婚約の直後に婚約破棄されました ~ひどい扱いに泣きながら地下へと降りて封印された扉を見つけました。ずっと待っていたよと麗しい精霊に求婚されたので家を出ることにしたのです~

藤森かつき

婚約の直後に婚約破棄されました

 フィリシエン・ソジュマは、待ちに待った婚約が決まった。婚約者の到着との知らせに心躍らせ、長い金の髪を棚引かせながら階下へと降りて行く。

 見知らぬ男との婚姻だが、フィリシエンは家を継ぎソジュマ小国の次期女王となる身だ。ヴィノッチ公爵家とは良縁であり了承した。

 

 広間には、見目麗しい好青年らしきが立っている。フィリシエンとしては一瞬で気に入ってしまったので、文句はなかった。だが顔見せの場で公爵令息イブラル・ヴィノッチは奇妙な表情を浮かべている。フィリシエンが近づいて行くと、様子がおかしい。眉根を寄せ、不快な表情を浮かべている。


「話が違う」

 

 明らかに怒りすら込めてイブラルは騒ぎ始めた。フィリシエンの緑の瞳は動揺に揺れる。

 

「僕は、ソジュマ家の長女カリエメラと婚約したはずだ」

 

 公爵令息であるイブラルは言い放つ。

 長女カリエメラですって? ソジュマ家の長女はわたし、第一王位継承者であるフィリシエン・ソジュマであることは周知のはず。

 確かに、後妻であるヘルズにとっては、カリエメラが長女だ。

 

「いや、もう婚約は決まった」

 

 フィリシエンの父であり、ソジュマ小国の王であるライヌシュト・ソジュマは決定を揺るがす気はないようだ。親同士の決めた婚約。王は、イブラルへと諭すような視線を向けた。婚約は既に結ばれているので、無かったことにはできない。

 

「ひどいです、お父様! イブラルと付き合っていたのは、私です」

 

 血相を変えた腹違いの妹カリエメラが、王へと歩みよりながらキツい口調で主張した。フィリシエンの婚約者が来た、との言葉を聞きつけ近くまで来たところだったようだ。

 

「だから、お姉さま、身を引いてくださらないかしら?」

 

 カリエメラは振り向き、フィリシエンをにらむ。毅然として当然の権利だと言わんばかりの剣幕だ。そこには、次期女王に対する尊敬も、姉に対する敬愛もない。

 

「悪いけど、君との婚約は破棄だ」

 

 イブラルは蔑むような視線をフィリシエンへと向けて言い捨てた。好青年だという第一印象はもろくも崩れ去り、そこに存在しているのは歪んだ表情の青年だった。怒りと混乱のせいで、そんな表情になったのだろう。

 フィリシエンと正式な婚約は成立していたから、カリエメラと婚姻するなら一旦婚約は破棄するしかない。

 

「……わかりました」

 

 フィリシエンは短い沈黙の後で呟いた。

 元より、自分の婚約ではなかった、と、ただそれだけのこと。

 だけれど、婚約は破棄された。手違いだっただけ。でも、小さいがそれはフィリシエンにとっては傷だ。

 

 更には、先妻の子であるフィリシエンを分け隔てなく育ててくれたと思っていた継母ヘルズ。それに腹違いの妹たち。彼女らは、フィリシエンの存在を認めていなかったのだと悟ってしまった。

 

 即座に、新たに腹違いの妹が公爵令息の婚約者となるべく取り計らう流れだ。

 公爵家は、イブラルを次期女王の婿にするという約束の元だったということで、自動的にカリエメラが次期女王と決定したようなものだ。

 

 最初から妹と婚約だと、ちゃんと整えられていたなら祝福もできたろう。

 いや、実際、すでに婚約は破棄され、新たな婚約が結ばれたことには祝福を、と、フィリシエンは思う。

 だが、やりきれない思いで、その場からは走り去った。王女らしからぬ、態度ではあるが、誰もとがめないだろう。

 

 

 

 先妻の娘フィリシエンのことは、継母ヘルズや腹違いの妹たちは意図的に弾いていたに違いない。自分がソジュマを継ぐから婚姻して、というカリエメラの主張。

 イブラルは、女王の婿であるなら、と、ソジュマ家との婚姻を承諾したのだ。

 家を継ぐ長女へと婿入りさせる、という話を父同士が決めていた。

 

 フィリシエンは長女であり第一王位継承者であるから、女王としてソジュマ小国を継ぐ。誰もが、それを正当と思っていたろう。だが、ソジュマ家はヘルズの一家に乗っ取られたようなものだ。

 継母と、腹違いの妹たちは、姉フィリシエンを最初から排除するつもりだったのだろう。

 

(酷い……。酷すぎる……)

