第三十三話 呉市内

 西暦2028年2月12日21時15分 広島県呉市郷原町付近国道375号線



 真下は一面明かりが見える。一定間隔の明かりが街灯で、それ以外は建物から漏れ出る明かりだろうか。

 木を隠すには森の中。人ごみに紛れてしまえば良い。

 透明化のマントがあるから必要ないかもしれないけど、念には念を入れよと言うしね。


「一旦降りよう」

「分かったよー」

「どうする?」

「なるべく人混みに紛れてしまいたい」

「夜だからかもしれないが、人が少ないのでは?」

「……そういえば、少なすぎるような気もするな」


 上空から降下していき、広めの公園を見つけたので危なげなく着陸した。



 同日21時15分 広島県呉市役所前中央公園



 街灯で周囲が照らされてはいるものの、必要最低限でしか無いので周辺の建物の全体像が分かりにくい。

 しかし、それなりに育った樹木を余裕で越える高さの建物を見たローナとセシルの二人が呆けた表情で見上げている。


「ねえねえ典男、ここって大貴族の屋敷の庭?」

「日本に貴族はいないと聞いていたのだが……?」


 二人の問いに俺は違うと手を振って否定する。


「多分ここは公園だ。貴族は廃れたよ。まあ、血統にこだわる家は今も残っているだろうな。こう暗くては分かりづらいし、日が昇ってから確認しても遅くはないだろう」

「絶対貴族のだよー」

「同意だ」


 向こうでの暮らしが固定観念としてあるからだろうな。二人のきっぱりとした発言で、逆にこっちの認識が間違ってるんじゃないかと疑ってしまいそうになる。


 それよりもまずは王様魔王様から受け取った宝石類を換金して、日本円を調達しなければ買い物すらままならない。

 公園に設置されている時計を確認すると午後九時を回ったところで店が開くまで半日くらい待たなければならないだろう。

 どうやって時間をつぶそうか。

 思案しているとローナに肩をつつかれた。


「ね、ね。あれ何?」


 時計の側にある駐車場の向こう側、木々の間から見覚えのある懐かしい看板と明かりが目に入る。


「……コンビニだな」

「店なのか? こんな夜に?」

「夜は夜で働いている人がいるからな。その人たちのために店を開いてるんだよ」

「どんな物を売ってるんだ?」


 カルアンデ王国や魔王領では、人は夜間は眠るものという一般常識だったためセシルは面食らったみたいだ。

 丁寧に説明すると俄然興味がわいたらしく、少し踏み込んできた。


「買ってすぐに食べられる物や飲み物、あと雑貨類を少しだけ取り扱ってるな」

「覗いてみて良い?」


 ローナとセシルはコンビニ店内に入りたいようだ。

 ……そういえば、二人に日本での社会常識を教える事はあっても、どんな物があるかについてはあまり伝えて無かった気がする。

 まあ平仮名、片仮名、よく使う簡単な画数の少ない漢字しか覚えられなかったからな。短期間とはいえ、良くできた方だろう。

 二人の願いを特に断る理由は無かったので皆で立ち寄ることにした。


「お金持ってないから買い物できないぞ?」

「お店の雰囲気だけ感じる事ができれば良いから」

「まあ、それなら」


 あれから三年近く経過したのだから、それなりに世間も落ち着いているはずだ。

 四人でぴったりくっついて行動するのも変だし、不可視の盾は解除しておこう。

 駐車場を通り抜けて行こうとすると、側にある建物に文字があるのを見つけた。

 IH〇アリーナ呉とある。

 呉と言えば広島県の呉市だが、広島なのかここ。東京から随分ずれたな。

 コンビニは道路を挟んで向かい側にあった。念のため交差点の横断歩道を渡ることにする。



 同日21時19分 ドーソン呉西中央店



「ガラスで出来てるのか、この扉。何と贅沢な」

「お店、明かりがついてるのにしまってるよ?」

「何言ってるんだ、人が出入りしようとすると開閉する仕組みになって……あ」


 入口の前に立って自動ドアがぴくりとも反応しない事に違和感を覚え、気付いた。


「どうした」

「マントで透明化してたの忘れてた」

「……つまり、マントを外す必要があると?」

「見つかると駄目なんじゃ……」


 二人を見る。残念そうな顔だ。

 仕方ない。


「俺がマントを外して中に入るから付いて来てくれ」

「大丈夫なの?」

「多分。それしか言いようがない」


 一旦店から離れ、防犯カメラが無い場所で誰もいない時間を見計らってマントを脱いで小脇に抱える。

 これで俺は丸見えだ。

 

