Day10 ぽたぽた
一筆入魂。
たっぷりの水で溶いた絵の具を筆に含ませ、慎重に画用紙へ乗せる。
薄い鉛筆の下書きからはみ出さないように、細心の注意を払って岩肌を塗っていく。
ピンと張った糸のように集中しながら、少年は夏休みの宿題でポスターを描いていた。
テーマは「夏休みの思い出」。家族で見に行った鍾乳洞が気に入った少年は、撮影した写真を元に下書きを完成させたところだった。
涼しい風と湿った岩肌。滴り落ちる雫。遠くから聞こえてくる透明な水音。
蒸し暑い毎日に飽き飽きしていた少年は、少し入っただけで鍾乳洞を大いに気に入った。何時間でも何日でも、なんならずっとここで暮らしたいとすら思った。ネット環境はイマイチだが、涼しくて静かな場所は魅力的だった。
そんな鍾乳洞の様子を画用紙の描こうとするも、少年は絵を描くのが好きでも絵の具で色塗りするのだけは苦手だった。
集中、集中、と頭の中で唱えながら筆を運ぶ。
垂れてくる汗を拭いながら作業を続け、1時間は経ったろうか。
ふっと集中の糸が切れた少年は、部屋の隅にスイカと砂糖醤油の煎餅とラムネが置いてあるのに気がついた。
「母さんか」
そろそろ休憩が必要だなと早速ラムネに手を伸ばす。
一口飲むと清涼感のある甘さが口の中に広がった。サイダーより少し弱い炭酸の香りが鼻を抜けていく。内側から熱が冷めていく感覚はなんとも心地良い。
「次はお待ちかねのスイカぁ〜」
呟きながらシャク、とスイカを食む。甘いけど甘ったるくないスイカの汁をすすり、きゅうりに似た青臭い匂いを嗅ぐ。
カラン、カラン、とたまに種を吐き出しながら夢中でスイカを食べる音が一人っきりの部屋に響いていた。
「美味しかったな」
空瓶のラムネと細い月のようになったスイカを横目に、一つ伸びをすると少年は筆を取って作業を続けようとした。
「さて続きはどこから……え」
だが動きの止まった少年。
それもそのはず、書いた覚えのない薄い赤が鍾乳洞の上に垂れていたのだ。しかも画用紙がふにゃふにゃにふやけていて、作業の続きをするどころでは無い。
「なんでだよ……」
慌てて絵の具用雑巾を押し当てるが、薄紅の色は既に乾いていたのか吸い取れなかった。
ここまで頑張ったのに。なんでこうなるんだよ。
ガッカリしながら考えた少年は、なんだか腕の皮膚が突っ張ると気づいて直ぐに答えに思い当たった。
スイカの汁とラムネ瓶の結露。どちらも少年の手から腕を伝って肘から画用紙へ落ちていたのだ。のんびり食べている間に画用紙は水たまりで汁たまりに。灰色と薄い青緑で幻想的に描く予定だった鍾乳洞の絵はファンシーなピンク色に染まってしまったのだった。
涙目を汗と一緒にタオルで吹き上げると、少年は画用紙を窓際でまずは干すことにした。
──この後、少年は描き直すよりもスイカの汁付きで完成させることを選ぶ。その結果、ちょっとした賞状をもらう事になるが、まだ彼はそれを知らない。
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