて欲しい」


 ファレジもユアの注意事項をならべるが、もはや限定的な環境でしか生息できないペットのようだった。


「痛みも分からないし、味覚もないしって……。お前は、色々となさすぎだろ」


 カザハヤは呆れているが、アシアンテとしては軍の上層部にもの申したい気分になった。生きているだけで大変な人間を軍人として登用し、分隊長にまで出世させる神経を疑ってしまう。


「あと、ユアに言い寄ってくる生徒は女子でも男子でも私に報告すること。ユアに相応しい人間かどうかを動物を使って調査するから。失格な人間は、力ずくでも追い払う」


 メレナーデの笑顔が眩しいが、彼女の話が一番おっかない。恋人も友人も精査するなど正気の沙汰ではないし、自分たちのことも調べたのだろうかとアシアンテは考えてしまった。


「あと……これは、言うべきか迷ったが」


 ユアは口元に手をやって、しばらく思案する。やがて答えを出したらしく、緊張を紛らわせるために大きく息を吐いた。


「助けてもらったから……お前たちのことを友達って思ってもいいか?」


 自信がなさそうなユアの言葉は、カザハヤとアシアンテを戸惑わせた。ユアは顔を赤くしてうつむき、二人に向かって手を伸ばしている。握手を求めているようだが、奇妙なほどに堅苦しい。


「お前って、世間知らずだな」


 アシアンテは思っても言わなかったが、カザハヤはまったく躊躇せずに言った。カザハヤの辞書に失礼という文字はない。


 そんな飾らないカザハヤの言葉に、ユアは言葉を詰まらせていた。ユアの後ろに控えている部下たちは苦笑いしており、彼らの共通認識でもあるらしい。


「だったら、俺たちが教えてやる。だから、ユアは強さの秘訣を教えろよ」


 さっそく模擬戦をやるぞ、と言ってカザハヤはユアの手を取る。自分勝手に走り出したカザハヤをいつものように制御しなければならないと考えて、アシアンテは彼らの後を追った。


 廊下を走るカザハヤとユアを追っていれば、アシアンテは男性の姿を見たような気がした。うすぼんやりした男性の影は裾の長い白の服をはためかして、ユアの頭に触れる。アシアンテは死後の世界も生まれ変わりも信じてはいないが、背後霊というものがいるならば彼のことだと思った。


 背後霊の彼はすぐに消えてしまって、代わりに自分の方を振り向くユアの顔がアシアンテの瞳に映った。その顔が思いのほか幼くて、彼の運命には沢山の大人たちが関わっているのだろうと実感した。


 あの背後霊は、その大人たちの一人だったのだろう。



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マリオネット軍人は学園生活で嘔吐する 落花生 @rakkasei

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