Day31 遠くまで

「結構遠くまで来たねぇ」

「そうだな」

 蜜色の光の中、風に吹かれる男子高校生が二人。彼らの眼前では黒い海から橙色の太陽が昇ろうとしていた。水面を白い波が追いかけあっている。

「海って綺麗だねぇ」

「あぁ」

 自転車のペダルに片足をかけながら、グッとスポドリを飲み込むサク。

「ナナト、良かったのか?家の人に怒られないよな?」

「うーん、怒られるかも!」

 にっこり笑った顔で海を見つめたままのナナト。

「けど、潮風が体に悪いって言われても海は行きたいでしょ?」

 ナナトの変わらない笑みにサクは少し救われた気がしていた。

 ナナトはアレルギーやら禁忌事項やらの複雑な体質を抱えている。そんな彼に長距離のチャリ移動をさせた上に、潮風に当てているのはサクの居心地を悪くさせていた。でも、ナナト自身が喜んでいるなら幾分か罪悪感も薄れる。

「こっち、階段あるねぇ」

 砂浜に続く階段を一段一段ゆっくり踏み締めるように降りていくナナトの背。自転車にロックをかけたサクも追いかけて砂浜へ降りていく。

 ナナトは真っ黒な背中をサクに向けたまま、波打ち際で指先を海水に浸しぼんやりしていた。

 海の寄せては返す、重くて遠い音。

 海鳥が仲間を呼ぶ、猫のような声。

 眠りから覚め始めた街の、車の音。

 静かだった。サクとナナト以外は皆ただのプログラムかもしれないと思うほど、静かだった。

 心地よい静寂を破ったのは、ナナトが指先で海水を弾く音だった。チャプ、チャプ、としばらく海水を叩いた後、おもむろにナナトは口を開いた。

「海って、何したら良いんだろう」

 僕泳げないし、とこぼすナナト。

「貝とかガラスとか、拾うか?」

「それで文字でも書く?」

「ナナト参上!って書こうか」

「なら僕はサク参上!って書くね」

 大真面目な顔でナナトにそう返されたサクは思わず吹き出した。つられてナナトも笑い出す。

「家で眺めれば良いだろ。次行けるかわからないし」

「そうする」

 ひとしきり笑い合った後、貝やシーグラスや流木を拾った二人は帰途についた。強い日差しですっかり短くなった影を見ながら自転車を漕ぐ。サクの額から流れ落ちた汗がアスファルトにしみをつくった。

 信号待ちをしている時、ナナトがポツリと言った。

「海行きたい、なんていきなり頼んでごめん」

 袖で汗を拭ったサクは首を振る。

「夜明け前のメッセにはびっくりした。でも面白かったから結果オーライ」

 サクが拳を上げ、コツンとナナトの拳にぶつける。

「じゃぁ、また行けるかなぁ」

「受験勉強の間に余裕があればな」

「そうだねぇ、来年の今頃は赤本と睨めっこしてるだろうねぇ」

「まずは志望校か」

 赤から中々青にならない信号を見てため息をつくサク。

「将来なんて遠いもの、俺らにわかるはずないのにな」

 サクの言葉に頷いたナナトは無意識に小さく拳に力を込めた。

 青すぎる遠い空に、大きな入道雲が育っていた。


(サクは「Day10 ぽたぽた」「Day20 甘くない」「Day25 報酬」、ナナトは「Day23 静かな毒」で登場しています)

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2023文披31題作品集 伊野尾ちもず @chimozu_novel

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