なつのこえ

だぶんぐる

なつのこえ

「右! 右!」

「いーや、左だね!」

「空! 空! 空をとんでるよ!」


 かねやんのしょーもないボケでみんな笑ってる。


 ああ、どうにも苦手だ。

 俺は棒を持ったままふらふらと歩く。

 真っ暗で何も見えない。

 声だけが色んな方向から聞こえてくる。


 足の裏に感じる熱い砂の感触。

 潮の匂い。

 ザパーンって波の音。

 そして、みんなの声。


 苦手だ。

 このスイカ割りってもんが。


 何も見えない状態で、みんなが好き勝手に言ってくるこんな状況が。

 余計なことを言っている性格悪い組の奴ら。

 あとで絶対シバいてやろうと心に決めて、性格良い組の声を頼りに俺は歩く。


 目隠ししているせいか声がよく聞こえる。

 だけど……アイツの声は聞こえなかった。


 俺の中にあるアイツの一番古い記憶。

 その時の第一声は覚えてる。


『やだっ!』


 幼稚園の中でも一番小さかったアイツは大きな目いっぱいに涙を溜めて、俺を睨みつけて拒否してきた。


 良く通る声だった。それは今もで、アイツはバンドのボーカルをしてるらしい。


 だから、分かる。

 今、アイツの声はない。アイツは俺に声なんてかけないんだと。


 最初なんてアイツの声しか聞こえなかったのにな。


 一番最初のスイカ割りは、泣いてるアイツと俺、そして、アイツの両親だった。

 両親に促されて、アイツはしぶしぶ指示を出していたけれど、そのうちに夢中になり始めてどんどん遠慮なく指示し始めた。

 指示をされれば簡単だ。人生最初のスイカ割りは余裕だった。


 二年、三年とほぼ二人だけのスイカ割りが続いたが、その頃には遠慮もなくなっていたアイツは嘘を吐くことを覚えやがった。そして、散々俺をいじって満足して俺はようやくスイカへと導かれた。

 四年目、小学3年の頃から、一人増え、二人増えとどんどんと友達が増え、スイカ割りの声が増えていき、難易度が上がって難しくなっていった。中学に上がる頃には十四人の結構な大所帯のグループになっていて、いろいろ、難しくなった。


 それからも、夏の恒例行事として、毎年みんなで集まって夏らしい事をやっている。

 やることは定番のものもあれば、新しい試みもある。

 集まるメンバーもその時で違ったりはしたが、基本のメンバーは同じだった。


 そして、何故かいつもスイカ割りの一番手は俺だった。

 初期メン特権だと言われるが、納得がいかない。

 もう一人の初期メンは声を出すこともさぼっているのに、俺が何故もう好きでも何でもないスイカ割りに必ず参加させられるのか。


 俺は繊細だ。嘘を吐かれるだけで傷つくんだ。例えこんなスイカ割り程度のことでも。

 なんか色々気にしちゃうんだよ!

