第3話 笑顔

 7月28日。


 俺が通う高校は、今日が1学期の終業式だ。中学校までは1週間くらい早かったんだが。


 そのことに多少文句を言いたいところだが、今は言うまい。


 何せ、明日から夏休みだ。夏休みを満喫できるのは、今年で最後。来年は受験生だから、おそらく勉強漬けになるだろう。大学生になればもっと長い夏休みがあるらしいが、それも受験を乗り越えなければやってこない。

 

 というわけで、今年までは気楽に過ごそう。


 課題が唯一の難点だが、頑張れば1週間で終わらせられる量だ。


 俺にしては珍しいほど愉快な気持ちで教室をでようとするが、


「明日から夏休みだね」


 お決まりのあれだ。


「…………そうだな」


 来るだろうとは思っていたが、いまだに話しかけられることに慣れない。


 後ろ手に扉を閉め、外の暑い空気を遮断する。


「朝陽くんは、夏休みの予定とかあるの?」


 俺が妙な気遣い(勉強するなら図書室の方がいいと言ったこと)を見せてからというもの、挨拶だけでなくこんな風にちょっとした話題もふってくるようになった。


「別にないけど」


 俺も、結局は話しかけるなと言うことができなくて、ただ無愛想な態度をとるだけ。


「そっかー。まあ実際は家でごろごろするくらいだよね~、夏休みなんて。私もそうだし」


 毎度のことだが、大した意図もないのに会話を続けないでほしい。俺だって気まずいと思うことはあるんだ。


「じゃあな」


 だから、これも毎度のことだが、俺の方から先に会話を断ち切ってしまう。


「あ、ちょっと待って!」


 でも、今日は違った。


 一方的に背を向けようとする俺を、いつかの時みたいに、呼び止めた。


「なに?」


 そいつは、うざったらしいほど長く伸びた髪を手先でいじりながら、うつむいている。


「あ、あのさ………」


 上目遣いで俺を見つめるその表情は、何か言いたげな様子だ。桜色の頬には赤みが増している。


 しばらく沈黙が続き、いつになったら話を切り出すんだと思った矢先、真後ろの扉が開く音がした。


「遥~」


 振り向くと、そこに立っていたのは、活発そうな女子生徒だった。


 肩の辺りで切り揃えられている髪が、その印象を強くしているように思える。


 誰かを呼んでいるから邪魔になるだろうと思い、場所を開けるが


「あれ? なんかお取り込み中だった?」


と、俺たち二人を交互に見ながら問いかける。


 どうやらこいつに用があるらしかった。 


 というか、遥って言うんだ、名前。


 むしろ何で今まで知らなかったんだと自分でも言いたくなるが、今はそんなことどうでもいい。


 この機会に逃げ出そう。


「花? どうしたの?」


「これから用事ある? なかったら遊びに行かない?」


 うまい具合に二人で会話を始めそうな雰囲気だったので、俺は空気のごとく教室から抜け出した。


「前話してた映画見に行こうよ~。今日くらいは勉強なんてしないでパーっと遊ぼう! そうしよう!」


「あ、う、うん。いいけど」


「やった~! 遥と放課後デートだぁ」


 ずいぶんと強引な人だ。


 遠ざかる話し声を背景に、浮わついた雰囲気が漂う廊下を歩く。


 ただ立っているだけで体力を削られるような暑さだが、今日に限っては、誰もがそれをもはねかえすほどの元気に満ちている。


 やがて階段を降り始めようとした時、上履きを大きく鳴らす音が近づいてきた。


 もしやと思い振りかえると、やはり、あいつだった。


 走って追いかけてきたらしい。


 大した距離じゃないはずなのに、少し息を切らしている。


「ライン!」


「え?」


 突然、そんな単語を大声で言うものだから驚いた。


 周りの人も一瞬だけこちらに視線を向けた。


「ライン…………交換、しよ?」


 それが、伝えたかったことらしい。


 肩を上下に揺らしながら、まっすぐに俺を見つめてくる。


 何のために。


 そう思ったが、こんな暑いところにとどまりたくはなかったから、聞かないことにした。


「クラスのグループラインから追加しといてくれ」 


 この場でスマホを取り出すことさえ面倒だったから、とっさに思いついたことを言った。


「いいの?!」


 自分から言ったのに、そいつは瞳を大きく見開き、俺の顔に迫ってくる。


 人通りが多くて目立つからやめてほしいんだが。


「いいよ」


 どうしてかその顔を見ることができなくて、明後日の方を向きながら答えた。


「ありがとう!」


 でも、あまりにも嬉しそうな反応をするから、思わず見てしまった。


「―――――――」


 そこには、美しいくらいの、満面の笑みを浮かべる人がいた。


「? どうしたの?」


 無意識に、その顔を見つめてしまっていた。


「いや、なんでもない…………それじゃ」


「うん! またね!」


 いつもより元気のいい声を聞きながら、階段を下る。


 頭のなかでは、ついさっきのあいつの顔が浮かんでいる。


 胸を巡るのは、これまでのあいつ。


 この二週間、ずっと考えていたけれど、あいつが何をしたいのか、いまだに分からない。


 最初は、俺をからかっているだけなのかと思った。


 でも、違うんだ。


 あいつの笑顔を見てたら分かる。あいつは、人をからかったり、馬鹿にしたりするような人じゃない。


 ―――それと同時に、感じていたこともある。


 不思議なくらい、似てるんだ。


 性格は全くと言っていいほど違うけれど、どうにも重ね合わせてしまう。


 その一番の理由が、今わかった。


 笑顔だ。


 と初めて喋った日。


 といっても、会話らしい会話はしなかった。それに、君の笑顔を見たのも数えるほどしかない。


 君は、あまり笑わない人だった。だからこそ、たまに見せる笑顔が、他の誰よりも眩しくて、魅力的だった。


 それと、似ていたからだ。


 俺の心は、いつしか昔に戻っていた。


 君がとなりにいた、夢のような日々に。


 分かっている。どれだけ後悔しても、願っても、君は戻ってこない。


 ―――――――冬音ふゆね


 それでも、思わずにはいられないんだ。


 もう一度、会えたなら。



 


 

 


 

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