一.MAID IN FAKE(3)

 痛くて震えていた? ならなんで這って離れて……僕の声が聞こえなかった? 集中じゃないよな、取り乱して……スニィの言っていた「あなたが気にするなんて」って? 僕は冷たく接した覚えなんか……覚えがない? まさか、いやそんな……スニィの言葉、あれは日常からは考えられないから出たものだ。僕が覚えていないところで冷たくした、僕は目覚めてからのことは大体覚えている。僕が冷たく接していないなら犯人は……

「前の僕……?」

 目を見開く。止まらない汗を止めようとする。

 スープが冷めていく。

 震えて這って離れて、いや逃げた? 痛いだけなら逃げないはず。逃げるなら理由は怖かった、トラウマがあった、みたいな感じか。トラウマが理由なら、トラウマを植え付けたのは僕か? いや、痛い事にトラウマが……いや、なら逃げない。やっぱり僕か。じゃあなんで今までの態度で気づかなかったんだ? 僕が怖いはず……いや、本当に怖いのは前の僕か? スニィを押し倒した時の僕と前の僕が似ていた? 僕が傷つけてそれがトラウマで……僕に傷つけられるのがトラウマになるってことは……

「定期的な暴力?」

 急いで思い出さなくていいと言った。また暴力を振るわないように? 動いてはいけないと言った。急に襲われないように? はは、いやまさか、でも……

 焦る中、新たに一つの疑問が浮かぶ。

 なんでスニィは、僕を生かした?

 スープはもう冷めきった。


 * * *


 ドアが開く。

「失礼します」

 スニィが入ってくる。

「ウミ様、顔色が悪いですよ。湯冷めしてしまいましたか?」

「あの、いや、なんでも……」

 話したいことがまとまらず言葉を濁す。

「あ、ご飯冷めてました? すみません。また作ってきましょうか?」

「大丈夫、食べる」

 そう言って夕食に口をつける。口に入れた分を飲み込んで話しだす。

「ねえ、スニィ。僕はどんな人だったの?」

「記憶を失くす前のあなた、ですか?」

 ウミはコクリと頷く。

「とても優しい人でしたよ」

 スニィは右上を見た。ウミはチョーカーを見た。なぜかとても気になった。

「スニィ、チョーカーの裏には何がある?」

「へ? いや何も……」

「取ってもらえないか?」

「……嫌です」

「どうして」

「その……」

「何かあるからか?」

「いや」

「首輪の痕があるからか?」

「い、今なんて?」

「え……?」

(僕、今なんて?)

 急に冷静になる。

「なんで、まさか思い出したのですか?」

「え、僕は過去を知りたくて、あれ、首輪なんてそんなの……」

「……今の会話は忘れてください」

「いや、教えてくれ」

「すみませんが今日はもう」

 スニィはドアに向かって走る。

「待って!」

 ベッドから降りてスニィの腕を掴む。

「やめてください! 離してください!」

 ウミは手を離す。

 スニィの息が荒い。震えていて顔色も悪い。

「なんで話してくれないんだ?」

「……分かりました、話します」

 そう言って呼吸を整える。

「まず、あなたと私は結婚しています」

「え、確かお手伝いって」

「はい、嘘です」

 告げられた事実にウミは何も言えなくなる。

「結婚してから私は毎日暴力を受けました。首輪をつけられて動物のように扱われました。理不尽に叱られました」

「……」

「あの日、階段の前を通りかかった時、リードを掴む手が緩みました。今しかないと思い、あなたを階段から突き落としました」

「……」

「突き落とした後、冷静になった私はあなたの様子を見に行きました。頭を打っていながらも息がありました。そして私を見て『君は誰だ?』と言いました。その時私は思いました、記憶を失くしたのではと」

「……」

「もし記憶を失くしたのなら、楽しく穏やかな生活を過ごせると思ったんです。昔読んだ本に記憶を失くした人は、記憶を失くす前の人や物を見ると記憶が戻ると書いてあったのでなるべく部屋にあった物を片付け、私も格好を変えて関係も思い出せないようにしました。そうやった上であなたがいい人だったと言い、信じ込ませれば望んでいた生活が手に入ると思ったんです」

「もし僕が前のままだったらどうしてた?」

「ご想像にお任せします」

 そう言って力なく笑った。

「ところでウミ様」

「?」

「もう、分かりましたね?」


 * * *


 段々鮮やかになる視界。

(あれ……)

 はっきりとしてくる聴覚。

(僕は……)

「あ……夢……?」

 目覚める青年。ただ一人。


 僕はウミ。この屋敷の主人。

 一年前にスニィと結婚して、昨日階段から突き落とした。

 そうだ、僕はスニィを殺した。

 なあスニィ、あの夢は復讐なのか?


——それだけじゃないですよ


 耳元でそんな声が聞こえた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る