第23回 Fire Watch:セント・ポール大聖堂の危機 ①

 再びConnie Willis短編集に戻ります。

 The Blitz(ロンドン大空襲)を描いたもう一つの短編Fire WatchもTime is the Fire: The Best of Connie Willisに収録されており、それはこんな始まり方をします:


September 20—Of course the first thing I looked for was the fire watch stone. And of course it wasn’t there yet. It wasn’t dedicated until 1951, accompanying speech by the Very Reverend Dean Walter Matthews, and this is only 1940. I knew that. I went to see the fire watch stone only yesterday, with some kind of misplaced notion that seeing the scene of the crime would somehow help. It didn’t.


 自分は再読なので問題ありませんが、最初に読んだ時は、途方に暮れました。それぞれの文は、特に難解なわけではありません。ただ、文の意味が理解できても、状況がまったくわからない。

 まずfire watch stoneとは何か。

 恐らく、火の見張り番、火災を防ぐ役職ないし組織があって、その記念碑的なモニュメントが石碑としてある。そこまではいいのですが、それができたのは1951年、一人称の語り手 I がいる1940年時点ではまだ存在していない。主人公はそれを知っていながら、1940年に、あるはずのないことがわかりきっているfire watch stoneを真っ先に探してしまうって一体。


 お手上げです。


 しかし、これがSF小説であることを思い出せば、なんとなく事情は察せられます。

 アガサ・クリスティーよりも集中力と忍耐を要求する小説ですが、ただ我慢して読み進めるのがお勧めです。いずれ楽になりますから。

 しかし、平易な英文とはいっても、Reverend Deanなんて、何かの役職であることは推測できるものの、具体的になんなのかはわからない語彙が厄介なことも事実です。もちろん、ここで早々に辞書を使ってもいいし、そのついでにfire watch stoneやそこにスピーチが刻まれることになるReverend Dean Walter Matthewsについて検索してもいい。それはご自由に。これがある程度史実に基づく歴史物ならば、少しの手間で簡単に基礎知識を得られるはず。


 洋書を読むことにまだ慣れていないのであれば、このような単語は極力無視するのがよいと思います。スルー力が低いと、外国語で本を読むことは苦行になりかねません。


 といいながら、再読のわたしはちょっと気になるので、ググってみました:


Walter Matthews (priest)

Walter Robert Matthews CH KCVO[2] (22 September 1881 – 4 December 1973) was an Anglican priest, theologian, and philosopher.[3]


これは、Wikipediaの説明です。長生きですねえ。CH KCVOがなんのことだかさっぱりわかりませんが、今は重要とは思えないのでスルーで。

 後々の読書に役に立つのは、Walter MatthewsがAnglican priestだという情報ですかね。聖職者であることはpriestからわかりますよね。英辞郎君は、priestは「【名-1】〔カトリック・正教会・英国国教会の〕司祭、神父」だと言っています。Anglican はまさしく「英国国教会の」という意味ですが、この呼び方はちょっと古くて、今だとイングランド国教会とするのが正しいでしょうか。

 イングランドは英国/イギリスの一部ですが、イングランド=英国/イギリスではありません。スコットランド、ウェールズ、北アイルランド、イングランドをひっくるめたのが英国/イギリスです。


 ちょっと前までは英国国教会と呼ばれていたこれ、英名はChurch of England。ちょっとややこしいですが、建物としての「教会」ではなく、「組織」のことです。不倫相手と結婚するために王妃をギロチンにかけたことで有名なヘンリー八世が、その当時の妃との離婚を認めないローマ法王に腹を立て、カトリックから決別するために新たにこしらえたキリスト教会の一つ。そんなもん、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの人々からすれば「知らんがな」ですよ。雑に「国教会」なんて呼んだら、彼らに失礼です(Political Correctness的にアウト)。


 宗教の話は、部外者からすると大変込み入っておりややこしい話になります。わたしは無神論者なので、あらゆる宗教の門外漢です。


 でも英米文学を読んでいると、宗教の話はあたり前に出てきます。たとえばJohn IrvingのA Prayer for Owen Meany: A Novel (『オウエンのために祈りを』) は「サイモン・バーチ」というタイトルで映画化もされていますが、主人公の少年は、敬虔な母親に育てられたため教会が人生における重要な位置を占めています。その教会も、キリスト教会ではあっても様々に(EvangelicalとかCongregationalとかEpiscopalとか)枝分かれし、英国からの移民も多いアメリカには、Englandの国教であるイングランド国教会の教会(Anglican Church)があり、確か主人公の少年が母親とともに所属していたのがこのAnglicanの教会、しかし彼らが暮らす米国のコミュニティでは、Anglicanはむしろ少数派でした。


 A Prayer for Owen Meany自体は、非常に面白いエンターテイメント小説ですが、そのKindleサンプルの試し読みをすると、冒頭に長々と続く教会に関する説明で挫折するかもしれません。エンタメ小説として楽しむだけなら、その種の単語はスルーして構わないと思うので、この本もおすすめです。


 調べものは、いつでも、後からできるので。


 作者のアーヴィングは、映画化もされた『ホテル・ニューハンプシャー』や『ガープの世界』など世界的な大ベストセラーを生み出し続けた超人気作家です。彼はラシュディのMemoirに何度も登場します。命を狙われたラシュディがアメリカを訪れた際には必ず食事を共にしたり自宅に招待したり、いい人です!


