第6話 秘書の行方

 ハウスキーパーさんへの聞き取りがある程度終わった頃、娘の様子もだいぶ平静を取り戻してきたようで、ハウスキーパーに警察との話が大丈夫なのかを訊いてもらうと、大丈夫だということだった。本来なら一人一人を訊いてみるべきなのだろうが、容体のこともあるので、話は一緒ということで、娘にも応接室にきてもらうことにした。

 寝巻にガウンを羽織ったような恰好であったが、それも致し方のないこと、化粧も施していないのは、そもそも、彼女には化粧を施したり、服を着飾ったりなどという意識は存在しないのかも知れない。

 無頓着といえばそれまでだが、ひょっとするとかつて、父親か母親から、必要以上にまわりに対して気を遣うように言われてきて、ずっと反発の感じていたのかも知れない。

「お辛いことがあったら、遠慮なくおっしゃってください。こちらおお話をやめますからね」

 と浅川刑事がいうと、娘は、

「うん」

 とばかりに頷いた。

 ちなみに、応接室に一堂に介したメンバーとしては。警察側は、、浅川刑事、河合刑事、そして倉橋巡査、被害者の身内として娘の中西涼香。そしてハウスキーパーの山下という面々であった。

「では、さっそくですが、まずはお二人にお伺いします。ご主人を誰か恨んでいるような人に心当たりはありませんか?」

 と、言われて、二人は顔を見合わせたようだが、すぐに代表してハウスキーパーの山下が、

「いいえ、社長を恨んでいるというような人に私たちは心当たりがありません」

 ということだった。

「仕事のことまでは分かりませんが、仕事面でも殺されるようなことは考えにくいです。しかも、他で殺されたわけではなく、自宅の、しかも寝室ですよね、そうなると、まったく見当がつきません」

 と、娘の涼香が言った。

「ところで、お母さんと亡くなったお父様は、五年前に離婚されたということですが、その時の理由などについては、ご存じはないですか?」

 と訊かれて、

「いいえ、ハッキリとした理由は聞いていません。夫婦間のことですので、法的な部分は話し合っての離婚だったのだと思います」

 と山下がいうと、

「じゃあ、お二人のうちのどちらかが、不倫というような話はなかったんですか?」

 と言われて、最初は考えていた涼香だったが、意を決したかのように、

「たぶん、調べればすぐに分かると思うので、お話します。ただ、これもすべてを知っているわけではないので、私たちが他の外野から聞かされた話になりますが、そのあたりはご了承ください」

 という前置きを入れた後で、涼香は粛々と話し始めた。

「実は、不倫ということであれば、二人ともしていたというのが事実です。どちらかが先に始めて、その腹いせに、もう片方が……、ということだったのかも知れないし、お互いに知らない間に相手に気づかれないようにして、不倫をしていたのかも知れない。そのあたりは私も分かりません。幸いなことに、それが週刊誌のネタになるようなことではなかったので、騒がれずに離婚できたのは良かったかもしれませんが。私にとっては、両親が揃っているのが当たり前だったので、いつすれ違いが起きたのか、ハッキリとは分かりません。そういうことで、五年前に離婚が成立し、お母さんは、出ていくことになったんです。もちろん、十分な財産分与などはしていたと思いますので、母は追い出されたというわけでもないようです。その後、母は少しして再婚したそうです。その相手が不倫の相手だったのかどうかは、お母さんは教えてくれなかったですので、私もそれ以上は訊きませんでした。今でも母との面会は時々しています。面会ありも、離婚の条件でしたからね。まあ。もっとも、私も成人していたので、親の離婚問題に、あれこれいうつもりはありませんでしたけどね」

 と言っている。

 吐き捨てるような話し方ではあるが、別に両親を憎んでいるという感じではない。むしろ。仲が悪い夫婦なら、離婚しても当然だという程度の考えを持っていて、ある意味潔いというべきか、

――服装を見ている限り、世間体などに関してはウンザリした考えなのかも知れないな――

 と感じた、浅川刑事だった。

 浅川刑事も服装には無頓着な方だった。ファッション雑誌などを見ている十代、二十代の男性を見て、

――一体、何が楽しいんだ?