 

 婚約直後に婚約が破棄されたことよりも、義理の母ヘルズ、そして腹違いの妹たちが許せない。

 フィリシエンは、ソジュマの血を引く、ふたりの妹を大事に慈しんできた。だが、少なくともカリエメラは、澄ました顔をして、姉を姉だとも思わず、同じ血筋と認めず、家の継承もフィリシエンにさせない方法を考えていたようだ。家を乗っ取る……いや、カリエメラにも権利はある。第二王位継承者だ。

 

 グルグルと頭のなかを暗い思いが廻る。知らぬ間に展開されていた陰謀に打ちのめされながら、フィリシエンは城の中を走り、地下への階段を駆け下りていた。

 夢中で、本来なら存在しないはずの地下へと駆け下りている。

 

 継母も妹ふたりも、フィリシエンを邪魔に思っていた。娘だと、姉妹だと、認めていない……。

 何より、先妻であるフィリシエンの母を全否定だ。

 

 確かにフィリシエンの母は、継母ヘルズのような爵位のある貴族の娘ではなく平民だったらしい。病弱で、フィリシエンが小さい頃に死なれてしまったが、妹たちは、母がいるうちに内々で産まれていた。

 ソジュマの血筋か怪しいものだ。いや、ふたりの妹は確かに、ソジュマの力を有していた。そのソジュマの力は、むしろフィリシエンより強い。

 

 

 

 迷い込んだ存在しないはずの地下は、迷路のようになっていた。幻影めいた道筋がいくつも見えていて惑乱する。だが、泣きながらフィリシエンは迷うことなく、最短距離で導かれる場所を目指していた。

 

(こんなに綺麗な場所だったかしら?)

 

 明らかに、異質な場所に迷いこんでいる。そして、探した。

 

(なにを? 誰を? わたしは、なにを探しているの?)

(いいえ。わかっているの。ランベール! わたし、来たわ!)

 

 迷路で彷徨さまようあいだに、古い記憶が甦りつつあった。

 

「ランベール! どこ?」

 

 明確な声で呼んでいる。ふるふると、地下迷路が微かにふるえ始めた。

 何もかも急な話。婚約も婚約破棄も。翻弄されてスッカリ疲れ果てていたが、今は別の光が見えている。

 

 もの凄く綺麗――装飾の扉? 暖炉?

 繊細な彫刻の扉だろう。いにしえの取り決めのような物語の場面が美しい模様のように彫刻された一枚の扉。

 

(ここなのね……)

 

 開ければ、逢える。封じられている扉。

 

「おや、扉をあけたのかい?」

 

 懐かしい声が響く。扉の向こうに佇んでいたのは、若い青年。長い銀の髪。真っ青な美しい眼。形容しがたいほどに美しい麗姿。

 ランベール?

 誰なのか分からないまま、フィリシエンは心のなかで名を呼んでいる。

 

「あなたは?」

 

 精霊? ソジュマ家の精霊?

 フィリシエンは、驚きと懐かしさで心が一杯だった。だが、慎重に訊いた。

 

「扉を開けられたのに、覚えていないのだね」

「なんのことでしょう?」

 

 焦燥に駆られる。しかし、逢いたかった。強い強い気持ちが心の奥底にある。冷静に話などしていないで、胸に飛び込んで抱きつき、泣きたい――。

 

「随分と昔のことだよ。ここソジュマの姫と添い遂げることにした。だが、やはり姫は先に死んでしまってね。生まれ変わってくるのをずっと待っていたよ」

 

 「ユグデット」と、彼は、わたしを呼んだ。

 ソジュマ家の系譜のなかで、見たことのある名前だ。遠い昔。四百年以上も前の話。

 

「わたし、思いだせるかしら?」

 

 記憶はない。だが、この青年、名は多分ランベール。

 わたしは、なぜ知っている?

 ユグデット……たぶん、わたしだ。

 

「さあ? 思い出さなくてもいいよ。ちゃんと約束を果たしてくれたのだから。約束どおり婚姻しよう?」

 

 婚約破棄などという一大事がなければ、心が受けた哀しみが深すぎなければ、地下になど降りられなかったろう。ひとりになりたいだけなら、自室に篭ればいい。

 なのに、恐慌めいた想いに揺さぶられて、居てもたってもいられない感覚で地下へと走った。

 一度も来たことがないのに知っていて、入り組んだ廊下のいくつかの角を曲がった。

 鍵が掛かっているはずの綺麗な扉は、簡単に開いた。

 

 わたしは、ユグデット。

 何度も何度も、精霊ランベールの元へと通った。

 

「ランベール様。ランベール様ですね……。はい! わたし、あなたのものです!」

 

 フィリシエンは、全てを思い出したわけでなかったが、懐かしさと共に、ずっと繰り返していた行動をする。

 麗しき精霊に抱きつき、胸に顔を埋めた。優しい感触が背を抱きしめてくる。

 ああ、わたし、戻ってきた! 生まれ変わり、再びランベール様に逢うために――!