 話が思いっきりそれてしまいました。

 

 なにが言いたいのかというと、死ねばお寺のお坊さんにお経をあげてもらうけど、「かわいいから」という理由で教会で挙式し、お正月には神社に初詣に行くことになんの矛盾も感じない日本人にはあまりなじみがなくても、宗教というのは、長い歴史の中で多くの対立や殺し合いを生んだ恐ろしい代物だということです。ラシュディが命を狙われたのもそのせいです。


 日本だって、キリシタンが無残な殺され方をしたり、信長が比叡山を焼き討ちしたり色々あったのに、ほんの何百年でどうしてこうなったんでしょうね。


 まあ、すごく厳しくて恐ろしい一神教の教義にがんじがらめにされて他宗教を一切認めないよりは、多神教(神道は八百万の神々を信仰する多神教です。仏教は……そもそも「神」と呼んでいいのかどうかわかりませんが、とにかくこちらも大勢の神がいる多神教)のおおらかな雰囲気の方が性に合っている気はします。もちろん、異教徒は皆殺しにせよなんて考えていないのであれば、無神論者の自分としては他者の信仰に対してはなんの不都合も苦情もありません。

 むしろ、信仰により心の安らぎが得られているのなら、羨ましい限りです。


 また脱線してしまいました。


 短編Fire Watch冒頭に唐突に登場するthe Very Reverend Dean Walter Matthewsとは誰か、さらに言えばReverend Deanというのはどういう役職かという話をしていたのでした。イングランド国教会の司祭だそうですから、それに関連した彼の役職と考えてよいでしょう。The Veryというのは単なる強調表現なので、ここからもWalter Matthewsが名前を知られた存在であることがわかります。


 さて、ではReverend Deanとは。


 BBCドラマの少し古い時代に設定されているもの、ミス・マープルやブラウン神父なんかが好きならば、Reverend XXという呼び方を耳にしたことがあるのではないでしょうか。ブラウン神父では当然のこととして、ミス・マープルも長編デビュー作がマープル家のご近所の牧師館での殺人だったりして、教会にゆかりの深い人物です。


 キリスト教に縁のない自分のような人間にとって厄介なのは、ミス・マープルのドラマに頻繁に登場する教会はイングランド国教会系であり、ブラウン神父が日曜にミサをする教会は、カトリック系だということでしょうか。


 イングランド国教会系の教会にいるのが牧師(vicar)で、カトリック系教会にいるのが、神父(father)。この種の用語、たとえば牧師や神父を意味する英名は一種類ではありませんし、聖職者の役職というのは、宗派(たとえばカトリックかプロテスタントか)によって意味が異なったりして複雑です。イングランドにおいては、ブラウン神父が属するカトリックは少数派です。主流はやはりイングランド国教会(Church of England)なので。Church of Englandの教会がAnglican church――もうそろそろ頭から湯気が出て来そうです。


 これ以上は、無神論者のわたしの手に余るので、ここまでにしておきます。


 とはいえ、暴君ヘンリー八世がカトリック・マジうぜえ(離婚を許可してもらえなかったという逆恨みですが)とヴァチカンから決別するためにイングランド国教会を成立させたイングランドにおいて、カトリックであり続けた信者はさぞかし肩身が狭かったでしょうし、なんなら改宗を迫られ、拒否すれば迫害されて命の危険にも晒されたことでしょう。

 それを踏まえると、ブラウン神父が虐げられたカトリック系の「神父」であるというのはなかなか面白いです。そういえば、ドラマに時々登場して彼に意地悪をする教会のお偉いさん、イングランド国教会のひとではありませんでしたか? 今度またブラウン神父のBBCドラマも見返してみましょう。


 一方で、ミス・マープルのご近所さんはVicarage(牧師館)に住むVicar(牧師)です。知り合いに聖職者が多いミス・マープル、教会の慈善活動にも積極的ですが、彼女が所属する教会は、Anglican church、イングランド国教会の教会なんですね。


 今度こそ、本題に戻ります。


 まあ、カトリックかイングランド国教会か知らんけど、なんだか偉そうな聖職者の役職、それがReverend Deanなのだと、わかることが重要です。この最初の段落で察せられなかったとしても、もう少し読み進めればはっきりするはずです。

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