 という声を飲み込んで早く終わらせようと耳を澄ませる。

 性格良い組の声に。


「ユウトくん、そこっ!」


 性格良い組の中でも最も性格の良い『聖女』こと、喜多島聖のその一声で俺は棒を振り下ろす。ぼぐという鈍い音の後に、みんなからのため息が漏れる。


 目隠しを外すと、スイカに当たってはいたけれど、力が弱かったせいで、中途半端に割れていた。なんとも締まらない一撃。

 まあ、こんなもんだ。俺なんて。


 その後、結局四人がやって、3つはしっかり割れて、残り1つはやっぱり中途半端に割れていた。


「あははー! かねやんへったくそー!」


 アイツの声がしていた。このイベントの大スポンサーであるかねやんこと金木信二を小馬鹿にしていた。


「うっせーな! 翡翠! お前がデケー声で変な指示ばっか出すからみんなの声が聞こえなかったんだよ!」

「えー、でも、魁くんもみーちゃんもきっさも割れてたでしょ?」

「いや、ユウトだって中途半端だったじゃん!」

「いやー、でも、かねやんが買ってきたスイカなんだからかねやんは割らないと」

「どういう理屈!?」


 アイツ、翡翠の声がみんなの中心で聞こえてくる。

 俺のスイカ割り以降、アイツの声はずっと聞こえていた。

 俺以外の時にはずっと。




 しゃくり。


 不細工に割れたスイカをかじりながらぼーっと海を見つめる。

 海は良いな。一定の波のリズムが心地いい。

 俺は出来るだけみんなから離れて、出来るだけ楽しそうに海を眺める。


 そうすれば、誰も寄ってこない。


「ねえ、ユウトくんはビーチバレーやらないの?」


 前言撤回。

 やさしい人間は寄ってくる。


 ラッシュガード? を羽織った聖が俺に近寄ってくる。

 聖女はやさしいな。


「いや、流石に、バレー部が参加したらマズいでしょ」

「ふふ、そうだね。エースが参加したらパワーバランス崩れるか」

「お互いにな」


 俺と聖はそれぞれバレー部の男女キャプテン。

 キャプテンとはバランスをとるのが役割だ、と俺は思っている。

 聖もそうだろう。バランスをとるために、圧倒的に数的不利の俺の所に来てくれたのだろう。


 しゃくり。


 スイカを食べる。スイカを食べてビーチバレーの実況解説を聖とする。

 聖が何を話したいのかは分かっている。だけど、俺はそれを話したくはない。

 その話をすれば、絶対にアイツの、翡翠の話になってしまうから。


「おお、魁。すげえな、イケメンは夏に何やらせてもサマになるなあ、サマーだけに」

「ユウトくん、親父ギャグだよ……」


 俺は聖のツッコミを波のように流して、魁を見る。

 このグループ一のイケメン。アイツがいるからこのグループに入ってきた女子が何人もいたほどだ。そんなイケメンはイケメンスパイクを決めて爽やかに笑っていた。

 ネット挟んで向こう側では翡翠が悔しがりながら笑っていた。


「魁が頑張ったかいあって、盛り上がってるんじゃあないかい?」

「ユウト君、あのね……」


 俺の時間稼ぎが功を奏し、本題に入らせる前に夏の恒例行事最後のイベントが始まった。


「それでは、最後は、いつものビーチフラッグ大会~!」


 恒例となって5年目のビーチフラッグ。

 普通にやるならいい。

 だけど、ここのビーチフラッグは……。


「今年も、ペアチケットがついてるぜ! さあさあ、燃え上がれ男共!」


 そう、某有名遊園地のペアチケットが旗の部分についている。

 ご丁寧にジップロッ○でパッキングされた旗が。


 かねやんが遊びでつけたのが始まりだった。

 だけど、ペアチケットだ。

 夏の解放感も相まって、初回から告白アイテムになってしまった。


 それに、誘うために男共は本気になって走る。

 そこには感動があって、熱気があった。

 そして、断れない空気も。

 だから、俺は一度も参加した事がなかった。


 1年目のペアはデートしただけ、2年目のペアはまだ続いている。3年目は6か月で別れた。4年目のペアは……どうなってるか知らない。


 魁と翡翠。


 魁は去年、企画段階から宣言していた。


