第42話 洸のプレゼン

蒼士の提案を断り、強がって家を出てから数日。


———ふぅ…


水惟はホテルの部屋でひとり、心細さと不安を感じていた。

住むところはすぐに見つけられそうだが、仕事を探すのが今の水惟にはとても難しいことだった。

デザイナーの職を探せば、深端グラフィックスの第一線で活躍してきた水惟ならすぐに仕事は見つかるが、問題は就職した後だ。

デザインの本や参考になりそうなWEBサイトを見て勉強し直さなければいけないような現在の状態では、恐らく仕事としてやっていくのは難しい。

デザイン以外の仕事となると、他人より不器用な性格の水惟では転職活動でも自己PRに苦労するのが目に見えている。


———プルル…

水惟のスマホが鳴った。

「はい」

『お、水惟?久しぶり。』

声の主は洸だった。洸の穏やかで優しい声が懐かしい。

「洸さん…お久しぶりです。」

『…元気か?』

「………」

洸の質問に、水惟は言葉を詰まらせる。

『ははは 悪かった。氷見ちゃんからいろいろ聞いてるよ。』

洸は苦笑いしているのがわかる声で言った。“いろいろ”という濁した言い方で、離婚のことも把握されているのがうかがえた。

「ごめんなさい洸さん…」

『ん?』

「せっかくお祝いしてもらったのに…」

洸と蛍に結婚祝いの食事会をひらいてもらってから、まだ一年も経っていない。

『そんなことで謝らなくていいよ。あの時はあの時、今は今だろ?夫婦もいろいろだよ。』

「………」

『って、そんな話がしたいわけじゃなくてさ』

洸は気を取り直すように、電話口で咳払いをした。

『あのさ水惟、リバースデザインに入ってくれないか?』

「え…」

『深端、辞めたんだろ?』

「…はい…」

『だったらリバースうちに来てもらいたいなと思ってさ。』

今の状況からも、洸とまた働けるという点でも、願ってもいないありがたい話だ。

「でも私…今デザインが…」

『それも聞いてる。だからさ、まずはデザイナーじゃなくて事務アシスタントで入ってもらいたいんだ。』

「事務アシスタント?」

『うちの事務って蛍だろ?だけど今は産休明けたばっかりで一人じゃ厳しいんだよ。無理もさせたくないしな。だからさ、水惟に蛍のアシスタントをお願いしたいんだ。』

「………」

『もちろんずっと事務ってわけじゃなくてさ、水惟がまたデザインしたいって心から思えるようになったら、うちでデザイナーとして活躍してもらうつもり。』

「心から…?」

『うん。氷見ちゃんから乾のことも聞いてる。』

“乾”の名前に、水惟の心臓が嫌な音で脈打つ。

『これは俺が勝手に思ってるだけだけど…乾のこととか、深山の重圧とか、水惟は深端の環境でデザインするのに疲れちゃったんじゃないかな。』

「え?」

『入社して即クリエイティブって、それだけでプレッシャーがすごいだろ?それに加えて深山の重圧なんて、俺でも水惟と同じような感じになるよ。』

洸は笑って言った。

『だからしばらくデザインは休憩してさ、違うことやってみるのもアリだろ?』

「…休憩……そうかもしれないです…」

『というわけで、藤村 水惟さんはリバースデザインに入社するのが一番良い選択だと思いますが?』

洸が言い終わると、水惟は思わずクスッと笑った。

「さすが、プレゼンが上手いですね。」

『だろ〜?で、返事は?しばらく待った方がいいか?』

「…いえ、是非お願いします。ありがとうございます。」


***


蒼士が水惟に離婚の話を切り出す数日前。


蒼士は洸をいつものバーに呼び出していた。

「はぁ!?離婚!?」

洸は珍しく大きなリアクションで驚いてみせた。

「待った待った、なんでいきなり離婚なんて話になるんだよ。」

蒼士は洸の疑問も無理はないと思った。

「水惟が今休職中なのは知ってますよね?」

「ああ、うん。」

「…水惟、デザインができなくなってて。なのに毎日家でパソコンに向かってて…」

「それは仕方ないんじゃないか?」

「それだけじゃなくて、家事も完璧にこなそうとしてるんですよ…俺と深端にプレッシャーを感じてるって感じで…見てて辛いんです。」

「………」

「このまま俺と暮らして深端に戻れる日が来ても…多分また同じことになるだろうなって感じで、そもそも復職できるようになるかどうか…だから…一旦離れた方が良いと思うんです。」

「一旦…か。」

洸のウィスキーグラスが揺れ、氷がカランと鳴った。

「だから—」

「じゃあ、水惟に声かけてもいいよな?リバースに来てくれって。」

「さすが、俺の考えなんてお見通しですよね。」

蒼士は苦笑いで言った。

「ばーか。前にも言っただろ?水惟はリバースに欲しいって。チャンスが回ってきてラッキーだよ。」

「でも今の水惟は…」

「うん。それも含めて、リバースうちで預かりたい。あんなにいいデザイナーがこのまま潰れるのはもったいないよ。」

「うん…」

「うちには蛍もいるし、今のメンバーはみんな大人で余計な詮索とかしないからさ、水惟には良い空間だと思うよ。」

洸は蒼士を励ますような笑顔で言った。

「水惟の分の給料は俺に持たせて下さい。」

蒼士が言った。デザインができない状態の水惟を雇ってもらうことへのせめてもの代償のつもりだった。

「いらねーよ。KOH UBUKAWAをみくびるなよ。」

洸は冗談めかした笑顔で言った。

「水惟一人分の給料くらい余裕だし、水惟がまたデザインできるようになったらしっかり稼いでもらうよ。」


***


「それからも時々、水惟の様子を洸さんに教えてもらってた。」


——— 蒼士はずっと水惟のことを気にしてて


水惟は洸の言葉を思い出した。


「はじめのうちは蛍さんのアシスタントで自信なさげに働いてたけど、だんだん笑うようになってきた、とか—」


「デザインの仕事の話題には全然触れないようにしてたみたいだけど、だんだん我慢できなくなってきたみたいだ、とか—」


リバースデザインに入ってしばらくは、辛くなるからとデザイナーの仕事はあまり見ないようにしていた水惟だったが、楽しそうにデザインをしているリバースのデザイナーたちを見ていると徐々にワクワクとした気持ちが戻ってきた。


「半年くらい経った頃に、洸さんのデザインに「ここはこの色の方が良いと思う」って初めてデザインのことで意見したって聞いて…本当に嬉しかったよ。俺は—」


「待って…」

続けようとする蒼士を水惟が止めた。


「そんな話聞いたら余計にわからない…どうして…私たちやり直せないの?」

水惟は困惑した表情で聞いた。

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