運命のポッチョン

ヘッドホン侍

短編

最悪だ。

地獄の八連勤を何とか終えてやっとの思いで、会社を出た早朝。俺は、帰り道に大雨に見舞われ、濡れ雑巾のようになっていた。

昨日から炎上していた案件が、さらに炎上して急遽会社に泊まり込みすることになった。当然、泊まりなんて想定してせず、なんとか深夜までの残業で乗り切ろうとしていたオレは、着替えやタオルなんて持ってきてなかったから会社でシャワーも浴びてない。

まあ、シャワーを浴びたと思って気を取り直そう。ずぶ濡れのまま、ひとけのない駅のホームで椅子にもたれ掛かる。


「さむ……」


いやぁ、それにしたって寒い……。春先の早朝はまだ冷える。さらに、ワイシャツ1枚で、びしょ濡れ。風邪まっしぐらである。


ブルブル震えながら始発の電車を待っていると、ふと隣に誰かが立っていることに気がついた。

あ、座りたい……ですよね。

でも、ごめんなさい。俺がびしょ濡れにしちゃったので、座らん方がいいかも……と声をかけようとして、その人物に視線を向けた瞬間、俺は少し驚いてしまった。


予想に反してそこにはまっさらな、白いふかふかのタオルを持って、困ったように首を傾げる金髪マッシュのお兄さんが立っていたのだから。


「あの……?」


思わず疑問の声を上げると、お兄さんは困ったように肩をすくめながら「このタオル、もし良かったら使う? 知らん人からいきなりタオルとか怖いかもだけど、大丈夫、これ使ってないから」とカバンからそのタオルが入っていただろう箱を半分取り出して見せてくれる。お中元と書かれたのしがついている。


「ありがとうございます!」


濡れネズミになったかわいくもない男にタオルをくれるだなんて、親切なことをしてくれる優しい人も、この東京にいたんだなぁ……。

寒いし、タオルはなんだか暖かくかんじるし、人の優しさを感じて、俺は何だかじわりと涙が浮かんできてしまった。


「あの、マジでありがとうございます。寒くて、しにそうだったんで、助かりました」

「困った時はお互いさまですよ。実際、いまオレ会社からいらんからと押し付けられたタオルの処理に困ってたんで。荷物になるし」

「ぁあ!この都会にもそんな人がいたんすね……!」


長い前髪とサングラスとマスクに隠れてその人の顔はほとんど見えなかったけれども、なんだか困ったように笑っている気がした。

あんまり、褒められすぎても困るタイプなのかな。と、ついと視線を逸らした瞬間、俺の目にありえない光景が飛び込んできた。


その人が、腰元に刺繍のあるそのズボンは……!


「それはもしや、ポッチョンの限定品!?」


知る人ぞ知る、マイナーキャラクター『ポッチョン』。トイレにポチョンと脚が落ちてしまっている猫ちゃんのキャラクターで俺の一番の推しだった。

ビックリしててちょっとマヌケな表情も丸っこい身体も大好きで……ただ、身の回りに知っている人がいなくて、全然語れる人がいなかったのだ。


「え!? ポッチョンを知っている人ですか!? こんなところで出会えるとは!!」



お兄さんも驚いた様子で口元に手を当てている。


「そうそう、期間限定のポップアップストアで買った限定品です!オンラインで衣類のグッズ買うことってなかったから買うかすごい迷ったんだけど、やっぱポッチョンの衣類グッズなんて早々出ないレアものやろ!と思って買っちゃいました」

「わかるーー!!!! しかも、ベルトするとちょうど落ちそうになってるポッチョンがベルトに捕まるじゃないですか。こんなん可愛すぎて鬼リピしちゃうに決まってるじゃないですか」

