夏夜のキミと

七雨ゆう葉

キミをすくいたい

 梅雨が明け、熱帯夜よろしく、寝苦しい夜が続く季節。だがこの日の夜空は、僕の高揚感と比例し、どこまでも明るかった。


 今日は待ちに待った、キミとの夜。キミと過ごす初夜が、この後待っている。微かに揺れる赤提灯あかちょうちん。鼻腔をくすぐる白みがかった煙。そして四方八方を往来する、祭囃子まつりばやしに下駄のこすれる音。


 途切れることの無い喧騒がひしめく一角で、僕たちは落ち合った。久方ぶりの再会。けれど、特段気まずくもなかった。いつだってキミは、無垢な幼女のようにあどけなく、絶えず笑顔を見せてくれるから。着飾った浴衣姿の行列に負けず劣らず、目の前のキミは誰よりも美しく、僕の心臓を真正面から射貫いて離さない。


 大好きなキミ。できるなら抱きしめたい。今すぐ抱き寄せて、頬ずりしたいほどに、強く。徐々に熱を帯びる体。高まるボルテージ。一緒に花火を見た後は、早く僕の家に……。なんて、よこしまな思いを胸に留めつつ、僕はキミを見つめた。


 一見天然そうに見えて、実は察しの良いキミ。僕の手にそっと触れると、上昇した体温から心中が伝播でんぱしたのか、キミは人目を縫うかのように僕の手を跳ねけた。そうやってあしらうキミの態度に、少々ねる僕。だがキミは笑っていた。まるで祭りの夜が初めてかのように、はしゃいで見せる。よく言えばツンデレ、悪く言えば人たらしな振舞いの数々に。僕はこうしてまた、魅せられてしまう。


 ほら、はやく。そう言われているような気がして、僕はキミを追いかけた。待って。そんなに走ったら危ないから。僕がり寄ると、お尻を軽く振って「ここではダメ」と微笑む。どこまでも悪戯が止まらない。ホント、キミはずるい。

 しばらくして。流石に疲れたのか、ようやくキミは動きを止めた。だが行き交う群れの中、僕は姿を見失ってしまう。まったく。愛息あいそくムーブにもほどがある。


 しかしそんな中で。あれだけ僕をもてあそんでおきながら心配に思ったのか、振り返りきびすを返したキミ。遠巻きからのぞくつぶらな瞳。すると今度はキミの方から、僕の元へと近づいて来る。悪戯心をともらせた僕は、知らんぷりを決め込んだ。

 どうしたの? もう終わり? そんな様子で歩幅を詰めたキミは、そっと、優しく僕に絡みついてくる。初めてなのか、慣れてないのか、終始照れくさそうな素振り。電球に照らされた頬は夕日色に染まり、この上なく可愛かった。


 思わせぶりな態度。僕の気持ちを知ってるくせに。もはや告白なんて、する必要も無い。僕の一途な気持ちは既に伝わってるはず。伸ばした僕の指先に、キミの唇が触れる。優しくて、やわらかくて。でも少しだけ、くすぐったくて。


 もう、逃がさない。

 ずっとこのまま、僕のそばに。

 意を決した僕は、強くキミを抱き寄せた。


 けれど。キミはまたしても、笑顔で腰を振りながら、パタパタと駆けてゆく。

 夏夜の追いかけっこ。最後に。僕の手についばむように、キスをしたキミ。



 ピチャ……。



 嗚呼、今年もダメか。

「あら残念」

「破れちまったか、兄ちゃん」

 陽気な店主からの一言に。僕はまた、恒例の駆け引きに敗れたことを自覚する。


 ささやかな肩想いの更新。水面に浮かぶ、もの寂しげな自画像を他所よそに。隣で喜ぶ少年の勝利の雄叫びが、耳元を響かせた。

「もういっちょ、やってくかい?」

「いえ、大丈夫です」

 ポイを返却し、立ち上がる。ふと見渡せば、少年少女たちの笑顔が夜空に咲き誇る夏花火と重なった。まあこれも、夏の風物詩といった所か。僕は自然と笑みがこぼれた。


「さて、と」

 そうして僕は、流れゆく人並みから逆行し、歓喜絶えない露店街を後にした。


 相変わらず、リビング脇に置かれたままの、からの金魚鉢。いつになったら、その役目が訪れるのだろうか。


 なんてことを、思いながら――。




 終

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夏夜のキミと 七雨ゆう葉 @YuhaNaname

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