Day28 方眼

 定規の使い方を覚えた頃、少年は方眼紙と出会った。

 あの日少年に方眼紙をあげた叔父曰く「住みたい家も、立てたいビルも、近くに欲しい店も、全て方眼紙から生まれる」そうだ。「まずは住みたい家を描いてみろ」との勧めに従って、なんと無く外観を描いているうちに、中身が知りたくなった少年は、戸建て広告を見ながら間取りを描くようになった。

 中学生になっても方眼紙に夢をぶつける趣味は続いた。趣味はいつしか将来の指針となり、工業高校の建築科を卒業した青年は、大学で建築設計の勉強を続けて二級建築士の資格も取った。

 でも、男は建築関係の仕事には就職しなかった。図面を引くのに全く関わらない、イベント企画会社の営業。就職難の中、かつての少年は夢を追いかける事が面倒になっていたのだ。

 夢から趣味になった家の設計は、大きな方眼紙からA4の方眼ノートに変わっていた。

 男が営業部から人事部へ異動になった頃には、設計の趣味は昔の趣味になっていた。A4の方眼ノートも洗い忘れた洗濯物の最下層へ消えてしまった。

 方眼ノートを久しぶりに開いたのは、男の部屋に同僚を上げた時だった。

 酔い潰れて家に帰れなくなった同僚を仕方なく家に泊まらせた翌日の朝。カーテンの隙間から薄く差し込む白い光の中、同僚の男は家具の隙間に落ちていたノートを読んでいた。

「なぁ、俺この家住みたい」

 最初こそ方眼ノートを勝手に見られた羞恥で顔を真っ赤にした男だったが、徐々に褒められたのだと気がついて別の赤に染まった。

「お前の描いたその家、収納多そうで良いよな。空間に無駄がないっていうか」

「無理だよ、予算がない」

「リフォームならできないか?昼の番組で訳あり物件買ってリフォームってのやってたぞ」

 リフォーム。その発想がなかった男は目を瞬かせた後、考え込んだ。

「できるかも」

 工務店の知り合いならいるから、協力すればできるはずと同僚に勧められた男は、再び建築設計の趣味に戻ってきた。方眼ノートからきちんとした図面を起こし、同僚を仲介役に出会った工務店と協議を重ね、元の絵に近い物件を探し、建材を探し、段取りを決め。

 男は実益のほぼない趣味に時間と人脈と心血を注ぎ、時間をかけて同僚のために家を作った。夢を諦めた日から燻り続けていた胸に火がついて、止められなくなっていた。

 完成した家を見た日、同僚とその家族は飛び上がるように喜んだ。男の手を振り回してちぎれるんじゃないかと思うほど振り回した。

「絵の中のおうちが現実になったね!」

 同僚の小さい子供がニコニコ笑って、男の脚にしがみついた。

「パパがね、何度も新しいおうちの絵を見せてくれたんだ。すっごくかっこいいから行ってみたいなって思ってた!」

 それから、工務店を介して何度かリフォームの依頼が来た。もう趣味とは言えない、男一人生きていくのには困らない収入が見込める、と判断した男は会社を辞めて、例の工務店で働かせて貰う事にした。

 通常のリフォームの手伝いをする合間に、顧客と相談しながら独創的なリフォームの図面も引くようになった。もう、夢は現実になった。

 数年後、一級建築士の資格を取った男は工務店から独立し、建築デザイナーとして国中を飛び回る事になる。

 建築雑誌に建築デザインの賞で金賞を受賞した男のインタビューが掲載され、こう語るのだ。

「方眼紙が全ての始まりでした。建築士を最初に目指したのも、再度夢を叶えようと努力できたのも、紙の中が自由に夢を語れる場所だったからなんです」

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