Day29 名残
その老女軍人キキの腕には大きな噛み跡があった。何かの獣に勢いよく噛まれた時のような、白く規則正しく並ぶ点々とした傷跡だった。
部下がことの顛末を聞き出そうとすると、決まって「子供の頃の馬鹿な話だよ」と返すだけでそれ以上語ることはない。故に尾鰭のついた噂話が広まって、兵士たちの間では根も葉もない武勇伝が──英雄譚から下品な話まで──我が物顔で闊歩していた。
「はっきり本当の事言えば良いのにさ」
そう言うのは怪我当時の事を知っている幼馴染の女シェルだった。
「肝試しで負った勲章だって言えば良い」
「言えるか」
蓋を開ければなんて事ない話だ。肝試しと称して町内の一際大きくて厳しい顔をした犬を触って帰ってくる遊びをしていた時に噛みつかれただけ。ついでに動転した飼い主にめったうちにされた事まで幼馴染はよく知っていた。
「見るたびに自分で当時の馬鹿さ加減が嫌になるって言うのに、勲章扱いしろって?」
キキに睨まれたシェルは両手をあげてため息を返した。
「アンタには無理か。そんな小細工できないよね」
「大体、こんな小さな傷なんか気にされたら堪らないだろ。アタシら、足もげても生体移植して貰えていないんだから」
「それもそうね」
憤然とキキが組んだ足から、金属のぶつかり合う硬質な音が響いた。
「それに、近くに生きてる犬が住んでたなんて知られたら、今時の若いモンが騒ぐだろ」
生物を飼うのはステータスの一種、とシェルが理解していないはずはないが、どこ吹く風で飴玉を舐めている。今キキとシェルの周囲にいる人たちは皆、一生のうちに一回生きている生物に会えたら御の字の人たち。噛み跡の理由を知れば、彼女たちを見る目が変わるは必定だった。
「けどさぁアタシらが子供の頃は何処にでも生物いたよ?」
「シェル。そんな昔の事、持ち出すなよ。もうペットなんて犬のいない犬小屋みたいな名残しかないんだからさ」
「ハイハイ。無知でごめんね」
遠い未来、砂に覆われた星に入植した人々は僅かな安寧の時の後、砂の中に潜んでいた巨大生物と生存域を賭けた戦いに挑んでいた。医療技術は発達しても、ペットを飼う余裕のある人は既におらず、研究用に僅かばかり飼育されているのみだった──
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