エピソード16:うちだけは大丈夫


やっぱり、そうだったんだ。



 お姉さんは、少しだけ間を空けられた後『ごめんなさい。あなたの名前で検索したから……』そう教えてくれた。



 なんの自慢でもないけど、この県に絞って俺の名前を検索すれば、いずれ辿り着くから。たぶんこの街が俺の地元じゃないってことで、推測したんだろうな。



「気にしないで下さい。昔のことですから」


「宍戸君、気持ち悪いっち、思わん?」



「俺もお姉さんの立場だったら、そうしていたかもしれません」


「優しいんやねって、危険を顧みず、川へ飛び込むあなたには失礼か」



「買い被りです……恥ずかしいですよ」



 お姉さんの表現は、驚くほどにストレートだ。正直に話をしてくれるところとか、きっと真っ直ぐな人なんだと思う。



『クゥーン!』



 俺にリードを持たれたラブちゃんはというと、普通は先を歩いてくれるんだけど、なぜか俺の横をぴったり付けながら歩いている。時々、体を擦り付けてくるのが、とてもくすぐったい。


 もしかして、俺の臭いを嗅いでいるのだろうか?



「宍戸君、お姉さんって……うち、大学1回生やけんね。そうとう年上に見えちょんのかなぁ?」


「いっ、いえ。お姉さんって感じがしたので」



「ふぅぅん。うちに弟がいるっちことで、許してあげる」



 お姉さんって呼び方、さっきも少し怒っていたな。次からは、森田さんって呼ばないと。



「うちもね、リザーレ高校だったんよ。宍戸君のOGやなぁ」


「え? 大学からこちらに来られたんじゃないんですか?」



「高校2年生の時にこっちへ引っ越してきてきたんよ。時期が時期やから、編入もリザーレだけやったけんね。人生で一番、勉強したかも」


「リザーレは色々と寛容ですもんね」



「あっ! うちは宍戸君のOGやけん、これからは大地君っち呼ぼうかな。大地君は、彩乃でいいんよ?」


「えぇーー!? それは……その、先輩ですし」



 無理です。先輩に呼び捨てって。しかも女性だし



「先輩がいいっち、ね?」


「でも……森田さんで」



「あっ! 彼女さんがいるんやろ? 大地君、しんけんカッコイイから」


「い、いないです。彼女」



 いたことないです、生まれてこの方。


 さっきから『しんけん』って、『凄く』とかの意味かな? もしそうなら、『凄くカッコイイ』ってこと?


 あーー、あれか。お店でも年上の常連さんは、みんな優しいもんな。ラブちゃんのこともあるから、お姉さんは、いや森田さんは、特に気を遣ってくれてるんだな。



「そうなん!? ホント? じゃあ大地君、年上の女性は好すかん?」



 『すかん』? 好きじゃないってこと? 好きってことか? さすがに全然違ったら嫌だな。ニュアンス的にはそうなんだろうけど



 答えを躊躇している俺に、森田さんは少し歩み寄って、斜め下から覗き込むように『うふふ、年上のお姉さんは、嫌じゃないですか?』と言い直してくれた。



 至近距離で見つめられた恥ずかしさより、俺は自分の臭いが気になってしまって。お姉さんから離れるように、半歩横にズレた。



「嫌じゃないです」


 お店のお姉さん方も、みんな優しいし。



「無理せんでいいんよ。逃げちょんやん」



 森田さんはさっきまでの優しい雰囲気とは少し違って、真顔で俺にそう伝えてくる。俺の行動が、完全に誤解されたみたいだった。



「違うんです! 違いますから。俺、汗かいてるし、臭いとか気になるから」



『さっきも言いよったね』っと、森田さんは眉間にシワを寄せて、不思議そうな顔をしている。



「だから、その、近付かれると」


「大地君、誰かに何か言われたん?」



「いえ、直接言われたことは無いんですけど」



 言われなくても、勘付くよ。


 過去、男友達が離れていったことはないけど、部活中は気にならなかったりするから。小栗は、なんだかんだで優しい奴だし。


 でも、この前のマスターの顔は、事実を物語っていたんだ。



「えっ!? も、森田さん?」



 リードを持っていない俺の腕に、森田さんが抱きつくように腕を組んできて、ちょうど俺の肩ぐらいに、森田さんの頭を軽く寄せてきた。



「うちも汗かいちょんけん、大地君、気になっちゃうんかな?」



 いや、森田さん、めっちゃ良い香りです。良い意味で気になります。


 って、違う! 離れないと、まずい!



 離れようとした俺の腕を、森田さんは最初よりもギュッと締め付けてくる。本日2度目の柔らかい感触が、俺に逃げることを諦めさせる。


 爽やかな香りと柔らかい感触に、少しポーッとしていた俺が、ふと我に返った時、森田さんは少し背伸びをしながら、俺の首近くの胸元に顔を寄せて、わざとらしく『くんくん』と鼻を鳴らしていた。



