ひとおにの子ども

松本貴由

祭囃子

1

 だんだんと遠ざかる祭囃子を聴きながら、ハナは駆けていた。


 ハナの目線の頭一つ分下の位置には少女の乱れた黒髪がある。整えられた伸び方ではなく、また痩せた四肢にぼろを着るというよりくるんだだけといったようなその姿を目の前にして、ハナは少女に初対面でいきなり手を引かれたことを不審に思わなかった。


をたすけて」


 たったそれだけの呟きでじゅうぶんだった。

 少女はハナの手をしっかりと握って、脇目も振らず森の中を突き進んでいく。ハナよりずっと小柄で、さほど大股ではないはずなのに、少女の1歩はハナの3歩に匹敵するようだった。


 転ばないようできるかぎりの小走りで、ハナは少女についていく。山脈に囲まれ夜でも暑さが残る郷里とは違い、このくにの夏をハナは過ごしやすく感じていた。

 日が落ちて随分経ち、祭りの熱気から遠ざかっているならなおさらだと思われたが、ハナの眉上で切り揃えた前髪は額に張り付いていた。

 こうして森を駆け抜けることなど久しくなかったからだろうか、走りながら呼吸を整えることに注力しているからだろうか……はたまた、少女の呼吸がまったく乱れていないからか。


 慌ただしく足を動かすたび、薄桃と淡青の2色を配した浴衣の裾がぴんと張る。

 赤塗の小町下駄は今日の祭りのために新調した。

まだ硬い鼻緒が足の甲の血管に擦れ、前つぼに力が加わって足の指に食い込む。


 今頃は神輿のお練りが大通りにさしかかるころだろうか。

 町人も農民も、商人も役人も旅人も、新参者も古参者も、老いも若きも男も女も、この日ばかりはみな酒を交わし肩を組んで騒ぐのだ。

 

 ――馳走と囃子と赤ら顔に集まるのは人間だけではない。

 森羅万象に宿る神、このくに古来よりの信仰、八百万百神をもてなし祀るための儀式。それが祭りだ。


 ひょろろと独特の伸びをきかせた篠笛と、重軽が連なる太鼓、しゃんしゃんと清らかな鉦。神輿を担ぐ若衆の掛け声はねじり鉢巻きにはだけた法被の下の汗までも連想させる。

 

 ――祭りに集まるのは人間と神、だけではない。


 ハナは走りながらそっと振り返った。

 やや雲が出て月のかくれた夏の夜空。ひしめき合う熱気と松明のあかりで煌々と賑わしい下町の光景は、鬱蒼とした森を深く進むハナには想像するより他ない。

 視線をもとに戻そうとして、その途中でハナの眼は森の中に聳える石碑を捉えた。



――阿闍梨あじゃり坂鬼子母神之塚――



 額から流れ出た汗が、眦に入りそうになってハナは強く瞬きをして首を振った。








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