 と思うくらいだった。

 さすがにスーツ着用が必要な場所にはスーツを着ていくくらいの情式は持ち合わせているが、それはあくまでも一般常識の範囲だった。少なくともファッションに金を掛けることの気が知れなかった。

「服を買う金があったら、うまいものでも食うよ」

 と言っていたが、そもそも刑事というのは、ドラマなどでは、いつも着たきり雀で、一張羅のコートをいつも着ているという雰囲気があり、そういう意味では、浅川刑事は、

「昭和の刑事」

 のイメージであろうか。

 涼音もそんな浅川刑事に悪い気持ちを抱いている雰囲気ではなかった。むしろ見た瞬間に、

――この刑事さんなら、私の気持ちを分かってくれるかも知れないわ――

 と感じたほどで、本当ならこんなにズケズケと訊いてくる刑事に、話してやる義理はないというくらいの感情を抱くのはいつもの涼音だった。

 そんな涼音の性格をよく分かっている山下は。涼音を一人で刑事たちに立ち向かわせるのは危険だと思っていた。

 喧嘩になることはないかも知れないが、綾音の場合は、ふてくされると、梃子でも動かないところがあるので、今でも対処に戸惑うことがある。ましてや初対面の刑事であれば、特に刑事という今までの未知の相手とのやり取りに対しては。両極端を想像していた。

「ふてくされて、一切なのも言わないか。それとも、興味津々で余計なことまで喋ってしまうかのどっちかだろうな」

 と山下は思っていた。

 だから、二人で応対できるのはありがたかった。いざとなれば、鼻の腰を折ってでも気まずい雰囲気になりそうなら、止めてやればいいからだ。

 涼音の性格を知り尽くしていると思っている山下は、さすがというべきか、涼音がすでに浅川に興味を持っているのが分かっていた。

――これなら、難しい状況になることはないわよね――

 と感じていたが、涼音は次第に浅川だけを見るようになっていた。

「じゃあ、お母さんは今回の事件にはまったく関係ないと言ってもいいのかな?」

 と浅川が訊くと、

「それは大丈夫だと思います。旦那様は奥様に離婚の時にちゃんと財産分与も弁護士を立ててしっかり話し合っていましたので、問題はありません。しかも、奥さんの方もすでに、再婚されているので、いまさらというところではないでしょうか? それに遺産の問題となると、元奥さんが旦那様を殺しても、まったく遺産の分与など関係ないのだから、動機としては、まったくないと言ってもいいでしょう」

 と今度は山下が答えた。

「じゃあ、奥さんの方には、動機はないとして、他に何か考えられることはありますか?」

 と、浅川は山下と涼音を交互に見ながら聞いた。

「ないと思います。お父さんはお金に関してもしっかりしておられたので、社長である父が借金をするわけもないですし、逆に、人からお金の無心に来られても、人に貸すようなことはありませんでした。貸してしまうと、相手が返せなくなった場合のことを考えると、一時の感情に流されてはいけないのだと、いつも言っていましたから」

 と、近祖は涼音が答えた。

「なるほど、お父さんはお金に関してはシビアだったわけですね。ただ、それは守銭奴のようなわけではなく、相手のことを考えてのことだったということですね」

 と浅川刑事が訊くと、

「ええ、その通りですわ。私はお父さんのそういうところには尊敬の念を抱いていました」

 という涼音に対し、

「じゃあ、尊敬の念を抱けないところもあったというわけですか?」

「ええ、そうですね。やはり会社を守っていきながら、さらに大きくしていくという使命を持っていると思っていたので、それだけに、いつもピリピリしていたところがありました。お母さんはそんなお父さんにきっと嫌気がさしたんでしょうね?」