「森田さん!?」


「大地君の匂い、うちは好きよ。本当に」



「でも」


「じゃあ、うちだけは大丈夫。嘘じゃないから」



 もう一度森田さんは、俺の胸元に顔を近づけてくる。



「も、森田さん!?」


「彩乃っち呼んでくれたら……やめてあげます」



 表情を隠すように、俺の胸にぴったりとくっつきながら、森田さんはそう口にした。


 俺はこれ以上『くんくん』って嗅がれるのも恥ずかしいから、森田さんは先輩だけど……



「彩乃さん……で、いいですか?」



 なぜか彩乃さんは、俺の頭を『よくできました』っと、撫でてくれた。



 その光景を横で見ていたラブちゃんも、俺の足にしがみついて、頭を撫でて欲しそうにしている。



 俺は彩乃さんにされたように、ラブちゃんの頭を撫でてあげると『キャンキャン』と鳴きながら、今度はお得意の腹見せポーズをしてきた。


『クゥーン』と甘えた声を出してくるので、少しだけお腹も撫でてあげる。



 彩乃さんやラブちゃんと一緒にいると、本当に心が安らぐな。



「大地君はまだ、信じてくれてないかもしれないけど、うちはしんけん好きやに。大地君の匂い」


「彩乃さん」



「やけん、うちが大地君に近づいても、次逃げたりしたら、許さんけんね」



 再び俺の腕に彩乃さんの腕を絡めてから、笑顔で詰め寄られる。


 先輩に違う意味でかわいがられ、年上の兄姉きょうだいもいなかった俺には、甘えるってこういう感じなのかなって、そう思った。



「はい、もう大丈夫です」


「良かったぁ。あっ! 大地君はこの前の約束、覚えてますか?」



「連絡先ですか?」



『大正解』って言われた後、俺と彩乃さんは連絡先を交換した。



「大地君、寮なんやろ?」


「いや、違います」



「えぇ!? 通いよんの!?」


「いや、一人暮らしなんです」


「えっ……そうなんや」


「はい、両親に我儘を言いまして」



「高校生から一人暮らししよんなんて、凄いなぁ」


「ただ、我儘なだけですよ」



 俺がそう答えると、彩乃さんは『あっ』っと言いながら、急に立ち止まった。それに引っ張られるように、俺とラブちゃんも動きを止める。



「うちが大地君にベタベタしよるからって、軽いと思わんでな。違うんで、ホント違うんで」



 彩乃さんが突然、焦ったようにそんなことを言い出すのが面白くて、俺は笑いながら『大丈夫ですよ』っと返した。


 それが良くなかったのか



「信じてないですね? 全然信じてない」


「そ、そんなこと無いですよ」



『嘘や』と言いながら、彩乃さんはラブちゃんに抱きついて『ラブぅ、大地君、うちのこと軽い女やと思っちょん』と泣き真似をする。


 ラブちゃんがちょっと迷惑そうにしているのが、これまた面白かったけど……さすがにもう笑えなかった。



「彩乃さん、ホントですって」


「うちは、前住んでたとこでは女子校で、今も女子大やに。リザーレは編入やったけん、それどころではなかったから。初めは、言葉も馬鹿にされちょったけん……」



「俺は、彩乃さんの言葉、しんけん可愛いと思います」


「あっ! 大地君、酷い!! 揶揄いよんに」



 うん、彩乃さんの言葉、俺は好きだな。



「あははっ、でも、本当です」


「ふふ、大地君、そんな風に笑えるんやね」



 彩乃さんは続けて、独り言のような小さな声で『安心した』そう呟いたような気がした。ハッキリとは聞き取れなかったけど、俺の耳にはそんな言葉が届けられていた。


 そして彩乃さんは『うちも本当だよ』っと、グッと絡めてる腕を引っ張るように、あえて俺との距離を縮めてくる。


 今更ながら俺は、こんな状況が嬉しくも恥ずかしくなってボーッとしていた。


 彩乃さんは、スッとラブちゃんのリードを手に取り、ボーッとしていた俺は自然とその手を離していた。



「ねぇラブ、また大地君と散歩したい?」


『ワンワン!!』



「やって、大地君。また、一緒に散歩してくれんかな?」


「彩乃さんとラブちゃんさえ良ければ、俺は喜んで」



「うちもラブも大歓迎だよ。今日はすぅーーごく楽しかった! 大地君ありがとう」


「いや、俺の方こそありがとうございます。凄く楽しかったです。彩乃さん、家まで送りましょうか?」



「ううん。ここから近いんよ。ラブもいるから、大丈夫! それに……うんん。やっぱり大地君、優しいんやな」


「そ、そんなことは」



『大地君、またね』っと彩乃さんとラブちゃんは走っていた。



 彩乃さんは最初の出会いと印象が全然違っていて、この出来事が俺にはまだ、どこか信じられないような、そんな気持ちだった。



「ラブぅ、あれ以上大地君と一緒におったら、うち、大地君の家までついて行ってしまうにぃ」


『クゥーン』


       『あとがき』


SNS from 彩乃 to 大地



彩乃:「大地君、今日はありがとう」

大地:「俺の方こそです。しんけん楽しかったです」


彩乃:「また大地君、揶揄いよんに。うちもだよ。しんけん楽しかった」

大地:「彩乃さんの言葉、やっぱり可愛いです」


彩乃:「本気にしちゃうけんね」

大地:「俺はそう思いますから」


彩乃:「恥ずかしいよ。でも、ありがとう。大地君は、いつも何時頃ランニングするん?」

大地:「バイトがある日と無い日で変わるかもです」


彩乃:「え!? 大地君、バイトしちょんの? どこで働きよんの?」

大地:「カフェとかじゃない、普通の喫茶店なんです」


彩乃:「しんけん似合いそう! お店っち、うちには教えてくれの?」

大地:「喫茶 Night viewっていう喫茶店です。知ってますか?」


彩乃:「知っちょんよ! 有名で」

大地:「そうだったんですか!? そんな有名な店だって、俺は知らなかったです」


彩乃:「大地君、教えてくれて、ありがとぉ」

大地:「いえいえ」


ラブはおうちでお留守番やな。

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