クーのある日【短編集】

@hitotsuki_toyu

第1話クーのある朝

灰色兎人形クーのいつもの朝。


夜明けと共に意識を浮上させ、ふかふかの小さい布団を敷いた専用のハンモックからクーは灰色の小さい手で起き上がった。


クーの顔立ちは、右目の位置に薄黄色の大きな四つ穴釦、左目の位置には光の具合で赤や黄、青、様々な色がかすかにきらめいては溶ける不思議な翡翠色の玉。それらの間、少し下に薄桃色の鼻がちょこんとついている。


被っていた薄手の毛布を小さな手をうまく使い丁寧に端っこに折り畳んだ。


伸びをするように小さい両手を上にあげ、パタパタと動きの確認をする。

念入りに足もぽてぽてと動かす。

本日も好調を確認し、クーは頷いた。


そうした後に、ハンモックからすぐ下を覗く。

下にある人間用の寝台には紫髪の青年が毛布を被り静かに眠っていた。


昨日クーが眠る前に見た紫髪の青年の姿は、魔導師の仕事終わりにも関わらず、夜遅くに机に向かい、本棚から取り出した毒草の専門書を読み込んでいるところだった。


「今日はちゃんと寝台で寝てるね」


眠る時でも左目の眼帯を外すことはない彼が、寝台で眠っていることにクーは安堵した。

たまに研究に熱中し過ぎ机に座ったまま、分厚い学問書に突っ伏して寝落ちしていることがあるからだ。

昔は小柄な子供だったのに、いつの間にか成人男性の中でも平均以上に成長した青年をクーが寝台まで運ぶのは手が掛かる。


クーはふよっと宙を浮いて、窓の近くまで飛んだ。遮光のカーテンを少し開けて外の様子を見る。

山の中腹に位置し、周りを囲む森の中の屋敷から、ぽっかりとあいた空を見上げる。

空は、まばらな雲が橙色に染まり、薄い空色と薄紫が混ざり合う美しい朝焼けだった。


ふと、布がずれる小さい音がしてクーは寝台を振り返る。

紫髪の青年が眠そうに薄く右目を開けていた。起こしてしまったらしい。


「……もう、夜明けか?」


「うん。カメリアを見てくるよ。エンキはもう少し寝ていたら?」


「そうする。朝飯の時間には起こしてくれ」


「分かった」


クーが頷くのを見てエンキは毛布を被り直す。程なくして静かな寝息をたてはじめた。


エンキの部屋のドアノブを回して廊下に出る。ふわーと飛んで、見慣れた木造の屋敷の廊下を進み踊り場の窓から朝の光が微かに射す階段を下る。


階段下の廊下では、絵本に出てくる小人のようなぽちゃっとして小柄な家妖精が身の丈の倍以上ある箒をせっせと動かし朝の掃除をしていた。


「おはよう、リイズッキー。今日も精が出るね」


「……!」


リイズッキーがクーに気づき箒を軽く掲げてから、被っていた帽子を取り胸に持って恭しく礼をする。どこで覚えたのだろうか、リイズッキーはこの紳士的な挨拶を気に入っていた。

いつもの挨拶を交わし、リイズッキーは再び掃除に取り掛かる。四人にはいささか広いこの屋敷を、管理するのに掃除が得意なリイズッキーは有り難い存在だった。


クーも朝の日課として、廊下の窓に近づきカーテンを開け、器用に鍵を外した。経年劣化で多少引っかかる窓を開けて空気の入れ替えをする。

屋敷に初夏の涼しい風が招かれ、空気が清々しくなる瞬間をクーは気に入っていた。


続けて居間や書庫、薬室と一階の窓を開け終わると、再び二階にふわーと飛んでいき、踊り場の高所の窓を、折り返した階段を上がって突き当たりの窓を開けた。

二度手間じゃないか?とエンキに言われたこともあるが、一階から開けていくことはクーの中では決まりごとだった。


二階の廊下の窓を開け終わり、暫くそよ風にあたっていた時。

とっとっとっと軽快に階段を駆け上がる音が聞こえてクーが振り返ったのと、あかい髪の少女が弦を張った籐弓とうゆみを左手に持ち、上った階段から声をかけてくるのが同時だった。


