第36話 過去を乗り越えて

「だはあああああ……」


 俺は自室のソファに寝転がりながら頭を抱えていた。

 昨日は散々な一日だった。悪魔に絡まれるし、探索者協会には説明を求められるし、SNSではまた俺の名前でお祭り騒ぎになるし……。


 平々凡々としていたあの頃が懐かしい。

 どうしてこうなった。

 最近ずっと、毎日呟いている言葉だ。


「まぁ、今さらクヨクヨしても仕方ないけどな」

「にゃーん」

「お、あんみつ。どうした?」


 俺の腹の上に、あんみつが乗ってきた。

 あんみつはウチで飼っている猫で、もうすぐ三歳になる。

 黒猫で、じっと目を覗き込むとひまわりのような光彩を放っている。


「ごろごろ……」


 喉を鳴らしながらひたすら俺の手に頭をこすりつけるあんみつ。

 その仕草があまりにも可愛すぎて、ついつい撫でて癒される。

 毛並みはすべすべ。とても触り心地がいいんだ。


 あんみつは満足したのか、俺の腹の上で丸くなった。


 幸せそうに眼を閉じているあんみつを見ていると、何だか何もかもどうでもよくなるな。意図せずバズってしまったこととか、有名人になってしまったプレッシャーとか、今後の身の振り方とか。


