黄色い幡のひるがえる

武江成緒

黄色い幡のひるがえる




 小畑台おばただいニュータウンは、いまから50年ちかく前は、雑木林のしげった丘にかこまれた小さな農村だったそうです。


 村の人たちがU市の街なか、あるいは神戸や大阪や、東京のほうへ出てゆくのと入れかわってゆくみたいに、田んぼや畑や丘がつぶされて、団地や家が建っていったらしいです。


 そんなニュータウンの中でも、いちばん最後に残ったのが、小畑おばた神社のある丘のあたりでした。


 何十年、何百年もの長いあいだ雑木林しかなかった場所も、ついに切り拓かれ始めて。

 その最初のほうに住みついた、祖父はその一人だったそうです。




「あの頃はなぁ、いまにくらべたらえらい景気が良かったからなぁ。

 せやから余計にやな。脱サラ、いうんが流行っとった」


 祖父は大阪の会社を辞めて、丘のふもとの土地を買ったということです。

 ただ家を建てるためだけではなくって、農場をつくるために。


「わしの爺さんが泉南せんなんで畑やっとってな。

 夏になったらたびたび行って、腹いっぱいになるまでスイカを食うとった。

 そんな思い出があったからな、スイカの畑はとくに力いれたんや」


 当然、まだ素人の畑仕事。

 資材や種子の調達に、畑づくりや用水の確保、知識をあつめながらの農作業。

 意外な厄介ごとだったのが、小畑が農村だったころから住んでいた人の反応でした。


 小畑神社のある丘に向けて畑をつくったことを咎められたというのです。


小畑おばたの神さんのいてられる方にむけて土掘ったらあかん、て。

 家建てたころから、爺さん婆さんがわざわざ来てな」


 せやけどわしもまだ若かったしな、と。

 祖父は聞きながしたそうです。


「もとから住んどるもんらかて、同いどしくらいの若い人らは、そんなもん迷信じゃ、言うてわろとったし。

 まあ、それでもな。

 畑は試しづくりの一年目にしたら順調なもんやったし、スイカを収穫する前に、いっぺんくらいお参り行っとこか、思たんや」




 ちょうど七月の末日。

 朝、まだ暑くならないうちに、これまで見上げるばかりだった、樹々おいしげる丘へと足をむけたのだそうです。


 もとは村の入り口にあたる場所だったというそこは、意外にけわしかったということで。

 崩れかけてうずもれかけた石段をようやく上りつめた先に、ぼろぼろになった古い鳥居。

 その手前には、一本の石の柱が建っていました。


「彫られとったのが、『』いう字ぃでな。

 黄色い、のぃに、はた、て読むむつかしい字ぃや。

 お参りにくるところ、間違まちごうたか、て思うたわ」


 祖父があとから聞いた話で、宮司さんはニュータウンの中のほうに住んでいたそうで、神社にはお祭りのある時にだけ来るものだったらしいです。

 当然、境内には祖父のほかには誰もおらず、


「えらい気味のわるいとこやなぁ、思てな。

 お賽銭箱に百円いれて、拍手かしわでうって、早々に帰って来たんよ。

 せやけど、家に帰っても、何かしらんけど背中がぞくってしきてな、調子が入れへんかった」




 昼食に祖母がゆでた素麵をたべて、やっと人心地がついた祖父は、なんとか畑へ出たそうです。


「ほしたらな、あの丘の上の、ちょうどお社のあるあたりに、なんや、ぱたぱたしとるもんがあるような気がしてな。

 朝いった時はだぁれもおれへんかったのに、おかしい思て見上げたら」


 旗、のように見えたそうです。

 どす黒く、影がかかって、ぼんやりとしか見えなかったそうですが、

 神社のあたりに、黄色い旗がひるがえっているかのように見えたそうです。


「なんや、またぞぅってしてなぁ。

 昔、なんかで聞いたことがあったんよ。

 むかしはおとむらいの行列には、黄色い旗をあげたて、そういう話をどっかで聞いたんを思い出してな」


 よく見ようと目をこらすと、その瞬間に、旗らしきものはどこにも見えなくなっていました。




 調子がわるくて幻覚でも見たんだろう。

 そう思いながら、スイカ畑に足を踏みいれたそうです。


 まだ試しにつくったような小さな畑ではあったそうですが、まるまる大きくふくらんだ実が、ごろりごろりとつややかな姿をさらしている光景。

 かすかな気分の悪さなんかは、吹き飛ばしてしまうような眺めだったということです。


 はじめの一個、叩いてみても、みっちりと身のつまった見事なスイカ。

 ツルを切って、ずっしりとしたそれを胸までもちあげたその時。




 午後の一時をまわったばかりだったというのに。

 あたりが異様に暗いのだと、そのことに気づいたそうです。


「空、みたらなぁ。

 いつの間にか、雲がでてきてお日さんを隠しとる。

 それだけとちゃう。

 雲のかかったお日さんは、えらい小そうなっとった」


 暗い空。半分ほどにちぢんだ太陽。

 あまりに異常な現象に、今度こそぞっとして、スイカ畑を見回したとき。




 うす暗い空の下で、地面にころがるスイカたちが、こっちをじぃっ、と見つめているのに気づいたと。


 ああ。

 こいつらはスイカじゃない。

 首だ。


 思う間もなく、その首たちは、赤い口をぱっくりと開けて、げらげらげらと一斉に大笑いをしていたそうです。




 ひときわ大きなげらげら笑いに、腕の中を見てみると。

 抱えあげたスイカだったはずのそいつは、口を耳まで裂けさせて。


 かぶりついてきたのでした。






 その日、その時、部分日蝕が起きていたということは、かなり後になってから知ったそうです。


 病院にかつぎ込まれ、怪我の治療がなされたものの、しばらくは精神的におかしい状態だったそうで。

 一月ひとつきほど、大阪の実家に帰っていたそうです。


 傷がとりあえずおさまると、いったい何をおもったのか、大阪市内あちこちの図書館へ行って、日蝕について調べて回ったということです。


 あの神社の入り口に彫られていた『黄幡神』という文字は『おうばんしん』と読むということ。

黄幡神おうばんしん』ははたのように太陽や月をおおい隠して、日蝕や月蝕をおこす星の神を指すということ。

羅睺らごう』とも呼ばれる魔神の切り落とされた首だとする神話もあること。

 そんな恐ろしい存在であり、とくに黄幡神のいるとされる方角に向かい土を動かすと、災いがあるとされていること。






 祖父は結局、小畑台おばただいに帰ってきました。

 きましたが、畑はべつの場所に移し、今にいたるということです。


「お日さんは、神さんの左目や、いう話もいくつかあるらしいわ。

 せやから、小畑おばたの神さんは、わしの左目、呑みこんでかはったんかなぁ」


 と、四十二年前の記憶を語り終え、喰い千切られた左目のあとをひくつかせながら、祖父は口をぱっくり開いて、げらげらげらと笑いました。

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黄色い幡のひるがえる 武江成緒 @kamorun2018

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