祭りのあと
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しかしそれは表の役割であり、真の名は倭の国を異形の脅威から守るために暗躍する秘密部隊、
幕領直属の御役には御三家とよばれる三つの家が代々配されている。鬼を殺す専門部隊“八咫”を率いる織田家に対し、忍びの一族である猿飛家が擁するのは隠密部隊“猿飛”だ。諜報活動のほか、他の家と連携して終いの痕跡を消す事後処理も担う。
程なくして到着した猿飛の部隊によって、鬼の遺体をはじめ現場は淡々と処理されていった。
ハナは急かす蘭と篝に無理を言って、猿飛たちが作業を終えるまで広場の隅に留まらせてもらった。
猿飛に同行してきた医者に、ハナは腕の傷と鼻緒で痛めた足の処置をしてもらった。
蘭に掛けてもらった一回り大きな着物に包まれながら、終い役として猿飛と連携する蘭たち、そして彼らの持つ灯りに照らされてゆらめく巨石をぼんやり眺めていた。
軍服の男性もまた、腕を組んで直立し、一連の様子を厳しい顔つきでじっと観察していた。
その足元で項垂れたままの少年にハナは気づく。
医者に声をかけたものの、鬼は診ないと突っぱねられた。せめてと止血帯などの救急用具を拝借し、ハナは少年にそっと声をかける。
「あの、お怪我のぐあいはいかがですか」
少年はゆっくりと顔を上げる。意外にも彼の表情は平静だったが、首の傷は真っ赤に波打った包帯の下に皮膚がぱっくりと割れたままで、ハナは少しだけ慄いた。
少年より先に男性が口を開く。
「これにお心遣いは無用です。貴様は早く傷を治さんか」
少年は心底うんざりしたように男性を見上げた。
「ヴァンパイアの再生能力は魔法じゃないんだ。血は止まってるんだからこのままでも……」
「でも不衛生です。包帯を替えますから、上を向いて」
意を決してハナは言い放ち、少年の首元に触れた。
ぼろぼろの包帯は血のせいで皮膚とくっついているので、慎重に剥がしていく。間近でみると、常人なら致命傷になるほど深く切れているのがわかる。
折れた骨は完治しているのだろうか、ハナには知るすべがない。
「ごめんなさい、わたしのせいでお怪我をさせてしまって」
「べつに貴女のせいじゃないよ」
つんとした物言いに、恐る恐る少年の表情を伺うと、意外にも少年は心地がわるそうに視線を迷わせていた。顎を上げてじっとしているのが、まるで異性に触れられて緊張している年相応の男子のようだ。
ハナはほっとして、それが先に感じたことのある安心感であると気づく。
思えば鬼女に対して少年は一貫して嘲るような態度をとっていた。鬼――“ヴァンパイア”の生存本能を蔑み、人間と同じように娘を愛する母親の気持ちを攻撃的なことばで荒らした。彼の目はつねに冷めていて、そこにあるのは黒く沈殿した血の塊のようだった。
そんな少年の目は、ハナがリウカを助けたいと言ったとき、はじめて感情の炎に揺れた。
助けるなんて無理だ、ヴァンパイアと人間は殺し合う運命、生きているなら殺すべきだ――そうはっきりと絶望を語ったのに、ハナはその時、彼が生きていることを実感して安堵したのだ。
大怪我を負った少年が今こうして生きていることが、彼が人間ではないことを証明している。
そんな彼は鬼が人を食って生きることを侮辱し、鬼を殺すために躊躇なく死者を冒涜することを提案し――それでいて鬼女に自ら血を差し出したのだ。それはただハナを庇うというには執拗でさえあった。
この少年はなにを考えているのだろう。
汚れた包帯をすべて取り去り、濡らした脱脂綿で傷口を拭う。血のかたまりが溶けてじわりと滲んだ。
「……すべてのいのちは尊いです。あなたも、リウカさんも」
口をついて出たのはそんな言葉だった。
裂傷に綿紗をあてて新しい包帯を巻く。傷口になにも塗ってあげられないのがもどかしい。
首筋に触れた指先から、彼の血管の脈動が伝わった。
少年は重苦しい声で呟いた。
「殺さなければ生きられない存在が、そのいのちと同じ価値であるはずがない」
「同じです。だって生きているんだもの。あなたも……」