「今から店に入るけど、会話は頭内通話にしてくれ。誰かに聞かれると厄介だ」

『分かったー』

『了解した』


◆     ◆     ◆


『目標呉市内中央公園で停止…………熱源が三つに分かれた』

『二人じゃないのか?』

『赤ん坊は母親とくっついているから、実質四人だろう』

『移動速度からして歩いている。目標はコンビニに立ち寄った』

『金銭を所持しているということか』

『衛星暗視映像を色付け加工しながらスクリーンに投影します』

『…………何も映っとらんな』

『熱源反応のある場所には風景だけで……いや待て、たった今一人出現したぞ』

『どうなっている?』

『コートのような物を畳んでいるな』

『……まさか、光学迷彩か? 実用化されたとは聞いた事無いぞ』

『映像から男は東洋人と推測される』

『中国が開発でもしたのか?』

『それは考えにくい。同行しているだろう母子の母は金髪だ』

『中国系欧米人かもしれん』

『どうする?』

『正体も目的も不明な以上、迂闊に接触するわけにもいかん。様子を見よう』

『現地に適当な調査員を行かせて、付かず離れず監視させる』

『それで行こう』

『衛星映像の解析結果から男は日本語を話す模様。若干遅れますが合成音声で会話を再現します』

『姿を現してない人物の発言もできるか?』

『呼気に含まれる二酸化炭素からおおよそ分かります』

『頼む』


◆     ◆     ◆


 コンビニの自動ドアをくぐり入り口から店内を見回す。センサーが俺を感知して短いメロディを流した。


「いらっしゃいませ〜」


 その音を聞きつけて商品整理をしていた店員が出迎えの声を上げるが、こちらを見ず目の前の棚にかかりきりだ。


『ローナ、セシル、店内を見て回るのは良いが商品に手を触れるなよ?』


 二人の了解した声を頭内通話で聞きながら店内を回る。

 懐かしい、本当に帰って来たんだなあ。

 今は何も買えないけど、早いとこ換金して……そうか。


「店員さん、すみませーん」

「はい、何でしょうか……?」


 呼びかけに振り向いた俺を見て固まる店員。

 まあ顔は日本人だが服装が魔王領の物だ。一応、現代日本風に作られた服を着て身綺麗にしてはいるが違和感が拭えないだろう。


「すみません、店員さんは地元の方ですか?」

「はあ、そうですが」

「観光に来たのは良いんですが、財布とスマートフォンを落としてしまって……腕時計を換金しようと思うのですが、この辺りに質屋はありませんか?」

「少々お待ち下さい」


 事情を察したようで、店員はスマホを取り出すと「質屋」と音声検索する。


「この店を出てからですね……」


 ここから一番近い場所と開店時間を快く教えてくれた。


「助かりました。お金に多少余裕ができたらここで買い物させてもらいます」

「ああいえいえ、この程度で気にしないで下さい」


 互いに頭を下げつつ、ローナたちを呼んで店を出た。


「どうだった?」

「凄いねー! 見たこともない品物が色々並べられてたよ!」

「戦前故郷の市場を訪れた事は幾度もあるが、ひとつの建物の中にぎっしりと緻密で繊細に取り扱われていた。もはや畏敬を抱かざるを得ない」


 ローナははしゃぎ、セシルは恐れをなしたようだ。まあ、魔法文明が発達してはいたものの中世から抜け出せてはいなかったからなあ。


「それでね、チョコレートとか言うのがたくさん並べられてたよー。近いうちに何かお祭りでもあるのー?」


 その言葉を聞いて、店内の新聞の日付を思い出した。


