遠い昔の記憶

このしろ

第1話 

遠い昔の記憶。

普段、何気なく生活していれば思い出すことはなく、だけどふとオフィスの窓から青い空を見上げた時だけ、なぜか思い出すような、そんな脆い思い出。

「っ.....!」

「ご、ごめんなさいっ!」

脇腹に衝撃が走り、一歩よろめいてしまうのと同時に、バラッと地面に紙が散らばった。

一面には文字の羅列。

何かの書類だろう。

僕のではない。眉毛を歯の字にしながら忙しくしている目の前の女性のものだ。

「...手伝います」

「ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!」

平謝りしながら間髪入れず紙を拾う姿はさぞ器用なものだった。

「あ、あれ、もしかして、営業部の西宮さんですか」

「そうですけど...」

「やっぱり!今日のプレゼンに同行させてもらう雪乃と申します!」

「どうも...雪乃は名前ですか?」

「あはは〜...よく言われるんですけど、一様苗字です。いちよー。そ、そんなことより西宮さん! 時間がっ!」

「ん? うわっ!」

腕時計を見ると集合時間までもう時間がなかった。

「急ぎましょう!」

書類を拾い終わった僕たちは、雪乃さんの声を合図にそのまま外へと走った。


「以上で、プレゼンテーションを終わります。ご清聴ありがとうございました」

小さな密室。

強面のおじさん...いや、今回の商談相手を前に雪乃さんの澄んだ声が響く。

拍手も何もない。

プロジェクターの光だけが、前だけを照らす。

言うまでもなく、今回も収穫は無さそうだった。

側で雪乃さんの様子を見ていた僕はまたと言うべきか、そっと唇を噛んだ。

雪乃さんが悪いわけではない。

ただ、商談相手は僕たちと同時に、あくまで商品を見ている。

プロジェクターが消え、部屋に明るさが戻る。

最初に動いたのは、最後列に座るスキンヘアの中年男性だった。

「説明は悪くないんだけどねー、申し訳ないんだけどそれ、うちの会社に紹介するものじゃないんじゃない?」

「というと?」

雪乃さんがまっすぐ社員を見る。

「我が社のユーザーには20から40代の女性が多い。たしかに、君たちが今回提示したマスコットを使って我々のグッズを宣伝するのは元を辿ればたしかに提案したのは我々だが、君たちが今回持ってきたのはどうみても子供向け、もっといえば会社が築き上げてきた商品のあるべき姿を壊してしまうものだ」

ぐうの音も出なかった。

側で見てる者として何か言い返せればよかったが、何もできず、それは雪乃さんも同じで、射抜くような目線は下に下がっていた。

「出直してきたまえ」

「......大変申し訳ありませんでした」

最後の一言だった。

すっかり聴きなれてしまった一言を後に、会社に背中を向ける。

「すみませんでした、私のせいで......」

「別に雪乃さんのせいじゃないから」

「私、前に所属していた会社でもこんな感じで、回ったどこの会社にも自分が考えた企画が通らなかったんです」

紅に染まった夕日が、雪乃さんの顔にあたる。

「でもどうしても企画をやりたくて、自分の提案した商品が世の中に受け入れてほしくて、今回は自信があったんですけど...やっぱりダメでした」

声もぷるぷると震え、プレゼンをしていた時の雪乃さんの声とは打って変わって、まるで縮こまる小動物のような雰囲気を発していた。

「す、すみません、変なこと言っちゃって......。めげててもダメですよね。明日からも頑張らなくちゃですよね」

実際に泣いていたらしく、目元を拭っている姿からは目を逸らした。

企画なんて通らないのが定石。

提案したものが受け入れられた時は道端で四万円拾ったのと同じ価値があると、嫌な上司から忠告を受けたことがあるが、今となってはその言葉の意味がよくわかる。

自分も雪乃さんにどうこう言える立場ではないし、まだまだ頑張ろうとしている雪乃さんの方が立派なのかもしれない。

この後の予定は特にない。

次の会社へ回るのための準備をまた明日からしなければいけないが、どうせこの状態ではオフィスに戻ってもまともに仕事はできないだろう。

「あの、西宮さん」

「ん? どうかされました?」

「こ、このあとお時間いただけたりしますか......?」

突然の問いかけに一瞬戸惑ったが、よく考えれば、雪乃さんとは今日会ったのが初めてでお互いあまり面識がない状況だった。

「よかったら挨拶も兼ねてご一緒にご飯とか......どうですか。あ、いえ、全然無理にとは言いませんので」

「大丈夫ですよ」

「ほ、ホントですか!よかった!」

今後の予定で雪乃さんと仕事が被ることは大いにあり得る。

不用意に嫌悪感を抱かれるよりなら、ちょっとくらいお互い和める場も必要かもしれない。

それに雪乃さんも結構ダメージ食らってそうだし......。

どうやら行きつけの場所があるらしく、僕は適当に世間話をしながら雪乃さんの隣をついていく。

そういえば、誰かと一緒にご飯を食べに行くなんていつぶりだろうか。


「かぁぁあーっ!! たまんねーっすわっ!」

ガンッ!と机に空の便があたる。

「マスターもう一杯!!」

「バーじゃねっつうの! たく、相変わらずの飲みっぷりだね雪乃ちゃんは」

「ヒック」

顔を真っ赤にした雪乃さんに向かって、店長らしき男がやれやれと厨房に戻っていく。

僕はそんなやりとりを前にしながら、運ばれてきた肉を鉄板の上でおどらせていた。

「なによぉー、そんなに私の顔みちゃってよぉ」

「いや、意外な一面が見れた気がして」

今日が初対面だが、雪乃さんは比較的真面目で仕事にも真摯に打ち込むような人だと思っていた。だからこそ仕事のことで真剣に悩んで前向きで、いつまでも自分のやりたいことに向かっていける、そんな人だと思っていたが、ふらふらになってる雪乃さんを見て心の中の何かが緩んだ気がした。