「わかる、めっちゃ使っちゃってさ、最近色褪せてきてちょっと後悔してる。世の中のオタクの人たちがフィギュア3個ずつ買うとかなんで?って思ってたけどわかってきた」


お兄さんが言う通り、お兄さんが着ているポッチョンズボンは俺の持つズボンより随分と色褪せているようだった。マジで愛用してるんだなぁ……。


「あの、もしよかったら今度……」


お兄さんと連絡先を交換しようとして、俺ははたと気がついた。

今度遊ぼうにも遊ぶ日はない。毎日のように出社して、たまに運良くもらえた休みには家で身体を休めるだけ。

連絡先を交換するための、自分の携帯電話すら家に放置したままで、手元にない。


「ごめんなさい、連絡先交換したかったけど今日携帯家に忘れてきちゃいました。なんでもないです……」


俺は自分の手元を見て、へへと笑った。もうほぼ使わない携帯の番号なんて覚えているはずもなく。

せっかく見つけたポッチョン友達。オタ友として仲良くなりたかったなぁ。泣きそう。


思えば俺って、何のために働いてるんだ。

金のためというなら、残業代だってつかない、別にこんなひでえ会社で働かなくたってバイトした方がまだマシだ。

会社のためというほど別に愛社精神があるわけではない。


「はは、困ったなぁ……」


こんな大雨の早朝に出会った見ず知らずの人に気付かされるなんて。


変なふうに笑う俺を、気遣うようにだろうか、訝しむでもなくまっすぐ見てくるお兄さんに泣きそうなことはさすがに気づかれたくなくて、俺は震えそうになる声をおさえて笑顔を作った。


「このタオルお返ししたいし、お礼もしたいし、ポッチョンについても語りたいので、連絡先を教えてもらえませんか? ……いや、会ったばかりのやつにそんな一方的に連絡先なんて受け渡せないッスよね……」

「いや、大丈夫。俺がか弱い女の子ならまだしも、この通り鍛え上げた筋肉のある男だからね。もしなんかしてきたら筋肉で対抗するよ」

「筋肉で」


思わず笑ってしまう。笑顔を浮かべたお兄さんは、自分の手帳を切り取って携帯電話の番号が書き、俺に渡してくれた。


その時、ちょうどホームに始発の電車が到着した。反射的に独特の電子音と共に開く扉に目を向けた。そして、視線を戻すともうそこにはお兄さんはいなかった。その一瞬目を話した隙にこんな歩ける?


ちょっと不思議に思ったけれども、たぶん、今の俺はめちゃくちゃ眠いので一瞬だと思っている瞬きも一瞬ではなかったのだろうと思い直した。


とりあえず、このメモ帳だけはなくさないようにしないと。

お兄さんからもらった紙の切れ端を握りしめて、電車に乗り込んだ。


===


結局、お兄さんからもらった連絡先は不通だった。

家に帰り、放電し切っていた携帯電話を充電して、いそいそと電話をかけた俺は相当落ち込んだ。


あんな優しくしてくれたお兄さんに、騙されたのだろうか。初対面の人に連絡先を聞かれてやはり内心は不審に思っていたのだろうか。


いや、書き間違えただけに違いない。

だって、080から始まる番号なんてみたことなかったし。

きっと書き間違えたんだ。そう思って、090でかけてみても結局通話口の向こうからは「この電話番号は……」という機会音声。


いや、つら。


でも、優しくしてもらったことは確かだ。なんだか上京してきて、ずいぶんとひとりぼっちだと追い詰められていたけれども心がほんわかと暖かくなった。


それから俺は転職をして、カフェで働くようになった。俺には不相応なくらいオシャレなカフェなんだけど、やっぱり本来俺はこういう人と関われる仕事の方がいいんだなってバイトで入り始めて社員に。

つらいことはあるけれども、少なくとも前の職場より労働環境はすごく改善されたし、休めるし、給料は上がった。バイトの時でもね。


あまりの激務に追い詰められて、もう麻痺してしまっていたけど、あの職場は最近言われ始めた『ブラック企業』というやつだったんだろう。

やめた後にも私用携帯に鬼のように業務連絡が入ってきていた。

マジでやべえよな。

俺はもちろん前の職場に戻ることはなく、携帯は解約した。


それで、オシャレなカフェに合わせてオシャレに気遣う余裕も出てきて、年が明け。

お兄さんに憧れて生まれて初めて美容室に行き金髪マッシュにしてもらった。俺なんかに似合うかなと思ったけど、案外悪くないような気がする。

そして、久々に大学の友人宅で飲み会なんかしちゃって。久しぶりだもんだから終電も逃して。泊まらせてもらったから久々の朝帰りというやつをする。


しかも、突然の大雨。


慌ててコンビニで傘を買い、駅に向かう。そこではだと気がついた。


あっれー。おかしい。

前方に明らかに俺っぽいやつが見えるんだが?


ビニール傘でも買えばいいものを、なんで丸腰で歩いている。

そして、すべてを察する。


俺はコンビニに逆戻りしてタオルとマスクとサングラスを購入する。

後生大事に取っていた、メモの切れ端を見るとそこには俺の携帯電話番号が書かれていた。

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