第3話 #涼穂(一人称パート)

「はぁ」


 大浴場の広い湯船に浸かりながら、何度目かのため息をつく。原因は今日の放課後。


「三鷹さん! どうか僕と付き合ってください!」


 土下座で告白してきた杉崎君。これまでの人生で、告白された事は何度かある。その度に断って来たけれど、少し悪いと思うくらいで、今のように悩むことは無かった。でも、杉崎君は同期であり、これまで一緒に頑張ってきた仲間だ。彼の告白で私は揺れた。


 関係を壊したくない気持ちと、杉崎君を切り捨ててでも、自分の気持ちに素直になる気持ち。


 私には好きな人がいる。


 あや君……幼馴染の相馬彩晴。


 あや君っていうのは昔の呼び方で、今は呼ぶと恥ずかしがるからあやって呼んでいる。それでも時々出ちゃって怒られるんだけど……


 あやとは子供の頃から一緒に遊んで、一緒に勉強して、一緒に士官学校に入った。


 あやは私が士官学校に入ったのを不思議がってたけど、私だってかっこいい軍人に憧れてたんだよ? あやと手を繋いで、何度も港に軍艦を見に行った思い出は、今でも私の宝物。でも、士官学校へ進むことを家族は反対していたから、もし、同じ夢を持つあやが傍にいなかったら、私は家族に押し切られて、今ここにはいなかったかもしれない。


 あやはいつも私に力をくれる。私が夢を追えたのはあやのおかげだ。


 杉崎君は素敵な人だ。でも、私にはあやと一緒に歩む将来しか考えられない。あやは、私の気持ちなんて気付いて無いだろうけど……


 結局、私は杉崎君に「ごめんなさい」を告げて、杉崎君は「わかっていました」と言って笑った。


「でも覚えておいてください。僕達にはもうあまり時間がない。残された時間。どうか、後悔の無いように」


 去り際に杉崎君が言った言葉が私の心を不安にさせている。


 卒業したら、今までみたいにあやと一緒にいられなくなる。そんな事、本当はずっと前からわかっていた。でも、今が楽しくて考えないようにしていた。


 どうしよう。一緒にいたい。ずっと一緒にいたいよあや君……


「なんや、すずっぽ~? 色っぽいため息なんかついて」

「アネット? ……ちょっとは隠そうとか思わない?」

「は? 何をや?」


 同期生のアネット・レイニーが、豊満な身体を見せつけるかのように、腰に手を当てて立っている。


 私は、これまでとニュアンスの違うため息をひとつ。


 アネットは、プラチナブロンドに青い瞳を持つ、まるで童話から抜け出してきたお姫様のような美少女だ。それに背も高くて、惚れ惚れするような圧巻のスタイル。


 女子なら誰もが羨むような美貌を持つアネットだけど、性格は気風の良い姉後肌で、今でもこうして見た目と性格のギャップに驚かされる事が多い。


「お腹出てるよ?」

「ああ、ちょっと夕飯食べすぎたかもな!」


 ぱぁん! と浴室にアネットの腹筒が響く。私のため息もひとつ、湯けむりの中に溶けていく。


「まあ、ええわ。それにしても珍しく元気無いな? どや? 一丁外で相撲でもしようか? 思いっきり身体動かせばすっきりするで?」  


 アネットは故郷でジュニア女子相撲の力士だったそうだ。種子島士官学校に来たのも、相撲の聖地で学びたかったかららしい。


 豪快すぎるアネットにまたひとつため息。


「やめなさい脳筋おっぱい。いつも能天気な涼穂だって女の子なんです。たまには悩むことくらいありますよ」


 あれ? なんか私、今すごい馬鹿にされなかった?


 春日みこと。アネットが西洋風のお姫様なら、美琴は和風のお姫様だ。小柄でほっそりした身体。日本人形のようなこれまた綺麗な女の子である。ただ、ちょっと毒舌なのが玉に瑕。


「なんや? みこたんも相撲するか?」

「しません。お風呂入り直さなきゃいけなくなるじゃないですか」

「せやな。ほんなら、ここでやろか? うりゃ!」

「きゃあ!?」


 ばしゃばしゃと湯船でじゃれ合い始めるみこととアネット。いつもと変わらないふたりの様子に、心が少し楽になる。


 それにしても、ふたり共すごい美人さんだ。私だって容姿はそんなに悪くないと思っている。でも私にはアネットのような華やかさも、みことのような可憐さもない。それなのになんで私だったんだろう? 