 と言って、涼音はまた母親の話に戻ってしまった。

 まさかとは思うが、直接手を下したわけではないとしても、今回の事件に、母親が何か一役買っているところがあるとでも思っているのだろうか。ただ、実際には、状況から考えると、その可能性はない。一番考えられるのは、基本的には、家の中の人間、つまり今目の前にいる、ハウスキーパーである山下と、娘の涼音の二人ということになる。

「じゃあ、質問を違う方向からしてみましょうか?」

 と、浅川は言った。

「どういうことですかぁ?」

 と、涼音が甘えた声で言った。

 涼音という女の子は分かりやすい娘で、自分の気持ちが声や態度に出るようだ。ただ、それが自然となのか、それともわざとなのか、分かっていないようだ。そのことを浅川は分かっていて。そうなると、どこまで信用していいのか分からなかったが、少なくとも、彼女の言葉にわざとウソを言う時があっても、見ていれば分かるような気がした。

「お父さんにですね。自殺をするとすれば、何か心当たりになるようなことはありますか?」

 と訊かれて、さすがに山下さんは少しムッとした表情になったが、涼音は、それほどムッとした様子もなく、平然としていて、

「私にはないわ。お父様が悩んでおられたりすれば何となく分かるもの。お母さんとの離婚の時も私、分かったんですよ」

 ということであった。

「山下さんの方はいかがですか?」

 と聞いてみると、

「私も旦那様が死にたいと思う日土悩んでいた様子はなかったですね」

 ということであった。

「なるほど」

 と、浅川は少し考えていたが、今度は、また少し考えてから、

「ところでですね。最近音信不通の避暑の方というのは、どういう方なんですか?」

 と聞くと、

「ああ、加倉井さんと言われる方なんですが、以前まで社長の避暑をしておられた方が急にお辞めになるとのことで、その代役にと、辞めて行かれる方が推薦して行かれたかただったんです。今からちょうど一年くらい前ということになりましょうか? 辞めていかれる方の紹介ということもあり、そして、ちゃんと秘書仲間からも加倉井さんなら大丈夫ということで雇うことにしたんです」

 と、山下は言った。

「それでね。家に秘書の人が住み込むようになったのは、前の避暑の頃からなんだけど、加倉井さんも同じように、ここに住み込んで、お父さんのそばをずっと離れないでいてくれたので、皆かなり加倉井さんを信用するようになったんです。気も利くし、物覚えもよさそうなので、安心していろいろ任せることができたのよ。私もそんな加倉井さんを信用していたし、山下さんもそうだったの。だから、加倉井さんが急に家族が急病で帰らなければならなくなったと聞いた時はビックリしたけど、お父さんは快く実家に帰ることを了承したのよ。でもいざ帰ってしまうと、心細さは酷いもので、四人いたところから一人が減るというだけでこんなに寂しいものだったなんて、思ってもみなかったんです」

 と、涼音は言った。

「そういえば、その加倉井さんのお写真か何かありますかね?」

 と訊かれて、

「ええ、家族と加倉井さんが家をバックに撮った写真があったと思いますが、山下さん、持ってきてくださいますか?」

 と言われた山下が、

「はい、かしこまりました。少々お待ちください」

 と言って、席を外して、部屋を後にしていった。

「ところで涼音さんは、今はお仕事の方は?」

 と訊かれて。

「ええ、最初はお父さんの会社で事務員をしていたんですけど、どうも私には無理があったようで、三年前に辞めたんです。やっぱりまわりがどうしても私のことを、

「社長の娘という目で見るんです。上司は、明らかにおべんちゃらを使ってきて、私に渡英慰労とするのが分かるし、後輩や部下は、そんな上司を私も含めて毛嫌いしてくるのが分かるんです。若い頃は上からのおべんちゃらだけだったので、まだ何とかなったんですが、さすがに、部下や後輩の妬みには耐えられなくなって。鬱状態に陥ったんですよ。それで、しばらく入院を余儀なくされて、思い切ってお父さんに相談したんです。するとお父さんはそんな私の気持ちを分かってくれて、それなら家にいればいいと言ってくれたんです。私も退院してから、少し自宅療養をしてから、社会復帰を考えたんですが、一度精神的な病で入院することになると、新たに社会復帰というのは、思ったよりも精神的にきついんです。それで、今はズルズル家にいるというわけなんです」