 確信が脳裡を廻った。

 

「本来、フィリシエン、君がソジュマを継ぐべきだったよ? でも、私はフィリシエンが欲しかった。ソジュマ家のためには申し訳ないが。遠い昔、一度は身を引いたのだ。今回は私の願いを叶えておくれ」

 

 背を撫でながら精霊ランベールは囁く。

 ランベール・ギノ。ソジュマの地下に棲まう護りの精霊。その存在自体は、ハッキリと思い出した。

 

 愛しい精霊。ずっと添い遂げたいと願い、地下に通っていたのに……。家を継ぐために望まぬ婚姻をした。ユグデットの命は短かった。

 

「ええ。わたしソジュマ家には何の未練もないの。ランベール様のこと、思い出せて本当に幸せよ」

 

 忘れたまま家を継いでいたかと思うとゾッとする。だから、妹カリエメラには感謝しないといけない。

 

「ただ、私がいなくなると、家には少し不都合がおきる。まぁ、心がけ次第で乗り越えられるだろうが。フィリシエンをないがしろにしたことを、私は許すことができない」

 

 ランベールは悪戯っぽい気配で優しく告げる。

 

「まあ!」

 

 ランベールは、フィリシエンを連れ、ソジュマの城から出るつもりでいるようだ。

 

「だが、それはフィリシエン、君の問題ではない。ソジュマを継ぐことになった者が解決すべき問題だ」


 精霊がいなくなれば、家は滅びる。たとえ、天上からの力がもたらした五家のひとつであるソジュマであろうとも。

 

「わたし、どこまでも、ランベール様と共に行きます。一緒に居られるのでしたら、どんなところでも天国ね」

「ソジュマ領であるミルワールの都をでることはできない。だが、ソジュマ家と、ソジュマ直轄領地への加護は与えない」

「では、どちらへ」

「小国の外れに、素晴らしい神殿が埋もれている。そこに行こう」

 

 廃墟になっていたが、甦りつつあるテシエンの街外れだ、と、精霊ランベールは耳元で囁いた。

 

「はい! 連れていってください!」

「もう、離れることはない」

 

 一緒に長く生き、共に黄昏れに行こう。

 

 精霊ランベールの言葉にフィリシエンは頷く。

 そしてランベールに抱きしめられたまま、精霊の力に巻かれ、地下から、ソジュマの城から姿を消す。

 転移で森の中へと入った。

 

 

 

 古びた神殿はボロボロだったが、一室をランベールが整えてくれた。

 それで充分。

 フィリシエンは幸せいっぱいだ。永く永く生き、いずれ共に黄昏れに行くことを約束し、新たな生活を始めた。

 自給自足に近いような生活になるだろうけれど、精霊の魔法のお陰で快適だ。

 

「心配しなくても、もっと快適になるよ。数日の辛抱だ」

「あら。このままでも、全く構わないですよ? ランベール様といられれば、それだけで充分」

 

 フィリシエンの言葉に笑みを深め、ランベールは愉しそうな表情を浮かべる。

 

 ランベールは、愛するユグデットを見守った。そして若くして亡くなった際、魔法で、転生した魂が再びソジュマ家に生まれるよう術を施してくれている。

 

「ソジュマ家は、いずれ滅びてしまうのですね」

 

 感慨はなく、フィリシエンは確かめるように訊く。

 

「君を大事にしなかった罰だよ。大事にしていれば、私は君に婿入りする形で、女王を支え、ソジュマを護った。ソジュマ小国は安泰だったろう」

 

 フィリシエンは、ソジュマの姓を、ランベールと正式に婚姻するときには捨て去る。

 精霊を失い、凋落ちょうらくして行くさだめとなったソジュマ家。

 

「一緒に、永い永いときを生きられるのですね」

 

 精霊の力でフィリシエンはランベールと同じ長さを生き、その後は黄昏と呼ばれる永遠の地を目指す。

 ミルワールの都の繁栄と、ソジュマ家の滅びを見守り、永く永くランベールと生きる。

 ユグデットとして生き、転生し、フィリシエンとなった魂は、精霊ランベールの元で永遠に憩うだろう。

 

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婚約の直後に婚約破棄されました ~ひどい扱いに泣きながら地下へと降りて封印された扉を見つけました。ずっと待っていたよと麗しい精霊に求婚されたので家を出ることにしたのです~ 藤森かつき @KatsukiFujimori

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