「俺にはあんみつさえいれば、それでいいや」


 ほのかに感じるあんみつの体温と、心が落ち着くごろごろ音を聞いている内に、俺の瞼もゆっくりと下がっていった。


 ピリリリ、ピリリリ、ピリリリ……


 そんな音が聞こえて目を覚ますと、外はすっかり夕暮れになっていた。

 気付けばあんみつもどこかへいなくなっている。ここ数日の疲れから、どうやらけっこう長い時間眠ってしまっていたらしい。


 そういえば、スマホが鳴って目が覚めたんだっけ。

 俺は自分の体の横に置いてあったスマホを手に取ると、画面のロックを解除して履歴を見た。


 すると、着信が一件。

 電話の相手は驚くことに、皐月からだった。

 白金ダンジョン攻略後に、俺たち四人は互いに連絡先を交換しておいたのだ。


 何だろうと思い、掛けなおす。すると、ワンコールで出た。


「はやっ」

「チヒロ、やっほっほ」

「おう。で、どうしたんだよお前から電話なんて」

「特に理由はない。一緒にご飯でもどうかなって」

「なるほどな。小鳥遊や皇は?」

「誘ってない。私は二人で食べに行きたい」


 そんな皐月の返答に、俺は頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。


「何か、他のメンツに知られたくないことでもあるとか?」

「違う、そうじゃない」


 何なのかは気になるが、あまり深く詮索するのもな。

 俺はそれ以上追及するのをやめて、皐月に尋ねてみることにした。


「いいぞ。どこにする?」

「それじゃあ、駅前の焼き肉屋」

「あー、そういえば言ってたな、お前、焼肉が食いたいって」

「うん。だめ?」

「いや、構わんさ。じゃ、そこで集合だな。何時にする?」

「私はもうお腹がぺこぺこ。今すぐがいい」

「オーケー、分かったよ。んじゃ現地でな」


 そう言って、通話を終了する。

 今日の俺の服装は黒のスウェットにジーンズ。別に壊滅的にダサいわけでもないし、相手はどうせ皐月だからいいだろう。


 準備を済ませて、玄関口で靴を履く。


「にゃーん」

「おお、あんみつ。今から友達とご飯食ってくるからな。いい子に待ってるんだぞ」


 玄関先まで見送りにきてくれたあんみつの額にキスをすると、俺は外へ出た。


 それから十数分後。目的地に辿り着いた俺は、皐月を待つ。

 どうやらまだ着いていないようだ。それにしても今日は暑いな。


 服の裾をぱたぱたと仰いで風を作っていると、見知った顔がとてとてとこちらに歩いてくるのが見えた。


「よう、皐月」

「ん。チヒロに負けた……ちょっと悔しい」


 皐月は少し不満そうに唇を尖らせる。


 しかし、こう明るい所で改めて見ると美人だな……。


 透き通るような白い肌、紫外線を避けるようにベースボールキャップを被り、少しおへそが出る程度のクロップシャツに、紺色のロングスカート。


「……何?」


 俺の視線に気付いたのか、ジト目を向けてくる皐月。


「いや、凄く似合ってるなと思って。いいな、その恰好」


 そういうと、皐月はボフッと顔を赤くする。

 どうやら照れているようだ。意趣返し成功。からかわれっぱなしだったからな。


「チヒロのばか……でもありがとう」


 皐月はそう呟くと、ベースボールキャップ帽子を深く被りなおした。


「そんで? その焼き肉屋はどこにあるんだ?」

「あっちのほう。ついてきて」


 そういうと、皐月は俺の手を掴んで引っ張っていく。いや、これで同行とかじゃなくて連行ですよね? あれれーおっかしいぞー?


 それから5分ほど歩いたところで、ようやく皐月は手を離してくれた。

 どうやら目的地に着いたみたいだ。


「ここ」

「へぇ、炭火焼き肉店≪ぼんぼん≫ねぇ」


 不思議なネーミングセンスだなと思いながらも、皐月が先にするりと入っていってしまったので慌てて追う。店内は晩飯時ということもあって、それなりに混んでいた。


 が、幸いに一席分だけ空いていたので、そこに座ることに。

 しかし、そこでもハプニングが発生した。


「あのー、皐月さん?」

「なに?」

「いや、なんで対面じゃなくて俺の横に……?」


 皐月は今、メニューを見る俺の真横にいて、そこからメニューを覗き込んできている。そのせいで、決して大きくはないけどふにふにとした柔らかいものが腕に当たってですね……!


 困惑していると、皐月が俺の耳元に口を近づけて囁いた。


「チヒロだから、当ててる・・・・

「っ!?」


 耳のこそばゆさと、とんでもない発言に動揺した俺はメニューを取り落としてしまう。なんだ今の攻撃は。反則にも程があるだろう!?