「俺は、翡翠に告白する。その為にビーチフラッグでは絶対勝つからな!」


 魁が、翡翠を好きな事は知ってたし、周りが応援していることも、一部が複雑な感情を抱いていることも知ってた。

 だから、俺はビーチフラッグに参加しなかった。


 面倒だから。

 いつだって、複雑な人間関係は面倒だ。


 だから、俺はもうこのグループから抜けるつもりだ。

 まあ、どうせ高校三年生だし自然消滅の可能性もあるけれど。

 それでも、俺にとってこのグループはめんどくささの極みになりかけていた。

 だから俺は、抜ける為に、輪に入りに行く。


「お、ユウトも今年は参加するのか?」

「おう」


 みんながざわつく。

 やめて欲しい。

 それだけでやめたくなる。


 俺がこのビーチフラッグに参加した事でまたこのグループに波風が立つ。

 ほとんどのヤツが気にしないんだろう。

 だけど、俺は気にしてしまう。

 魁が目を細めているのを。

 聖が口元に手を当てているのを。

 アイツが、眉間に皺を寄せているのを。


 そして、そんな俺の物語の今の重要人物たちを取り囲む人間達がワクワクしているのを。


 だから、やりたくなかった。

 だけど、やるしかなかった。


「ユウトが参加するとはな。面白くなってきた」


 魁がイケメンスマイルでそんな事を言う。

 お前はまっすぐだな。羨ましいよ。


「……ねえ、別に女子も参加して良いんだよね」


 そう言ったのは、翡翠だった。

 おいおいおいおい。


 面倒にするなよ、事態を。


「ちょっと、翡翠。マジで言ってる?」

「かねやん……ハンディは勿論ありでよろしく」

「正直者! ……わーったよ! じゃあ、身体一つ分な」


 かねやんが適当な事をルールを付け加える。

 やめてほしい。




「いよっしゃあ!」


 翡翠は、元バレー部の守りの要でスポーツめっちゃ出来るんだぞ。

 あわよくばちょっとくらい接触出来たらなあという思惑の男共の猛ダッシュをものともせず翡翠はひらりと旗をとっていく。

 多分、アイツに勝てそうなのは……。


「次! 魁VSユウト」


 俺か魁のどっちかだ。

 ギャラリーが盛り上がる。ああ、面倒だ。


「よろしくな、ユウト」


 魁が爽やかな笑顔を浮かべている。面倒だ面倒だ面倒だ。

 魁は何故今回参加したのか、翡翠ともう一度デートに行くためか、もう一度告白する為か、それとも、別の誰かに?

 分からない。

 俺は魁じゃないから。魁の見たものは分からない。

 だから、俺は俺をガムシャラにやるだけだ。


「よーい、どん!」


 スタート出遅れる。魁の方が気持ち早い。

 魁の方がいつだって早い。翡翠との出会い以外は。

 だけどな。


 出遅れようとなんだろうと諦めてたまるか!

 足の指で思い切り砂を掴み、体勢を低くして必死に走る。

 翡翠の声は聞こえない。

 それでも。


 今はただあの旗をっ!




「勝者! ユウト!」


 かねやんの声で盛り上がるみんな。

 うるさいけど、うれしい。

 うれしいけど、うるさい。

 いつだって、複雑だ。


「いやあ、まいったまいった」


 魁は一回も魁の健闘を称える奴らのところに歩いていった。

 一度もこちらを見ずに。


 決勝戦。

 俺、対、翡翠。


 俺が寝転び、その足元近くに翡翠が寝転ぶ。


「ねえ、負けてよ」


 翡翠の声がする。

 相変わらず通る声だ。ひそひそ声なのにちゃんと聞こえる。

 俺は無視する。

 翡翠の言う事は聞かない。


 俺が応えないから諦めたのか翡翠も黙り込む。


「決勝戦! よーい……! どん!」


 完璧なスタート。だけど、ミスった。

 どうやっても序盤は翡翠が前。

 そして、翡翠の気合が入りまくっていたのか、思い切り砂蹴ってきやがった。

 咄嗟に目をつぶったが、湿り気のある砂は顔に張り付いて視界を奪ってくる。


 見えにくい。

 目の前を走る翡翠も周りのみんなも何もかも。


 声が入り乱れる。


 ああ、面倒だ。


 だから、俺は耳を塞ぐ。

 だけど、俺は前に進む。


 欲しいから真っ直ぐ進むだけだ!