少年がふいに顎を下げたので、ハナは手を引いた。
その時ハナは、こちらを見るその赤い目をはじめてきれいだと思った。
「私が生きてるようにみえるかい?」
それは彼が初めて見せる感情――泣きそうな笑みだった。
蘭に人と鬼どちらの味方かときかれた彼は、どちらでもないと言っていた。それは一体どういうことなのだろう。
彼の全身を這う
わからないが、ハナは少年の言葉に大きく首肯した。
巻きかけた首の包帯を再びあてがい、端を細く切って結ぶ。ぎこちなく首に手をやる少年にハナは語りかけた。
「あなたがわたしを守ってくれた、それはとても尊いことです。あなたがこうして生きてくれていることが、わたしはとても嬉しいのです」
少年は目を見開いた。揺れる赤いひとみには、驚きだけでなく不安と混乱が見て取れた。唇が震えていて、彼は小刻みに首を横にふる。
「……なぜ……」
それ以上言葉がでてこない少年の、白い手をハナは握る。
彼がなにを思っているのかはわからない。彼のことをなにも知らない自分に言えるのはこれだけだ。
ハナはありったけの心を込めた。
「守ってくれてありがとう」
少年は呆然と、握られた自身の手に視線を落とした。ハナはぎゅうと力を込める。
少年ははっとしてハナの顔を見て、もう一度手を見て、またハナの顔を見た。
ニッコリと微笑みかけると、少年はやっと我に返ったように瞬きをして、真顔のまま慌てて手を振り払う。
「……いい、もう、治ったから。もういいから、触らないで」
ぶっきらぼうに言いながら少年は首元を隠してそっぽを向いた。
屋敷へ帰ったら改めて薬師に診てもらおうとハナは思った。
軍服の男性は傍らで二人の様子を黙って見ていた。その眉間に刻まれた皺がより深くなる。
ハナと少年の手が離れたところで、男性は少年にむけて厳かに口を開いた。
「貴様はまだ生き長らえる。神の慈悲に感謝することだ」
首の包帯に触れながら、少年は乾いた笑いを漏らす。
「どさくさに紛れて野垂れ死んでたほうがきみたちも都合がよかっただろうに。ああでも今死んだらきみの責任になるね」
その流暢で卑屈な口調は、彼が平常を取り戻したことを表している。男性は少年を睥睨した。
「もとより死に損ないの貴様など、恥を晒して生きる以外に価値はないのだ」
「そんな私を警護して異国くんだりまで来てるきみはさぞ価値のある“クロウ”なんだな」
「貴様……」
なおもにやつく少年に、男性が拳を握り白手袋をはめ直す仕草をしたので、先の折檻を思い出したハナは咄嗟に二人の間に割って入った。
「けが人なんです。乱暴はやめてください」
少年の前に腕を広げて庇うと、彼はじいっとハナを見つめた。男性は一呼吸おいて拳を解き、ハナに掌を見せつけた。
「ああマドモアゼル、誰彼かまわずお優しさを振りまかれてはいけません。此奴は人間ではないのですから、なにをしでかすか……」
男性が言い終わる前に、浴衣の袂を引っ張られる。
ハナが目を向けるやいなや、少年はぐいっと顔を近づけた。皺のない陶器のような白い肌、くっきりとした二重瞼、ひとみはまるで紅玉のようで吸い込まれそうになる。
主人の顔ですらこんなに至近距離でみたことはないのに。ハナは一瞬呼吸が停止した。
顔を傾け、少年はいじわるに八重歯を見せる。
「ねえ、貴女のこと好きになってもいい?」
「はあっ?!」
ハナが反応する前に、戻ってきていた蘭がドスの効いた声を上げる。男性の鉄拳が今度こそ頭を直撃し、少年は撃沈した。
「おハナを口説くなんていい度胸、アンタあとでまこちゃんに殺されるわよ」
頭を押さえて電波のような唸り声を上げる少年を横目に、蘭はハナを抱きしめたまま離そうとしない。
ハナはいまだに心臓がどきどきしているのを悟られないかそわそわしていた……やはり少年がなにを考えているのかさっぱりわからない。
ふと気づくと、他の猿飛たちは音もなくすでに去っていた。
がらんとした広場には猿飛たちの置いていった提灯が中央に祀られた巨石の前に等間隔に並んでいる。石の陰から現れた篝がそのうちの一つを拾い上げ、溜息まじりに歩いてきた。
