スイカの音

西しまこ

第1話

 そろそろ、スイカの時期だ。

 丸い大きなスイカ。スイカをじゃくっと切る母の顔が好きだった。いまはもう記憶の中にしかいない母はスイカがとても好きで、暑い夏には、うちにはいつもスイカがあった。スーパーに行くと、必ず大きな丸いスイカを買ったものだった。スイカは、ビニールテープで作られたスイカ用のざっくりとした入れ物に入っていて、元気な緑と松葉のように黒っぽい緑の縞々の顔で、いつもわたしたちに「家に連れて帰って」と訴えていた。


 母がスイカを指で弾く。

「何しているの?」「おいしいスイカを探しているのよ」

 母はいくつかのスイカを指で弾いたあと、満足そうな顔をして、ある一つのスイカを選び出し、赤いビニールテープの持ち手をつかんだ。

「どうしてそれにしたの?」

 わたしには音の違いがよく分からなかった。母が指で弾くスイカの音を真剣に聞いていたけれど、音階の違いは分かっても、いいスイカの音が分からなかったのだ。

「おいしいよ、身がぎゅって詰まっていて甘いよっていう音がしたからよ」

 母は爽やかに微笑んでそう言った。


 買い物カートの中で、スイカは嬉しそうに笑っているようだった。母はスイカとおしゃべりが出来るんだ。わたしは母のスカートをちょっと掴んで、誇らしい気持ちでスーパーの中をいっしょに歩いた。


 母はスイカとおしゃべりが出来るけれど、家に帰ってすぐにすることは、大きな丸いスイカをじゃくっと切ることだった。そうしてすぐに必ず食べた。父は「冷えていないスイカは食べない」と言っていたけれど、母は気にせず食べていた。「だっておいしいわよ?」


「ほら、冷蔵庫に入らないでしょう。だから切るのよ。そうして、入りきらない部分はね、食べるの。美穂もいっしょに食べよう」

 わたしはいつも母といっしょに生ぬるいスイカを食べた。三角の頂点にぱくりと食いつく。スイカの赤い汁が垂れて手を濡らす。準備よく用意されたタオルで手を拭きながら、母とふたり、食卓で食べるスイカは甘くてとてもおいしかった。


 *


 出勤途中で、黄色い旗を持って登校する児童を見守るボランティアの人を見て、ランドセルを背負っていたころは、いつも母にまとわりついて、いっしょにスーパーに行き、暑い夏には毎日のようにスイカを食べていたことを思い出した。わたしは、よく冷えたスイカを父や兄弟たちといっしょに食べることよりも、スーパーから帰ったあと、母とふたりで生ぬるいスイカを食べることの方が好きだった。なぜか生ぬるいスイカの方がおいしいとさえ思っていた。


 いつの間に、母といっしょにスーパーに行かなくなったのだろう。

 そして、スイカの音について、もっと母に聞いておけばよかったと思う。指で弾いても、わたしにはスイカの良し悪しが分からなくて悲しくなる。だからスイカはもう、切ったスイカしか買うことが出来ない。そうして一人で母を思い出しながら食べる。じゃくっとスイカを切ることもしないし、直接齧りつくこともしない。スプーンで食べるのだ。


 幼い日のスイカの音は母の笑顔とともに、優しい幻影となってふわりと浮かび、ぱちんと消える。その消えるまでの間、わたしは少女に戻る。




   了



一話完結です。

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