それと机上の空き瓶の数が半端ない。

僕は水一杯しか飲んでないのに。

「雪乃さんもちゃんと人間でよかったです」

「ぶふっ! 西宮さんは面白いこというねー」

酔っているせいか、敬語がなくなっている。

別に問題ないが。というか、どっちが年上なのだろう。今の会社には僕が先に入社して、先輩みたいになっているが実年齢の方がわからない。

まあ、女性に年齢を聞くのは野暮だと思い、じわじわ焼けてく肉を眺める。

「西宮さんはおいくつなんですか」

タイムリー。

「26です。新卒で入って2年目です」

「あ、私と一緒じゃないですか!やったね、同い年!私、なんか知らないですけど、同期と仕事やったことなくて、腐れ縁ですかねー」

「なんの腐れ縁ですか」

「えへへー」

ダメだ。この人完全に出来上がってる。

「はいよ、生おまち!」

「ありがとー、師匠!」

また店長らしき人が、雪乃さんの前に瓶を置く。

少しだけ雪乃さんの腎臓の作りが気になる。死なないかこの人。

「そういえばなんで師匠なんですか?」

僕が聴くと、今にも倒れそうな雪乃さんが、

「あー、ここ大学の時のバ先なんだよねー。で、師匠はその時一緒に働いていた面倒見のいい人だったわけ」

「だから師匠?」

「そうそう!」

でもさーと、雪乃さんが続ける。

「私、西宮さんが普通の人間でちょっと安心したかも」

「雪乃さんも面白いこといいますね」

「さっきの西宮さんのお返しです」

ぶーっとふぐみたいに頬を膨らます雪乃さんだが、まるで威厳がなかった。

ただ声のトーンは少し真面目そうだった。

「知ってます? 西宮さんって社内でも無愛想な人って評判なんですよ」

「初耳です」

うそ。本当はちょっと知ってた。

「まあ、自覚はあります」

「うへー、態度わるー。でもさ、今日の帰りも私の愚痴を聞いてくれてたし、書類落とした時もちゃんと拾ってくれたし」

「もしかしてわざと書類落としたとか?」

「すみません。同行する人がどんな人か知りたくて」

「普通に話しかければよくないですか」

「一回話しただけじゃ、人の本性なんてわかりませんもん」

はぁーとため息をつく。

変わった人だ。変わった人だが、同時になんとなくわかる部分もあった。

本当に面白いのは僕なんかじゃなくて、雪乃さんのほうかもしれない。


焼肉どころか外で食事をすることが昔から少なく、こういう社交の場になると、世間知らずが露呈する部分がある。

周りの連中は知ってるのに自分だけ知らない。

友達もいなかったし、実際に社会人になるまで、僕は本当に何も知らなかった。

「ほれ」

「え、あ、ありがとうございます」

「坪焼は焼きすぎるとなくなっちゃうからね」

「なんかすみません」

「あんまり焼肉とか来たことないかんじ?」

「まあ、あまり......」

いや、違うな。僕は今でも本当に何も知らない。


1時間くらい経っただろうか。

店のざわめきもおさまりつつあったころ、雪乃さんが机に突っ伏していた。店長はカウンターで新聞を読んでいる。ラストオーダーも終わり、あとは片付けるだけなんだろう。

少しだけ外の空気を吸いたくなり、外に出ようと足し所で、なぜか店長がこっちを見て上、詳しくは2階を指差していた。

2階に行けということだろうか。

狭い螺旋階段を登り、ちょっと進んでドアを開けると、屋上があった。

思わず息を吐く。

無数の星々が輝いていた。

八方にはビル群の明かり。

夜なのに、改めて都会だと感じてしまう。

「いたいたー、もしかして店長に教えてもらいました?」

振り向くと、雪乃さんがいた。

「酔いは冷めたんですか?」

「うん、こう見えてもお酒には耐性があるのですよ少年」

「自慢にならないです」

「あはは」

二人で手すりに寄りかかり、夜風を浴びる。

なんとなくこうやってなんでもない時間を過ごすのは久しぶりかもしれない。

「雪乃さんをみると、たまに思い出すんです」

「?」

「今までは青い空だった。だけど今日、全力で何かにひたむきになってる雪乃さんをみて、遠い昔の記憶を思い出したんです」

「遠い昔の記憶?」

突然の語りに、雪乃さんは隣できょとんとなる。

当然だ。

自分でもなんで、こんな話をし始めたのかわからない。

「それってどんな......?」

だけど雪乃さんは、やさしく続きを促す。

なんとなく思い出す。

そういえば彼女も雪乃さんみたいに、全力で笑って、泣いて、悔しがって、夢を追いかけて、だけどちょっと変わっていた。

これが恋心かどうかなんて今となってはわからないけど、遠い昔の記憶でしかないけれど、たまに思い出してしまう。

きっと、雪乃さんを見るたびに思い出してしまう。

「少し聞いてもらえませんか」

僕はそっと遠い昔の記憶を話し始めた。


_。

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