「丸森さまも大目玉ですよ。此度の顛末、ハナさまのお怪我について
「やだわっ、モンちゃんのいけず!」
「その呼び方もおやめください」
「間違ってはいないわよぉ、猿飛だからもんきぃ、つまりモンちゃん。カワイイじゃない」
二人の会話をきいたハナはそこではじめて、肝心なことに気づいた。異人の二人を見る。
「えっと、そういえば、お二人のお名前は……」
「……丸森さま。まだ顔合わせもしていなかったのですか」
篝がやけに落ち着き払った声で言ったので、睨まれた蘭は視線を泳がせてから強引に篝の肩を組んだ。
「後でゆっくりしようと思ってたのよ! ほら、こんな場所じゃあれじゃない! 死体も転がってたし」
篝は長めの溜息をついて自身とハナから蘭を引き剥がした。
篝に導かれハナは男性の前に進む。
こうして改めて向き合うと言いようのない圧を感じる。それは体格差や相手が異人であること、またはその顔がずっと顰めっ面なこととは関連がない。
皺や汚れのない軍服は生地に厚みがあり、金銀糸の刺繍や釦、
「ハナさま、“れいゔん”の“しゅないだー”さまです。こちらは織田の御内儀、ハナさまです」
篝からの紹介に、男性――シュナイダーの顰めっ面が一瞬で仰天に剥かれた。彼は即座に傅き、左胸に手をあててハナに深々と頭を下げる。
「無礼の数々をお許しください、
「あーあー、おーけぃ、わかった!」
一息で続けようとするシュナイダーの声を蘭が遮った。よく聴き取れなかったが蛮ことばがたくさんでてきたような気がして、ハナは一気に疲れという重力を感じた。
蘭はそんなハナを横目でちらりと見て、シュナイダーに向かってにこやかな笑みを見せた。
「おハナは八咫じゃないのよ、仕事の話はまこちゃんと合流してからゆっくり訊かせてもらうわ……真面目な騎士様がその
語尾が下がったことにシュナイダーは機敏に反応した。もともと目つきが鋭いだけなのだろうが、シュナイダーに凝視された蘭もまた笑顔のまま目力を込めて見つめ返す。
双方に交互に視線を配る篝の隣で、ハナはごくりとつばを飲んだ。
彼らは主人の仕事仲間、つまり鬼――ヴァンパイアを狩る者たちだ。彼らの間にハナの入る余地はない。
目を逸らした先で赤いひとみとかち合った。
はからずも見つめあい、少年は困ったような笑みをうかべる。
彼は狩る側にあって狩られる側、自分とおなじはぐれ者だ。
ハナは少年に歩み寄る。
「お名前をうかがっても?」
少年は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにぐれた笑みを戻し、わざとらしく肩を落とす。
「失恋相手に名乗る名前はないよ、マダム」
強がりなのか皮肉屋なのかわからない彼がとても愛らしく思えて、ハナは笑った。
「主人に紹介したいのです。わたしの命の恩人だって」
ハナの言葉に、少年は真顔になってふいと背をむける。
赤い瞳が揺れていたのを見逃さなかったハナは、彼が不機嫌ではないと確信していた。
ふたりのやりとりに気づいていたシュナイダーは大きな溜息をつき、それより大きな音で少年の肩を叩いた。
「さっさと名乗らんか、無礼者」
しばらくの間のあと、かすかな声がハナの耳に届いた。
「……オズワルド……オズワルド・メイヤード」
ハナは笑顔を咲かせ、彼に向かって右手を差し出した。
「おずわるどさん。私は織田ハナといいます」
――右手の間を、柔らかい空気が撫でる。
熱くも冷たくもない、ぬるくもなく湿気もない、それは人の手のひらのぬくもり、体の内側を流れる血のように、じんわりとあたたかい。
木々は騒がず、音もなく、ただ孤独な巨石の紙垂だけが揺れていた。
誘われるように振り向いた彼は右手を握りしめていた。長い逡巡ののち、ゆっくりと差し出されたその手を、ハナはしっかりと握る。
生きている温度……ハナはいつまでも覚えていようと思った。
少年――オズワルドはぎこちなく、しかし安心したように、やわらかく微笑んだ。
【完】
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