 と話してくれた。

「そうですか、いや、言いにくいことを話してくださって恐縮です。今のお話を伺っていると、やはり加倉井さんが不在というのは、かなりお寂しかったんでしょうね」

 と浅川はいった。

 本当はその後、

「一度精神を病んでしまったこともあって、今回のお父さんの死についてはショックが大きかったことでしょう」

 と言おうとしたが、言わずに正解だったということに、浅川は気が付いた。

 さすがに、鬱病で入院というと、かなりギリギリのところまで我慢していたということであろうか。女性というのは、よほど信頼できる相手がいなければ、自らの気持ちを人に打ち明けることなく、家に籠らせてしまうようだ。そして、ある程度まで限界に近いところまでくると、そこから先は性格が出るという。

 つまりは、我慢できなくなった場合をそのまま直接相手ぶつける人、ぶつけられた方は何が起こったのか分からないかも知れないが、本人にとってはそれが一番であろう。夫婦が離婚する場合などで、どちらかが一方的に切り出して、そのまま押し切るように離婚するパターンがあるというが、まさにこれではないだろうか。

 そういえば、離婚した友達に言われたことがあった。

「男女の仲は難しい。女というのは、何も言わずにギリギリまで我慢して、どうしようもなくなって初めて爆発するものなんだ。だから男の方とすれば、対処どころか、まったくの寝耳に水の状態で、何をどうすればいいのかなどということを考える余裕もない。何しろ、体勢を整えることすらできないのだから、本当にやってられないよな。男の方とすれば、そんな不意打ちを食らわされると考えてしまう。このままうまくいい繕って、その場をうまく収めることができたとしても、また同じことが起これば、今度はどうすることもできない。一度の延命が次には、修復できない形を作ってしまうくらいなら、ここで別れた方がいいと思う人もいるんじゃないかな? 逆に、男が開き直ったことで、女性も我に返り、自分がとんでもないことをしたと気付く人もいるだろう。だけど、今度は男性が完全に冷静になって、関係が冷めてしまったことを自覚してのことなので、こうなってしまうと、もう修復することは不可能なんじゃないかって思うんだ」

 と言っていた。

 その話を訊いて、身につまされた思いがした浅川は、男女の関係については、今はあまり考えたくないと思ったほどだった。

 浅川はまわりにファンが結構いるのだが、実際のプライベートでは、女性との付き合いは極端に少ない方だった。

 学生時代に、数人と付き合ったことがあるくらいで、警察に入ってからは、女性を付き合ったことはない。新人の頃に、合コンに呼ばれて行ったことはあったが、カップルになることもなかった。いつも人数合わせの一人として呼ばれるだけで、

――どうして、皆、俺を誘うんだろう?

 と思ったが、どうやら、ぴエルにさせられていたようだ。

 合コンに行って、こちらが警察官だというと、相手の女性は結構引いてしまうことが多く、それをトラウマのように皆が感じてしまったことで、誰かトラウマにならないようなやつを一人参加させればいいということになって、その白羽の矢が彼に当たったのだ。

 浅川は、大学時代から雑学などの知識も豊富で、歴史の話など、本来なら難しいと思われるような話でも、面白おかしく話すことができることが、合コンのメンバーとしては最高だったのだ。