「ああそうか、バレンタインデーか」

「何それー?」

「毎年この時期になると、女が好きな男に贈り物をする大切な儀式だ」


 端的に説明すると、セシルがふむと頷く。


「それがチョコレートという物か。そもそもチョコレートとは何だ?」

「お菓子だ。それも凄く甘い」

「ほう」

「そのバレンタインデー? っていつなのー?」


 興味津々なローナに気圧されて素直に答える。


「確か、明後日だな」

「えー!?」

「もう目の前じゃないか」


 二人の驚きように俺は目を丸くした。


「俺に贈り物するつもりなのか? だったらチョコレートで良いぞ?」

「それで良いの?」

「贈り物を考えるのが大変だと思う場合は、貴方を愛していますという意味でチョコレートを贈る女もたくさんいるからな」


 うん、説明としては間違いではないはずだ。


「おお、それは何と情熱的な……」

「じゃあチョコレートにする!」

「私もそれにしよう」

「……照れるが、待ってるぞ」


 面と向かって好意を表されると、何と言うか面映ゆい。

 話題を強引に変える事にした。


「それはそうと、赤ん坊は大丈夫か?」

「眠らせていたからねー。起こすよー」


 魔法による睡眠の効果が切れた途端、赤ん坊は目を覚ましじきに泣き声を上げ始める。


「漏らしちゃったかな? それとも御乳かな?」

「一応、両方やっておいた方が良いと思う」


 ローナの言葉にセシルが応じる。


「分かったー。よしよし……どこかに長椅子なーい?」

「さっきの公園に行こう。確かあったはずだ」


 ちょっと手間だが仕方ない。なに、無ければ創り出せば良い。


◆     ◆     ◆


『チョコとは暢気な……』

『目標、公園に戻りました』

『調査員、目的地に到着』

『目標、移動停止。長椅子のある場所です』

『調査員、目標を視認』

『調査員へ。何をしているか分かるか? 逐一伝えろ』

『……男は背中を向けている。他には何も見えな……いや、もう一人出現した。金髪の母だ。やはりコートを脱いだ途端、視認できた。話に聞いた光学迷彩か? ……最後の一人は見えない。母が赤ん坊を椅子の上に寝かせた…………オシメの交換か?』

『そのために移動したのか』

『…………オシメの交換を終えた模様。続いて……母が胸元を……はだけた』

『授乳か?』

『そのようだ。……胸はそれほどの大きさではない』

『それは余計だ』

『必要かそれ?』

『真面目にやれ』

『申し訳ありません、ふざけすぎました。……ん?』

『どうした』

『いえ、その母と目が合ったような……』

『気づかれたのか? 接近しすぎだ』

『馬鹿を言わないで下さい、茂みの陰から覗いてるんですよ。見つかるはずが……母が男に何か言って……やばい、男が振り向いてこちらを睨んでる』

『さり気なく急いでそこから離れろ、今すぐ!』

『了解……あれ!?』

『どうした』

『車が動かない』

『何をしてる』

『目標の一人が調査員に接近中』

『何だこれ、アクセル目一杯踏んでるのに進まないぞ!?』

『はあ!?』

『畜生、スリップしてやがる! 何でだ!?』

『目標の一人、調査員に接触します』

『おいこら、覗き魔……ってHECOMUの車とその警備員?』

『…………』

『何で有名警備会社なんかが覗きを……? いや待て、てことは自衛……防衛省か? うーん、人手不足なのか……? そもそもどうやって……人工衛星か航空機で追跡されたか?』