「ふふっ。チヒロ、かわいい」


 素直に考えれば、皐月が俺に好意を抱いていると考えるだろう。

 だが違う。断言できる。だって、まだ出会って二日目だ。好意を抱くには早すぎる。

 吊り橋効果的なものがあったわけでもないし、絶体絶命のピンチから救ったわけでもな──あ、いや、あるか。でもあのときは小鳥遊も一緒だったからな。


 つまり、こいつは何らかの打算で動いている。

 ははーん、読めてきたぞ。


「お前、俺に奢らせようとしてるだろ」

「ぎくっ」


 リアルに「ぎくっ」って声出す奴初めて見たよ。


 だが、その反応を見るに図星だったようだな。


「だって、人のお金で食べる焼肉、おいしい」

「とんだド屑じゃねえか」


 そう言いながらも、ついつい笑ってしまう。

 結局、男は美少女には勝てないのだ。


「よーしいいだろう。好きなだけ頼め。俺が奢っちゃる」

「わーい」


 無表情で万歳する皐月に、俺は軽く溜息を吐くのであった。


 最初に運ばれてきた特上ロースを焼いて食う。

 すると、電撃が走った。なんだこの肉、美味い。美味すぎるぞ。

 口の中に入った瞬間にとろける肉、そこには旨味がぎゅっと濃縮されており、更に柔らかい。


 隣では皐月も一心不乱に肉と米をかき込んでいる。


 分かる、気持ちは分かるぞ娘よ……。

 そう思いながら、俺は追加の注文をするのであった。


 それから1時間後。

 お腹も充分膨れたし、満足になったところで解散しようとしたら、皐月に呼び止められる。                     


「どうした?」

「食後のデザートはアイス。これは万葉集にも書いてある

「それは和歌の本な」

「……こまかい男は嫌われる」


 俺は肩をすくめて皐月の元に戻ると、一緒にコンビニへ向けて足を進めた。


 アイスを買い、コンビニの前でアイスを食べる。

 肉汁で支配されていた口の中が、アイスのおかげでさっぱりしていくのが分かった。


「なるほど、こりゃいつもより美味いわ」

「ん。この食べ方を覚えたら、一流」


 そんな流派いらんわと思ったが、敢えて口には出さないでおく。


「……チヒロ」

「ん?」

「今日は付き合ってくれてありがとう。あと、ご飯の奢りも」


 打算なき心からの感謝を受け取った俺は、帽子越しに頭をポンポンしてやる。


「別に気にすんな。俺もなんだかんだ言って楽しかったしな。お前のおかげで、良い店も知ったし」


 そう言うと、皐月はジト目を向けてきた。


「……チヒロは女たらし」

「ほわい?」

「そうやって無自覚に厚意を振りまいてると、いつか大変なことになる」

「大丈夫だろ、世の中顔だし。俺みたいなもっさい奴なんて誰も相手にしないって」

「はぁ……」


 皐月は呆れたように溜息をつく。

 だが、その口元が嬉しそうに上がっていることに俺は気が付かなかった。

 別に俺は間違ったこと何一つ言ってないはずなんだがなぁ。


 アイスを食べ終えた俺たちは、帰ることにした。

 とはいえ、外はすっかり真っ暗。

 危ない人たちが徘徊する時間帯でもある。


「皐月、家まで送ろうか?」 

「さっきの話、忘れた? そういう行為が、女たらしの由縁」

「いやいや、単純に心配なだけだって」

「大丈夫、知ってると思うけど、私これでも強いから」


 そう言う皐月に、俺は質問を投げかける。                             


「お前、毒耐性は?」

「ない」

「睡眠耐性」

「ない」

「麻痺耐性」

「あるわけない」

「はぁ……」


 今度は俺が溜息を吐く番だった。


「いいか、世の中のワルどもを舐めない方がいいぞ。スタンガンとかクロロホルムを染み込ませたハンカチとか持って女性を誘拐するんだからな。お前みたいなS級美少女ならなおさら狙われやすいんだぞ」


 そう言うと、皐月の顔がボンッと真っ赤になった。


「べ、べべべ、別に大丈夫だし。でも、そんなについてきたいならついてくれば」


 皐月は早口でまくし立てると、すたすたと歩いて行ってしまう。

 慌てて追いつくと、皐月はこんなことを語り始めた。


 何故自分がこんな性格になってしまったのか。

 何故人と話すときはつい冷たくなってしまうのか。

 何故他者との交流を拒むのか。


 それを聞いた俺は、ただ皐月の頭の上に手をポンと乗せた。


「それだけのことがあったんだ。仕方ないさ。無理に治そうとする必要もない。あ、治したいとかなら話は別だぞ? けど、どんな姿だろうが、皐月は皐月だ。俺だけじゃなく、小鳥遊も皇も、皆お前のことが好きだぞ。それに──仲間は誰一人として見捨てやしない」

「チヒロ……」


 不意に、皐月の目から涙が一筋零れ落ちた。

 それを皮切りに、ボロボロと涙が出てくる。

 俺はいざなにかあったときのために容易していたハンカチを取り出すと、皐月の目元を拭ってやった。


「どうして……どうしてそんなに優しくしてくれるの」

「んー、そりゃ仲間だからな。さっきも言ったが、まだ知り合って二日しか経ってない。けど、もう皐月は立派なウチの仲間だ」


 そう言った瞬間、皐月は俺の胸に飛び込んできた。

 ひとしきり泣きつづける皐月の背中を、俺は優しく叩いてやることしかできなかった。


 それから十数分後。とあるアパートに辿り着くと、皐月は振り向いた。


「ここまで来たらもう大丈夫。チヒロ、今日は本当に色々ありがとう」

「おう、これからもよろしくな」


 去り際に皐月が見せていた表情は、いつものような無機質なものではなく、天使のような年相応の無邪気な笑顔だった。

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