 ぼんやりした視界の中で隣の小さくて白いやつを抜く。


「……すん」


 いやな音がした。

 あの音はいやだ。


 毎年聞くあの音は翡翠の噴火寸前の音。

 でも、ごめんな。もう今年で終わりにするから。

 俺は脚に力を入れ、隣にいる翡翠を突き放そうとする。


 走っていく内に砂は落ちていき、視界が開ける。

 誰もいない砂浜と海。

 そして、ペアチケットの旗。

 俺は手を伸ばす。


 だけど……届かなかった。


「うぐ」


 情けない声を出して、砂浜に胸をぶつける。

 腹は無事というべきか、細い腕の感触だけがあった。


 翡翠が、俺の腹に手を回して、妨害してきた。


「おい、翡翠」

「やだっ!」


 翡翠のその声に、また記憶が蘇ってしまう。

 一番最初に翡翠の声を聞いたあの時の。



『やだっ!』

『やだって……ひーちゃん。わがまま言わないの。ゆう君は、もうおばあちゃんちに行かなきゃいけないのよ』


 翡翠のお母さんが、翡翠を嗜める。

 翡翠は大きな目いっぱいに涙を溜めて、俺を睨みつけて拒否してきた。


『いっちゃやだ! ひすい、ずっとゆうくんといっしょにいるもん! ゆうくんどっかいっちゃやだもん!』


 翡翠は俺にしがみつき泣き叫び始めた。最初に見た翡翠の泣き噴火。

 まさか、これが中学まで毎年恒例になるとは。


『もー、ゆうくんと遊ぶときはずっとだんまりだったのに、急に大声出したと思ったら……ひーちゃんったら』

『おばちゃん、ぼく、ひーちゃんといっしょにあそぶよ』

『え?』

『おばあちゃんには、またこんどいくから。ひーちゃんといっしょにいる。いいでしょ、おかあさん』


 俺の身体に回された手の力が抜けたのを感じて俺は母親の方を向く。

 母親は笑っていた。


『そうね、おばーちゃんはアタシが説得しとくから、今年は好きなだけ翡翠ちゃんと遊んであげな』

『うん、ひーちゃん、ずっといるからだいじょうぶだよ。いっぱいあそぼ』


 涙できらきらした目をこっちに向けながらそれでも、オレに回した手は離さないまま、翡翠はいった。


『ほんと? ずっといっしょ?』

『うん、ずっといっしょ!』


 そう、ずっと一緒だったな。

 いや、ずっと一緒だと思ってた。

 でも、世界にはいっぱい人がいて、色んな声があって、ずっとなんてのは不確かで、未来なんて分からなくて、自分がどこにいて、翡翠とどのくらい離れているかも分からない。


 だから、それをすっきりさせたくて追いかけた旗には届かなかった。

 高校生になってあのころとは比べ物にならないほどの力で俺の腹を締める翡翠。

 いや、マジでいたい。


「お、おい、翡翠」

「やだ!」


 這い上がってきた翡翠が俺の背中に顔を当てて叫んでいるから震動が腹に響く。


「翡翠?」

「やだ! やめて! ごめん! 去年断れなくてごめん! だから……おねがいだから」


 背中が濡れている。海なんて聖に誘われても今年も入らなかったのに。


「誰かと行っちゃやだよ……」


 翡翠の声が震えていた。


「ずっと一緒って約束したのに、ごめん。だけど、もう破らないから。お願いだから、行かないで……!」


 俺は……翡翠の腕をひっぺがし、旗をとる。


「お前の言う事なんか聞かない」

「う……」


 聞かない。今だけは誰の言う事も聞かない。

 俺は、俺の記憶に従うだけだ。


 去年、逃げた俺の記憶。

 そのあと死ぬほど後悔した記憶。

 そして、今年最後に正直になろうと誓った記憶。

 いくつも重ねてきたアイツの記憶に。


「ほれ」

「へ?」


 俺は今の翡翠に旗を差し出す。

 へ? さえも澄んだ声。


「お前を、誘おうと思ったんだよ。ダメもとで」


 もう魁と付き合ってたらめちゃくちゃ恥ずかしい。

 俺に物凄く好意を見せてくれる聖と気まずくなるだろう。

 変な空気になったらみんなに申し訳ない。


 それでも、俺はコイツと一緒に居たいから。


「すん」


 ああ、ヤバいな。噴火する。

 みんな、ごめんな。





 しゃく。


 スイカを齧る。


 しゃく。


 隣でかじる音がする。


「なあ」

「……なに?」

「塩、いる?」

「いらない」

「でも、あんだけ泣いたから塩分を」

「うっさい。それより……いつ行く?」


 しゃく。


 スイカが食べづらい。

 チケット持った手をずっと翡翠が離してくれないから片手で食べないといけない。


「んー……」


 目を閉じる。

 遠くで楽しそうな声が聞こえる。

 聖も魁も楽しそうだ。かねやんはいつだって楽しそうだ。

 それがうれしい。


「ねえ」


 でも、絶対にコイツの声が一番響いて聞こえる。


「じゃあ、水曜か火曜で。スイカだけに」

「わかった。じゃあ、それ以外の曜日はどこにいく?」


 しゃ。


 スイカを食べきってしまう。


 まあ、いいか。

 これからだって夏の楽しみはいっぱいあるだろうから。


 俺はスイカばりに真っ赤な顔の翡翠を見て、どうなるか分からない夏の予定を話し始めた。

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なつのこえ だぶんぐる @drugon444

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