 しかも、彼には合コンに出席しても、女性目当てではないところが、合コンを合コンとして楽しんでいる連中にはありがたかった。そういう意味でも、浅川は結構、女の子には人気が出てくることになるのだった。

 真剣に刑事をやろうと、浅川も最初から思っていたわけではない。熱血漢でもない浅川が警察に入ったのは、公務員を目指していて、入れるところが警察だったというだけのことで、

「警察官になるんだ」

 と、ずっと思っていた連中に対しては失礼だと思うが

「就職先を決めるなんて。しょせんはそんなもので、ほとんどの人が、消去法で、入れるところに入るだけ」

 ということではないかと思っていた方だった。

 今でもその気持ちに変わりはないが、警察を目指してやってきた連中と仕事に対する姿勢は変わりがないくらいになっているという自負はある、しかも、最初の志望動機は不純であったかも知れないが、実際に勤務してみると、

「これが俺の天職なのかも知れない」

 と感じるようになり、

「もし、他の道を歩んでいたとしても、同じ気持ちになったかも知れない」

 とも思ったが、それはそれでいいことのように思えた。。

 これが、浅川の浅川のゆえんで、だからこそ、まわりが浅川に対して信頼感を抱いているのだろう。

 涼音の話を訊いていて、自分がラッキーだったのかも知れないという思いと、これが自分の性格だという思いとが交錯している状態で、浅川はきっと優しい目を涼音に浴びせていたことだろう。

 そんな浅川の性格を、涼音という女性は看破していたようだ。涼音を見ていると、彼女もあまり男性と付き合いをした様子はなく、それは、浅川が自分だから分かるという風に感じているのであった。

 涼音はそんな浅川に対して、

――この人は、私が最初に抱いた好感を、まったくすり減らすことなく、私のそばにいてくれている――

 と感じたのだ。

 つまりは、いつも涼音は男性を見る時、なるべく一番いいところから出発させる。涼音にとて百パーセントに見えるところであるが、その部分を減算法にしてしまうのが、涼音の今までの男性の見方だった。

 今回の浅川に対しての、百パーセントの部分が、本当に百パーセントに限りなく近い形だったということを自覚しているからなのか、減算法をしようとしても、ほとんど、百パーセントから減ることはないのだった。

――こんな男性は私にとって初めてだわ――

 という思いを次第に抱くようになっていた。

 それが、あざといと見られるかも知れないが、甘えたような言い方をすることだったのだ。

 あざとさは、浅川に伝わったようだったが、そのあざとさだけではなく、彼女の真にある気持ちが浅川には垣間見れたことで、完全に自分が恋心を抱いているということを感じてしまっていた。

 確かに捜査員と、被害者の家族という関係であるが、二人はそれだけではないような気がしていたのだが、その甘い空気を他の二人、河合刑事と倉橋巡査には分かっていなかった。二人は待っている間に、会話はしなかったが、かつての先輩と後輩という懐かしさから、アイコンタクトを交わす時間を持っていたのだった。

 河合刑事は今は刑事として、巡査よりも立場としては上になってしまったが、だからと言って、倉橋巡査のことを下に見るなどということは決してなかった。

 それどころか、

――自分に警察官としての思いを感じさせてくれたのは、倉橋巡査だ――

 という思いがあった。

 河合刑事も、気が弱いところもあり、警察官になったはいいが、毎日、

「自分に務まるのだろうか?」

 とずっと悩んでいる時期があった。

 それを、倉橋甚さがいろいろ心構えから教えてくれたのだ。

「警察官というのは、本当に自分のことよりも、市民優先に考えることが大切なんだよ。ほら、よくテレビなどで、交番に道を訊きにくる老人がいたりするだろう? 優しく教えている警察官を見て、ホッとした気分にならないか? 刑事ものなんかで、活躍する刑事とはまた違う意味で、グッとくるものがあるのさ。だから、ホッとした気分にさせられるという意味で、ああおいうシーンを織り交ぜたりするんだろうな」

