第12話 変わらない

(…スピーチどうしようかなぁ…リバースのみんなへの感謝の言葉は入れるでしょ、それから…はぁ…気が重いなぁ…国語苦手…)

あれから数日、水惟はスピーチの文章を考えるのに頭を悩ませていた。デスクに顎を乗せて思い悩んでいると、一枚の案内ハガキが目に留まった。

(あ、一澤 蓮司いちざわ れんじの個展、今日までだ。)

会社近くのギャラリーからの案内だった。

一澤 蓮司はイラストレーターでグラフィックデザイナー。POPな色づかいで花やフルーツを大胆にレイアウトした作品で若い女性を中心に人気がある。水惟も大好きなアーティストだ。


仕事帰り、水惟はギャラリーに立ち寄ることにした。歩きながら授賞式のことをあれこれと考える。


(授賞式ってことは正装しなきゃいけないよね。服どうしよう…)


(…あの頃はパーティーにもよく出てたっけ…)


蒼士との婚姻期間中は、深山家の跡継ぎとその妻という立場上、水惟は蒼士に付いてわけもわからずよくパーティーに出席していた。

25,26歳という年齢だったこともあり、水惟はいつも場違いな気がして大人たちの中で所在無さを感じていた。

今の、パーティーなどとは縁遠い庶民的な生活からすると、当時のことは現実味の無い煌びやかな記憶だからかなんだかハッキリとしない。


(あの頃のドレスが一着くらいはまだあったはず…)


そんなことを考えながらギャラリーに辿り着くと、ボーっと俯いてギャラリーのガラスドアを開け、中に入った。


「え」

思わず声を出してしまった。

顔を上げた水惟の目の前にはスーツ姿の蒼士がいた。彼も仕事帰りのようだ。

「あ…えっと…ま、間違えましたっ…!」

水惟は慌てて踵を返すとドアを開けて外に出た。

(…な、なんで…)

「水惟っ」

後ろから名前を呼ばれて思わずビクッとする。蒼士が水惟を追って外に出てきた。

「間違いじゃないだろ?」

「……だ、だって…」

「俺がいたら見れないって言うなら、帰るよ。」

「え…」

「一澤 蓮司は水惟が好きなアーティストなんだから、水惟が帰るのはおかしいよ。」

蒼士が申し訳なさそうに言うのを見て、水惟は首を横に振った。

「先にいた人が帰る方がおかしいよ…」

「なら、どっちも帰らないってことでいいんじゃない?」

「………」

「最終日だし、今日を逃したらもう見れないよ?」

水惟の心を揺さぶる言葉を心得ている。

「………」

水惟は無言で今度は首を小さく縦に振った。


蒼士に促されギャラリーに戻ると、もう終了間際ということもあり客はまばらだった。人気アーティストだけあって飾られている絵にはほとんど売約済みの印がついている。

(どの絵も素敵…絵ではあるけど、構図が計算されててデザイン的…)

水惟は一枚一枚覗き込むように近くで見ては、離れて全体を確認するように見た。

その合間、なんとなく気になって隣の絵を見ている蒼士の方を横目でチラッと見た。

蒼士は水惟とは違い、一定の距離で絵をじっと見つめている。

(真剣な顔…変わってない…)

広告代理店勤務ということもあり、昔はよく二人で展覧会を見に行っていた。蒼士はデザインに関係ない職種だが、絵やデザインに興味があるらしくいつも真剣に展示を見ていた。営業職ながらデザイナーやアーティストに関心や理解を示してくれる感じがして、水惟にとって蒼士の好きなところだった。

そのタイミングで蒼士も水惟の方を見たので、目が合ってしまった。

「………」

目を逸らすタイミングを逃し、言葉を発せず固まってしまった水惟に蒼士は優しく微笑んだ。

「変わらないな、そうやって近くと遠くの両方で見るところ。」

「……そっちだって…」

思いがけない蒼士の笑顔と、同じことを考えてしまっていたことについ頬が赤く染まってしまい、急いで絵の方に向き直した。

鑑賞中に蒼士が水惟に声をかけたのはそのときだけで、静かに絵を見ていた。水惟は自分が作品に集中できるように気を遣ったのだろう、となんとなく感じとった。


一緒に見始めたので、ほぼ同時に見終わることになった。

「水惟、この後空いてたら食事—」

蒼士が言い終わる前に水惟は首を横に振った。“行くわけがない”という表情だ。

「だよな。」

蒼士は苦笑いで言った。

「じゃあ明後日、リバースにお邪魔するから。よろしく。」

「…はい。」

järviのロゴの件は、先日の蒼士の訪問の後にすぐに詳細な依頼内容のメールが来た。それを受けて水惟は具体的なデザインラフ作成を進めていて、明後日は蒼士がそのデザインを確認するためにリバースにまた訪れることになっていた。

「じゃあ、失礼します。」

水惟はペコッとお辞儀をして、駅に向かった。


(別れた相手…ううん、好きじゃない相手と食事なんて、何考えてるの…)


水惟は蒼士の全く理解できない行動に腹を立てていたが、それと同時にカフェやレストランで展覧会の感想を言い合っていた昔のことを思い出してしまっていた。

自分とは違った視点の蒼士の感想を聞くのが好きだったし、蒼士も水惟の感想をにこにこと聞いてくれていた。


(今まで偶然会うことなんて無かったのに…なんで会っちゃうのよ…)


ギャラリーで絵を見る真剣な眼差しが水惟の脳裏にこびりついて離れない。

食事の誘いに乗っていたら、もしかしたらまた楽しく感想を言い合えたのかもしれない。


——— 水惟のことはもう好きじゃない


(ちがう…楽しくなんて話せない)

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