「ふたりに比べたら、私なんてしがない村娘だよね」


 何度目かのため息。あやだって私みたいな色黒地味子より、アネットやみことの方がいいに決まってる。杉崎君はきっと目がおかしかったのだ。


「お? 天然ヒロインがなんか言うてんで?」

「こういう無自覚たらしが一番立ち悪い。似た者夫婦とはこのことです」

「え!? なに!?」


 いつの間にかじゃれ合いを止めたふたりが、じっとこちらを見つめてくる。


「元気が無かったのは杉崎のせいでしょう? あの馬鹿をふったってくらいの事で、涼穂が気にすることはありません」

「ちょっとみこと、何で知ってるの!?」

「何!? そんな事があったんか!? みこたん詳しく!」


 みことが杉崎君土下座告白事件のあらましをアネットに説明する。どうやら詳細な情報が時田君、小松君とも共有されているようだ。


「私のところには、自分のせいで涼穂が気にしているならフォローしてあげて欲しいと、杉崎本人からメールがありましたから」

「なんでうちにはよこさんねん!」

「聞いたらどうしてました?」

「すぐさまいいんちょのとこ行って、ケツ蹴り飛ばしに行ってたわ! あいつがはっきりせんで被害者がどんどん増えるねん。テツもよりにもよってみこたんに頼むとか、気が利かへんわ」

「その役目は時田が引き受けてくれましたから。どんぶりおっぱいはしばらく黙っていてください」


 アネットは同期の皆をあだ名で呼ぶ。私はすずっぽで、みことはみこたん。杉崎君はテツ、時田君はりょー。小松君はまっつん。そしてあやはいいんちょだ。


 なんでそこであやが出てくるんだろう? あやは私のことなんて妹みたいにしか思ってないのに……


 幼馴染で仲が良いから昔から良く冷やかされたけど、あやにとって私は別に特別じゃない。あやは誰にでも優しくて、誰からも頼りにされる。ちょっと勉強が出来るだけの私とは違う。いつだって人の輪の中心にいる、そんな人。私の想いはきっとあやには届かない。だってあやは皆の委員長だから。


 私とあやは幼馴染で、昔から兄妹みたいな関係だった。それは今でも変わらない、私達の距離。


 時折胸やお尻を見てるのは気付いてる。でも男の子なんて皆そうだし、訓練でペアを組んだ時の反応にしても、アネットやみことだと凄い緊張してるくせに、私の時はいつも素っ気ない。


 やっぱり私って魅力ないのかな?


 私の事も少しは意識してくれてもいいのに……あや君のばーか。


「……とか考えてるんやろうな。この顔は。なあ、みこたん。うち少しばかり腹立ってきたわ」

「ですね。入学以来一度も主席の座を譲らない頭脳を持ちながら、どうして自分の事になるとこうもぽんこつになるのでしょうか?」

「ふぇ? ちょっと何?」


 ずいっと、ふたりが顔を近づけてくる。しかも目が座ってる。


「いい加減はっきりさせや! すずっぽ。いいんちょの事好きなんやろ?」


 綺麗な顔が近づいてくる。ふたり共湯けむりに絆されて普段以上に艶っぽい。朱に染まった顔、熱い吐息。血走った目で私に迫る。


「そんな事……私とあやはただの幼馴染で……」

「やれ、おっぱい!」

「まかしとき!」

「きゃっ!? 何!?」


 掴みかかって来たアネット。頭の中がいっぱいいっぱいで油断していた私は、背後を取られて羽交い絞めにされてしまう。っていうか、なんでおっぱいで通じてるの?


「捕まえたで。ほんますずっぽは、ええ身体しとる。うちが食べてまいたいくらいや」


 ひぃっ!?