「おはよ!クー。準備できたよ」


「おはよう、カメリア。それじゃあ行こう」


窓から吹き込んだ風に灰色の兎耳がわずかに揺れた。





* * * *





紫陽花の葉の上にいた小さな雨蛙が驚いて飛び跳ねる。その弾みで朝露が葉をつたい、ひと粒こぼれ落ちた。


深緑が生い茂る広葉樹林の山の中を、紅い髪の少女が籐弓を左手に矢筒を背負い、きつい勾配も地面を踏みしめ駆け登っていた。


カメリアが、師匠であるエンキから山中を走る修行を課されてから約一年。最初はまともに走ることすら出来ず転んでばかりだった。

それでも毎朝走り続け、今では籐弓を木にぶつけることも、蔓や茂みに引っ掛けることもほぼ無くなり、二メートル近くある籐弓を持ってかなり走れるようになってきた。


クーはカメリアの頭を抱えるように上に乗っかりながら彼女の成長を感じていた。でも、とその行先を案じて声をかける。


「カメリア、止まって」


クーの声にカメリアはすぐ反応して足を止めた。


「あれ、わたし道間違えちゃった?」


「ううん。あそこの木の上、見て」


クーが手を指す先を見上げる。ところどころ苔むした木の遥か上、幹と太い枝に絡みつく真っ黒な塊。

日のもとでの姿をした魔物だった。

鈍く光る丸い目でじっと此方を窺っていたがクーに気づかれ、悔しそうにギギィと鳴いた。


「わっ、気づかなかった!」


「あのまま進んでいたら上から襲って来ただろうね」


「うええ……危なかった」


魔物は日の光が大敵だ。その為に夜が明ける頃から黒い泥のようなすすを発し、それで体を覆い身を守る。その分、動きも鈍くなり昼間は暗がりに潜みほぼ活動しないが、ああして下を通りかかる獲物を待ち襲う悪賢い魔物もいる。


「エンキもよく言っているだろう?弓に意識を割かれすぎるな。視野を広く持って危険を察知しろって」


「うーん。簡単に言うけどさ……それがよく分からないのよね」


「がんばって。ほら、ボクは迂回していった方がいいと思うけど」


カメリアが注意深くあたりを見上げるとちらほらと魔物の黒い塊が見受けられる。

今日はここら一帯に魔物が潜んでいるようだ。


「そうだね、少し戻って別の道を行くことにする。急がないと朝ご飯の時間に遅れちゃう!」


来た道を戻って、なるべく日の光が降り注ぐ道を選んでカメリアは走った。

次第に太陽の位置が高くなる。

風を切って少女は流れる汗を光らせ、屋敷を目指し駆け続けていった。





* * * *





トントントン、と規則正しく人参を切る音。

短冊切りにした人参をさらに細かくみじん切りにする。まめに丁寧に。


両手鍋のぶくぶく煮立った湯に刻んだキャベツ、みじん切りの人参をぱっと入れた。

一煮立ちさせて火を止める。


冷蔵庫から味噌の入った容器を取り出して、味噌をお玉で掬い、キャベツと人参が煮立った湯に箸で味噌を崩し溶かしていく。キャベツたっぷりに人参を忍ばせた味噌汁の出来上がりだ。


ぱちぱちと魚焼き器から音が弾ける。取手を引き出して鮭の切り身の焼き具合を見る。ジュワジュワと鮭の表面が焼きたち香ばしい匂いがただよう。


「マシロ、おはよう。今日は焼き鮭なんだ」


カメリアの見守りから帰ってきたクーが台所で朝食の準備をしているエプロン姿の黒髪の少年に話しかける。カメリアは汗を流しに浴室へ向かっていた。


「おはよう、クー。昨日、師匠がアズさんからお裾分けしてもらったものなんだって。美味しそうに焼けたよ」


にこっとマシロは微笑む。


そこへ掃除を終えたリイズッキーがやってきた。


「今日もありがとう、リイズッキー。はい、これどうぞ」


そう言ってマシロは、リイズッキーに小ぶりな塩おむすびを数個と味噌汁、コップに水をお盆に載せて渡す。家妖精は穀物を好み、肉魚は好まない。そして、家主達とは同じ食卓につくのは避けたがる。自分の住処で食事をするのがいいのだそうだ。


