罪も憎まず人も憎まず

shingorou

罪も憎まず人も憎まず

「これをどう見る?」

 大隈の同郷の友、江藤の首を無惨に晒した写真を前に、世間話をするかのように大久保は大隈に語りかけてきた。

 大隈の脳裏には、江藤の妻千代の大隈を詰る姿が焼き付いて離れない。

「大隈さんは酷い人です!何故、うちの人を助けてくれなかったのですか!」

 大隈は、何も言えなかった。何もできなかったのだから。

「ろくな裁判もせず、即処刑したうえ、曝した首を写真にまで取って公開するなど。とても、欧米列強と肩を並べて法を整備し、文明開化を推し進めようとしている者のすることではないですよ。我が国にとって大きな損失となるだけでなく、後世にまで残る汚点となることは間違いないでしょうね」

 大隈は、こみ上げてくる怒りに堪え、何とか冷静さを保ちながら答えた。

 六尺近い長身の大久保であるが、大隈の身長はそれを上回る。小柄な伊藤などは、大久保から感じられる威圧感に辟易としがちであったが、大隈はそれをものともしなかった。

 大久保は、大隈の自分を見下ろすような視線にイラついた様子を見せた。

「回りくどい言い方をしおって!言いたいことがあるなら、はっきりと言え!」

 大隈は、への字型の口元に嫌味な笑みを浮かべた。

「へえ、言ってほしかったんですか。言ってもいいんですね。だったら、遠慮なく言わせてもらいますよ。彼だって、最終的に死罪となることくらい覚悟していただろう!だが、罪人にも言い分はある。それを聞いたうえで、裁きを言い渡す、旧時代でさえやっていたことをあなたはあえてやらなかった!道理も、情けもない人だよ、あなたは!」

 本音を露わにした大隈に対し、大久保は冷徹に言い返した。

「罪を憎んで、人を憎まずか。肥前は甘い。だから、出遅れたのだ」

 江藤は、新政府に出仕したばかりの頃、同郷の暴漢に襲われて大怪我を負ったことがあった。これに対し、江藤は、罪人の言い分をよくよく聞いたうえで、慎重で公平な裁きを言い渡すようかつての主君である鍋島直正に申し入れた。残念ながら、江藤の進言は聞き入れられず、直正はすぐさま断罪に処したのだが。

 その直正は、保守的で日和見的だと言われがちなところもあったが、もともとは、温厚で寛大な人であった。そうであればこそ、肥前では、志士達に対して薩長ほど苛烈な弾圧はなされず、志士達はひとまず命ながらえて、何とか己の思うことができたのだ。

「私は、君達とは違う。私の行く手を阻む行いも、それをしようとする人間も、私は容赦しない!」

 大久保の挑発的な物言いに対し、大隈もまた皮肉気な笑みを浮かべて、大久保の執務室を後にした。

「私情では動かないと言い切るあなたも、他人から見れば、所詮己の勝手な都合で動いているに過ぎないんですよ、大久保さん」

 江藤の死から四年後。西南戦争で、大久保の同郷の友、西郷隆盛が敗死した。

「武士らしい立派な最期だったと聞きましたよ。かつての同郷の友に自裁させ、首を曝しものにしないだけの情けがあなたにもまだ残っていたとはね」

 自分を見下ろしながら吐き捨てるように言った大隈の痛烈な嫌味に、大久保は返す言葉さえなかった。

 その大久保もまた、西郷の死から半年後、暴漢に襲われ、命を落とした。

 さらに、月日は流れ。西暦1889年、明治22年。大日本帝国憲法が発布され、ようやく近代化の基礎が固まりつつあった矢先のこと。大隈の乗っていた馬車に、突然爆弾が投げ込まれた。大隈は、右足を負傷し、切断を余儀なくされた。

「これぞ、まさに失脚だな。ははは」

「御前!」

 嫌味でも強がりでもなく、豪快で大らかな様子で、笑えない冗談を言う大隈に対し、見舞いにきた江藤新平の次男新作は今にも泣きそうな声で叫んだ。

「行ってきてくれたんだね。新作君。無理を言ってすまなかった」

 大隈は、新作に対し、我が子を慈しむような優しい笑みを浮かべて言った。

 夫を助けることのできなかった大隈への恨みは、新作の母千代の中で消えることはなかった。大隈は、それを黙って受け止めたまま、遺児である新作の経済的援助を申し出た。

「これほどよくしてくださる御前のことを悪く言う私の母のことだけじゃない。御前を襲った犯人のことまで許すなんて!御前はどうかされています!」

 大隈を襲った犯人の青年来島恒喜は、事件直後隠し持っていた短刀で喉を突いて自決した。大隈は、新作に対して、来島の葬儀に参列して香典を渡してくるように頼んだのだった。それは、周囲から様々な非難を浴びせられて苦しんでいる来島の母への大隈の配慮でもあった。

 首を斬られた新作の父は帰っては来ない。その父を無惨な目に遭わせた大久保も凶弾に倒れて命を失った。大隈を襲った犯人も死んだ。

 だが、大隈は右足を失っても生きている。生きている者には、できることがまだまだあるはずだ。多くを語らない大隈から、新作はそれを教えられた。

 大隈は、罪も、人も憎まない人だった。それが大隈の強さであり、優しさでもあることを新作は分かっていた。

「私は、125まで生きてみせるよ」

「ほらまた、御前の大ぼら吹きが始まった!」

 磊落な大隈に対し、新作もまた笑って言葉を返した。

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