 と言っていた。

 河合刑事は、もっとシビアに見ていたのだが、

「そういうことではなく、警察の内部事情に切り込むようなドラマを作ると、警察のイメージが悪くなることで、中和剤としええ、巡査が活躍する刑事ドラマだってあったりするんじゃないかな? これもあざといということなんだろう」

 と思っていたので、倉橋巡査の話を訊いて、

―ーなんて都合よく考えるんだ。まさに僕に言い聞かせるために考えたかのようじゃないか――

 と最初は思っていた。

 だが、倉橋巡査と一緒に仕事をするようになってから、その思いが少しずつ変わってきた。

――倉橋さんの最初に言っていたことは、まんざらでもないんだ。都合のいいことを並べているかのように見えたけど、それだって、真実だから、口にできたことなんだ――

 と感じるようになったのだ。

 その時から、倉橋巡査の背中を見て仕事をするよういなったが、同時に、刑事に対して圧倒駅な劣勢が感じられたことは、大きな違和感だった。そこで、

「俺が刑事になって、巡査たちが仕事をしやすいように、導いてあげるんだ」

 と感じるようになったのだった。

 そんな思いを胸に、河合刑事は、仕事の合間にも勉強を重ね、昇進試験に受かり、刑事課勤務を拝命した。倉橋巡査は、そんな部下を見て、誇らしげに思っていたに違いない。お互いに、尊敬しあう関係。これほどうまくいっている関係もないものだと、二人はそれぞれに感じていたのだ。

 そんな感情を抱いていると、別室から写真が見つかったのか、山下女史が戻ってきた。

「お待たせしました」

 と、言って、写真をテーブルの上に提示した。

 その写真は、この屋敷尾庭で撮影したのか、真ん中に社長、それを囲むように、皆笑顔で映っていた。

 その写真の奥には。大きな松の木があり、その手前には綺麗に生えそろった芝生が、いい具合に生えていた。その奥にはさらに池があり、池のほとりに東屋のようなところがあった。いかにも日本家屋の庭園を思わせ、思わず、庭園の方に目が行きがちになるところだが、今日の目的は違っていて。そこに写っている秘書の加倉井を探すことだった。

 皆の顔を見ると、山下さんが映っている。社長と反対隣には、娘の涼音が映っていた。そして、その後ろに映っている一人の男性。これがどうやら秘書の加倉井氏のようだ。

 さすがに秘書というだけあって、控えめに写っているのを見ると、

「元々、暗いタイプなのかも知れない」

 と思ったが、声には出さなかった。

 その時、浅川は一瞬、

「おや?」

 と感じた。

 他の人が感じているかどうか分からないが、浅川が感じたのは、

「この写真、誰が撮ったのだろう?」

 という思いだった。

 自撮り棒で撮ったという雰囲気ではない。誰の手も、すべて写真の中に収まっている。それを思うと、

――まさか、昔のカメラの自動シャッターで撮ったのかな?

 とも思ったが、そうではないことは分かっている気がした。

 本当はそれを聞いてみようかと思ったのだが、それを聞くのはこの場においてタブーに思えたのは、どうしてだったのだろう?

 この写真をみんなで覗き込んだのだが、警察関係者の中で一番訝しい表情をしていたのは倉橋巡査だった。それに気づいた河合刑事が、

「倉橋さん、どうしたんですか? 何か気になることがあるんですか?」

 と言われて、ハッと我に返って、河合刑事を睨むように見つめたその顔は、まるで助けを求めているような感じだったので、さすがの河合刑事もドキッとした。明らかに尋常ではないと言わんばかりであった。

