月夜に想いを馳せて

みちづきシモン

月が綺麗ですね

月が綺麗ですね


 私は息子と妻と一緒に縁側で座っている。

 息子は並べられた餅を食べるのに必死だが、私と妻は夜空を眺めていた。

 思えばあの日、妻と出会った日もこんな夜だった。



 彼女と出会ったのはある公園でのこと。たまたま夜遅くに帰っていた私は公園で一人ベンチに座る彼女を見つけて声をかけた。

「こんな時間に……、お一人で危ないですよ」

 しかし、それを聞いて彼女は笑った。

「心配してくれてありがとうございます」

 彼女はその後呆けたように空を眺め続けた。きっと嫌なことでもあったか、悲しいことでもあったか。

 そんな彼女を見て、彼女が見ているものを見て、私はふと感想を言ったのだ。

「月が綺麗ですね」

 その日は満月だった。私も見とれてしまいそうな月夜だ。

 ふと彼女を見た。彼女は顔を真っ赤にして目を見開いてこちらを見ていた。

「そ、そんな! 私たちまだ出会ったばかりで……!」

 その慌てようを見て、ハッと気づいた。夏目漱石の例の話を思い出したのだ。告白に使われる言葉として有名なのにふと呟いてしまった。

「す、すいません! いきなりこんな事言われたら迷惑ですよね……」

 私も慌てて訂正しようとする。だが、彼女はふっと笑ったのだ。

「もし宜しければ、あなたと共に月を見ていたいです」

 それはどういう意味だろうか。私は思案する。そして勇気をだして言った。

「変わりゆく月を一緒に眺められるだけ眺めましょう」

 こうして私たちは交際をスタートした。

 文学を少し嗜んでいた彼女の言葉はなかなか解読が難しい時もある。だが、彼女の想いはしっかり伝わってくるのだ。

 そしてあの日何故月を眺めていたかを知る。交際していた男に振られたのだと言う。何故彼女のような淑女を振るのか理解に苦しむが、いつか私が振られる日も来るかもしれない。

 だから、私と彼女はある取り決めをしていた。それは、夜予定が合う時で月が見れる時、一緒に月見をするということ。

 そして、私はいつものように言うのだ。

「今日も月が綺麗だね」

「あなたの月になれて嬉しい」

 私の月……、まるで影のようだが、私たちはそれでいい。夜を照らす月は闇から導く光。

 お互いがお互いの月になれて私は嬉しく思う。



 現在に戻り、見事結ばれ結婚した私たち。愛し合い、子供が産まれ、すくすく育った。

 両親から受け継いだこの家に住まい、私はせっせと稼ぐ。妻は家の事をよくやってくれて、息子の世話もしてくれる。

 そして、こうやって月の見える晴れた日に縁側で月見をするのだ。

 私は彼女の方を見て言う。

「三日月も綺麗だね」

「少ししかない欠片の光も儚いわ」

 息子が餅を食べながら笑う。

「お月様綺麗ー!」

 私は笑いながら、息子の口元の粉を拭ってやる。妻が笑顔で息子の頭を撫でた。

 こんな日が続けばいい。そう思っていた。本当にそう思っていたんだ。

 


 今日も月夜が輝いている。星降る珍しい夜。私は息子の隣で縁側に座っている。

 隣にはもう妻はいない。笑ってくれる妻はいない。

 彼女は星となった。いや、違う。月の元へ行ったのだ。きっと兎と戯れながら、こちらを眺めているだろう。

 大きくなった息子は母親を亡くしても元気でいてくれた。父親である私を支えてくれた。

 こんな私に希望をくれた妻を病から救えなかった私。医者であるからこそ望みがないことを知った時の絶望。何故それまで気づかなかったか、それを呪った。

 死の間際に彼女はもう一度私と月が見たいと言った。それは叶わなかったが、それでも手を握った私はいつも泣いていた。

 結局彼女の葬式にも泣き崩れた私は呆けたように月を見ていた。

 まるであの日の彼女だ。引き裂かれる思いを救ったのは息子の一言だった。

「お父さん……、今日も月が綺麗だね」

 私は驚いて息子の方を見た。息子は笑っていた。

「いつもお母さんとそんな会話をしていたよね」

 私は涙を拭い、頷いた。

「ああ……、今日の半月も綺麗だ」

 半分に割れてしまった月。半分欠けてしまった月を自分と重ねて、それでも残ったもう半分に願いを込めた。

「お前は私より先に死ぬんじゃないぞ」

 息子は驚いていたが、私の手を握り言った。

「お父さんの最期をきっと看取るよ」

 きっと妻も月からこちらを応援している。息子を立派に旅立たせようと決心した。



 私は一人、家に残っていた。

 息子は結婚して孫もいる。たまに遊びに来ては孫が騒ぎ立てる。子供は良いものだ。私もはしゃいでしまう。

 息子は、孫を相手にする私を見て、半分呆れている。それを見た私は言う。

「お前もこのくらいの時があったんだぞ」

「いつの時だよ、全く」

 照れる息子と息子の嫁さんは笑っていた。きっと裕福な家庭を作ってくれるだろう。

 一人になって縁側に座り月を眺める。今日は新月……。新しい月に代わるのだ。例えそこに光が見えなくとも、日を追う事に光が現れ、いつしか綺麗な満月を咲かせることだろう。だから今宵も一人呟く。

「月が綺麗だなぁ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

月夜に想いを馳せて みちづきシモン @simon1987

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