 耳元でアネットの舌なめずりするのが聞こえてくる。


「さあ、尋問の時間です」


 同じく舌なめずりをしながら、獲物を見るような目でみことが迫ってくる。今のみことはお姫様というより、まるで雌豹だ。


「やったれみこたん!」

「がぉー!」

「ひゃあっ!?」


 正面からみこと、背後からアネット。ふたりがかりで全身を揉みしだかれ、くすぐられる。


 ネットはいつものことだけど、気位の高い猫のように、普段スキンシップを嫌うみことが、今日は随分積極的だ。


「ちょ、ちょっとふたり共! やめて、くすぐったいよ!」

「とっとと素直になりや! いいんちょの事好きなんやろ?」

「好きですよね?」

「ちょっと何でそんな! 放してよ!」

「いいや! 今日という今日ははっきり聞かせてもらうで! 好・き・な・ん・や・ろ?」

「好・き・で・す・よ・ね?」


 ふたりの猛攻は止まらない。そしてついに……


「はい……好きです」


 私は胸の内に秘めてた想いを打ち明けることになったのである。


「まったく、バレバレやったのに手こずらせおって」

「まったく、これだから天然は面倒なんですよ」


 こっちは恥ずかしくて死にそうなのに。まるで一仕事やり終えたくらいの薄い反応だ。なんか、ひどい。


「なあ、すずっぽ。いい加減自分の魅力に気付き。はよ収まるとこに収まらんと被害者がどんどん多なって、いつか刺されんで?」

「そんな事……」

「「ある!」」


 なにも声を揃えて言うこと無いと思う。なんだかんだでこのふたりのお姫様は息ぴったりなのだ。


「ええか? 自分の魅力に気付いてないのはあんただけでない。いいんちょもや。ちょいとばかり、ひょろくて頼りないけど、いいんちょはあれで結構良い男やで? うかうかしてると他の子に取られてしまうかもしれへん。すずっぽはそうなってもええんか?」

「まさか、委員長の良さをわかってるのは自分だけなんて思ってませんよね? もし、思ってるなら、委員長のことも、周囲のことも見くびりすぎですよ?」

「うう……」


 確かに思っていたかもしれない。あやの強い所も、弱いところも、努力してるところも、つい他人のことまで背負い込んでしまうような優しい所も、私はあやのことなら、何でも知っている。それを知っているのは自分だけで、あやを支えてあげられるのは自分だけ。私だけがあやの特別だって、心の何処かで思っていた。


 でも……


 あやの良いところなんて、皆とっくに気付いてて当たり前なのだ。当然あやの事を好きになる子だっていてもおかしくない。私は、自分だけがいつまでもあやの特別でいられるわけじゃないんだって、その時初めて気付かされた。


 もしかして……ふたり共あやのことを……


「「それはない」」


 ……私、今声に出してないよね?


「声に出さなくてもわかりますよ?」

「すずっぽはわかりやすいでな」


 揃って首を傾げる。なんだろう、ちょっと憎らしい。


「いいんちょは悪くはあらへんけど、うちと付き合うには色々足りへん。苦労させてまうさかいな」

「私も馬に蹴られたくありませんから」


 それ、認めてるようなものじゃないかな!?


 あやってそんなモテモテだったの? こんなのまるでライトノベルの主人公だよ!?


「うちらのことはええんや。そこまで本気やない。ただ、伴侶にするならこんな男がええなって思とったくらいや」

「私もそんな感じです。寝取ろうなんて考えてませんので安心してください」

「ははは伴侶とか!? ねねね寝取るとか!? ななな何言ってるのかな!?」

「まったく! 初心やなすずっぽは!」

「ええ、可愛いです」

「もう……揶揄わないでよ……」


 私を真ん中にして肩を寄せてくるふたりのお姫様。その肩の温もりは、お風呂のお湯よりも温かくて柔らかく感じた。


「うちらはな? いや、うちらだけでない。りょーもてつもまっつんも、皆あんたといいんちょが好きなんや。幸せになって欲しいって願ってるんや」

「はい。杉崎の阿呆が勇み足かましましたが、その通りです。皆応援してるんですよ」


 そんな風に思っていてくれたなんて……


 皆の気持ちがありがたくて涙が出てくる。


「だからな、すずっぽ。はよいいんちょのこと押し倒してまえ!」


 すぱこーん! と良い音が鳴り響く。みことが洗面器でアネットの頭を殴ったのだ。


「あいたっ!? なにすんねん!」

「綺麗に纏まりかけたのを台無しにするからです! 普通に告白すればいいでしょう!?」

「何事も勢いって大事やろ!? 奥手同士、いつまでたっても進まんの目に見えてんで!? せっかく良いもん持ってるんやし、身体でわからせるのが一番早いって!」


 告白……


 押し倒す……


 あや君に……


 身も心ものぼせ上った私は、ぶくぶくと湯船の中に沈んでいった。


「あかん!? やりすぎた!?」



 ✤✤✤




 翌日、実習航海の日程と班割が発表された。


 1番艦ハツヒメ

 艦長:三鷹涼穂

 副長:相馬彩晴


 2番艦ユキヒメ

 艦長:春日みこと

 副長:アネット・レイニー


 3番艦マヤヒメ

 艦長:杉崎鉄平

 副長:小松太一

 :時田亮


 予想もしていなかった。まさか私とあやが、同じ艦でペアになるなんて。

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