「この写真の後ろに写っている男性が、秘書の加倉井さんなんでしょうか?」

 と聞くと、山下女史と涼音は顔を見合わせると、今度は二人が訝しい表情になった。

 しかし、我に返ったとはいえ、顔色は真っ青で尋常ではない精神状態にいる倉橋巡査を見ると、胸騒ぎを起こさないではいられなかった。

「じ、実は、ここに写っている加倉井さん。私は見たことがあります」

 と、倉橋巡査は言った。

 見たことがあるというだけで、ここまで顔色が変わるというのはおかしい。緊張感を持ったまま浅川刑事が訊いた。

「どこで見られたんですか?」

 と聞くと、

「実はですね。二週間くらい前ですか。河川敷で見つかった刺殺事件をご存じですか?」

 と倉橋巡査が訊いた。

「ああ、桜井君が捜査している事件ですよね。確かまだ被害者が特定されていないという事件ですね」

「ええ、そうです。あの事件は特殊で、かなり難しい事件だという話は聞いているんですが」

 という倉橋刑事がそこまでいうと、浅川刑事は何かを悟ったような気がした。

「まさか、ここに写っている加倉井氏の写真、あの時に発見された被害者だったなんていう話じゃないでしょうね?」

 と、言った。

 あまりにも突飛な発想だったので、言葉にするのも迷ったが、言葉にしないと進まないような気がしたので、口にしたのだった。

「えっ、ということは、加倉井さんは誰かに殺されていたということですか?」

 と言ったが、それを聞いて、二人は、さほど驚きがないようだった。

 唖然としているかのようにも見えるが、それよりも、最初から分かっていたのではないかと思うようになったのだった。

 加倉井が殺されたということは警察の方では衝撃かも知れないが、それ以前に、主人が死んでいるのである。その時点でショックが大きかったということであろう。

「まさか、加倉井さんが殺されていたなんて思ってもいなかったんですが、少し不思議に思ったのですか……」

 と涼音は言いかけた。

「どういうことでしょうか?」

 と浅川が訊くと、

「いえ、あのですね、先ほど被害者は特定できていないとおっしゃいましたねよ? それなのに、この写真を見て、加倉井さんが被害者と一緒というのは変じゃないですか?」

 それを聞いて、何が言いたいのか分かった気がしたが、せっかくの演出なので、分からない風を装うようにしていた。

「というと?」

 と浅川が訊きなおす炉、涼音は得意になったかのように、

「だって、被害者の顔が分かっているんということなんですよね? それなのに、どうして今まで被害者を特定できなかったんでしょうか?」

 と言った。

 このことは、ちょっと考えれば分かることであるが、その発想は、見方を変えなければできないことである。この見方を変えるという発想は、ちょっとした距離でありながら、限りなく遠い存在でもあった。

 近くにある月に手を伸ばせば届くのではないかという発想と同じなのかも知れないと、涼音は感じていたのだ。

 浅川刑事は涼音を見ていると、

――この女性は、人と発想が若干変わっているので、違った視線から見る場合には重宝しそうだな――

 と感じ、

――こんな部下や同僚がいてくれたら、いいかも知れないな――

 と、刑事にしたいくらいの気持ちを抱いていた。

 浅川刑事はその話を訊いて、本当は極秘にしておくべきかも知れないが、涼音には敢えて聞いてもらいたいという思いから、話をした。

「実はですね。あの死体には整形手術が施されていたんですよ。死後数時間経った時、見た目にも違和感があり、その時整形をしていることを、感じたという話を訊きました。そして実際に鑑識の発表でも整形手術を施されているという話だったので、間違いないと思います」

 という浅川刑事に対して、

「じゃあ、あの人は整形している顔だったということでしょうか?」

 と、この話にはさすがに衝撃を受けたようで、興奮気味の涼音であったが、それを聞くと、彼女の中で、加倉井に整形を感じさせるものは一切なかったということを医師三していろと思った。

 ということは、死後にならないと、整形がバレるようあことはないということなのだろう。それだけ、生存時には、まったく気づかれないほどの腕の持ち主が手術を施したということなのだと、浅川は感じたのだった。

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