マシロから朝食を受け取り、リイズッキーは嬉しそうにとっことっこと屋敷のどこかにあるという住処に戻っていった。


ほうれん草のおひたしに焼き鮭と湯気がたつ味噌汁に白いご飯。朝食が並ぶ、食卓の席。


エンキが窓を背に食卓の真ん中の席に座る。マシロはその向かいの席、カメリアはマシロの右隣の席に座った。


「今日の恵みに感謝して。いただきます」


「「いただきます」」


エンキの言葉に、両手のひらを合わせて短い祈りを捧げてから、三人は朝食を食べ始めるのだった。





* * * *





「カメリア、今日の朝はどうだった」


「ええと……魔物が待ち伏せしていたことに気づけませんでした。クーのおかげで襲われはしなかったんですけど……師匠、危険を察知するってどうしたら良いんでしょう」


「そうだな、経験を積むことが必要だが……週末の稽古から色智魔法の新しい修行を始めるか。山の西側に行くことを許可する」


「本当ですかっ。色智魔法の修行楽しみです!」


「ついに山の西側解禁か。頑張ってねカメリア」


「あれ、もしかして山を走るよりもっと大変な修行なの?」


「……うーん、ははは」


マシロは苦々しく笑う。言葉を濁されたカメリアは及び腰になる。


「どうした。辞めるか?」


「う、や、やめませんよ!魔導師になるためにいくらだって頑張りますっ」


カメリアが両手で拳を作り意気込む。


「…………」


クーはエンキの隣の椅子に座布団を数個重ねてその上にちょこんと座り、朝食をとりながら雑談をする三人を眺めていた。


朝にゆったりと食事をとれる時間は貴重だ。

クー自身は食事を必要としないが、こうして食卓を囲める時間が尊いものだと知っている。


兎耳がぴょこっと動き、直後に壁掛け時計の短針が七を少し過ぎたところを、長針が六をちょうど指した。


「七時半だよ」


「もうそんな時間なんだ。師匠、僕は班のみんなと自然環境保全地域の巡回に行ってきます」


マシロは食事を終え、食器を一つに重ねながら今日の予定を話した。


「そうか。気をつけて行ってこい」


「はい」


マシロはしっかりと頷く。


「師匠!わたしは畑の様子を巡回しに行ってきます。そろそろトマトが赤くなってきそうなので。その後は……えーと、屋敷の警備をする予定です!」


勢いよく挙手をして、カメリアがマシロを真似るものだから、マシロは可笑しく思えて、あははっと笑った。


「おう、しっかり励むんだぞ。勉強も忘れずにな」


「う、はい、師匠……」


体を動かすことが大好きなカメリアだったが、座学の分厚い学問書と睨めっこする時間は少し苦手だった。


「ご馳走様でした」


「「ご馳走様でした」」


食べ終わった後にも挨拶をしっかりするのは師弟の約束事。


食器の片付けを終えて、エンキとマシロは外出の身支度を始める。

二人とも魔導師の特別な外套を身に纏う。その様子をカメリアは憧れを隠さない空色の瞳を輝かせて見つめていた。


クーはふわーと飛んで、定位置であるエンキの左肩に乗りかかる。


マシロが玄関のドアを押し開けると風が吹き込み、二人の外套を軽くひらめかせた。


「気をつけて!行ってらっしゃい!」


「行ってきます!」


「行ってくる」


「行ってくるね」


カメリアの見送りに三者三様に返す。カメリアは、にっと笑って手を振った。


屋敷を出てエンキとクー、マシロは山道をザクザクとしっかりとした足取りで下る。

心地よい風の中、木漏れ日にクーの翡翠色の玉がゆらめいて、薄紫や桃色を浮かべては溶けてきらめいた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クーのある日【短編集】 @hitotsuki_toyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