『……こいつ』

『馬鹿ではないようだ』

『最終的に防犯カメラで場所を特定された、と。……まあそんな事はいいや。俺の妻に何してくれてんだ。覚悟はいいな?』

『えっ妻!?』

『何だ』

『どう見てもあの娘十代半ばだろ、お前幾つだよ!?』

『四十越えてるが』

『犯罪者め!』

『馬鹿野郎、一服盛られて犯されて気づいたら出産間近で認知するしかなかったんだよ』

『えっ』

『何?』

『は?』

『くっそ羨ましい』

『死ね』

『おい誰だ今何か言ったの』

『選べ。半殺しにされるか死ぬまで女を見る度に興奮してところ構わず勃起する呪い、どっちが良い?』

『…………』

『やっぱり暴力は良くないな。勃起する呪いにしよう。それではおやすみなさい』

『……………………』

『…………Aからの応答が無くなりました』

『…………えー…………どうする?』

『呪いとか意味不明ですが、調査員Aはもう無理ですね。別の者を複数、新たに派遣しましょう』

『……そうするか。ああ、Aの回収を忘れるなよ』


◆     ◆     ◆


 夜が明けてから背嚢に入れていた保存食を朝食として胃袋に収めた後、公園でしばらく時間をつぶしてコンビニ店員に教えてもらった質屋へ向かった。



 同年2月13日10時6分 つるや質店



「ごめんくださーい」

「はーい、いらっしゃい」


 店の中に入りながら挨拶するとカウンターに初老の男性がいて本を読んでいた。


「ここ、換金できますか?」

「できますよ。品物は何でしょうか?」


 背嚢を下ろして中から綿でできた包みを取り出し広げる。


「これなんですけど」

「これは……ダイヤモンドですね」

「大まかに、幾らになります?」

「ちょっと待って下さい」


 ルーペを取り出し手袋をした男はダイヤモンドのひとつを摘まむと観察し始める。


「…………うーん、きちんと加工も研磨もされてないから手間暇を考えると……ひとつ二万円くらいですかねえ」

「それでは、これだけ換金してほしいんですけど」


 同じ包みを幾つも取り出して開ける。


「えっ? えっ?」

「今調べてもらった物と全て同じくらいの大きさのやつです」

「……おたく、これをどこで?」


 買い取り価格は安いが、数が数だ。不審に思うだろう。少し嘘を交えた真実を話す事にした。


「知り合った見ず知らずの人の命を救ったらお礼にいただきました」

「ええ……?」

「高価な物もあったようなんですが、さすがにそこまではと断ったら、これを」

「はあ」

「個人所有の山から採れたそうなんですが、踏み込むのもどうかと思ったので訊きませんでした」

「はあ」


 ただ相槌を打つだけになった男に問いかける。


「それで、換金していただけるので?」

「…………まあ良いでしょう。となると、出処不明ということで納税証明書書きたくないんですよね?」


 納税証明書?


「……何それ?」

「買い取り額が年間二百万円を超えると必要なんですよ。証明書には住所氏名の他、宝石をどこでどうやって手に入れたのか細かく書かなければいけません」


 何それ聞いたこと無い。


「ええ……そんなに面倒くさいのか……?」

「どうされます?」

「……じゃあ二百万きっかりでお願いします」

「まいど」


 金庫から出してきた札束を数えて間違いないか確かめると大半を背嚢に入れ、十万円を懐に入れた。


「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」

「機会があればね」


 店主の言葉を背に店を出た。


「どうだったー?」

「換金できた。ほれ、二人に一部渡しておく」


 一人十万もあれば事足りるだろう。


「ありがとうー!」

「ありがたく使わせてもらうよ」


 まずは二人にお金の大切さを学んでもらおう。向こうとこっちじゃ、物価が違いすぎるからな。


◆     ◆     ◆


 スマートフォンの電話のベルが鳴った。


「はい、つるや質店です」

『今から質問する。正直に答えろ』

「…………?」

『今出て行った男と何をした?』

「…………どちら様です?」

『質問しているのはこっちだ。何をした?』

「…………あまり価値の無いダイヤモンドを換金しました」

『……出処は?』

「納税証明書の必要の無い額でしたので聞いていません」

『…………』

「見ず知らずの人の命を助けたらお礼にもらった、としか」

『…………ブツッ、ツーツーツーツー』

「…………あの男、一体何をやらかしたんだ……?」

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