第14話 霧の王と銀狼

エルフの森を抜けた先は恐ろしい場所だった。霧が立ち込め、一歩先も見えない。平原なのか森なのか、下手をすれば砂漠かもしれない。足元すら見えないのだ。


「方位磁針も狂い始めた…ゼノがいなかったら迷子になっていたな」


「そりゃどうも。魔力切れになる前にどこかに辿り着けるといいけど」


黒の魔法の糸を垂らして道標にしてきたが、俺自身の魔力がなくなればこれも消えてしまう。そうなる前にこの霧を抜けられるといいのだが…


「ここは完全に未開拓の領域だよ。みんな西に進んでいくけど、北には向かわないから」


「まぁ、東から西に来たんだから、普通西に進み続けるだろうね。…この霧、体に悪影響だったりしないよね?」


「少なくとも私の魔力とは全く反応しなかったよ〜。ゼノもでしょ?」


「ああ。白と黒、両方とも違和感はない」


霧の中を歩くのは初めてだが、不思議な感覚だ。雨の日とは少し違うが、肌に触れる感覚が似ている。


「俺の魔法も少しは成長したらいいんだがな…」


今まで冒険で俺が何か役に立ったことがあるかと聞かれれば、あるかもしれないが俺が必要だったかと聞かれると怪しい。もしかしたら俺は誰かに必要とされたいのかもしれない。…いや、ベルナに必要とされる日々に慣れていたのかもしれない。


「急ぐことはない。私達はあの父親の子だぞ?落ちこぼれなはずがないさ」


「ありがとう。少しは前向きにな…糸が…切れた…!?」


ふとした違和感をもとに、手元を確認すると糸が真っ二つに切れている。立ち止まり、周囲を確認するが当然霧で何も見えない。そればかりか、つい先程まで近くにいたはずのローズとリンの気配が無い。


「姉さん!どこに行ったんだ!?糸が切れてるぞ!」


返事がない。何者かの襲撃を受けていることは明らかだったが、声すら届かないとはどういうことか。


「一瞬の間に…幻術か、或いはどこかに連れ去られたか…クソっ!こんな時に…!」


『汝に進む資格無し。すぐさま立ち去れ』


「声…!どこから…!」


剣を抜いて構えるが、どこから来るか分からない。そもそも声は頭の中に直接響くように聞こえる。


「足音…?そこか!」


黒の糸は何かを掴んだ。


『貴様…この霧を抜けるつもりか』


「そうだけど。文句あるなら直接言いに来たらいいんじゃないかな。それに、姉さん達も返してもらわなきゃ困るんだよ」


『フッ…いいだろう。霧の王が汝を裁いてみせようじゃないか!』


霧が一点に凝縮し、人の形になっていく。気がつくとそこには一人の騎士が立っていた。


「さぁ、我に力を示してみよ!」


「望むところだ!」


どう見ても格上だが、焦ってはいけない。決断を早めて危機に陥ったことなど何度も経験した。剣を振るうと、合わせるかのように向こうも剣を振ってきた。


「『宵の明星』…叛逆者がここに何をしに来た。エンバージュ王は多忙なお方だと知っているはずだ」


「俺は叛逆者なんかじゃない!」


「その剣とその顔を忘れるものか。エンバージュ王の顔で非道な行いをするのは許されたことではないぞ」


「人違いだと言っているッ!」


力は思った程強くない。いや、受け流しているだけだろう。この霧の騎士は力の流れを理解している。俺の斬撃は全て受け流されているに過ぎない。 


「叛逆者も落ちたものだな。以前ならその魔眼だけで私などそれこそ霧となって消え去っていたというのに」


魔眼…稀有な才能だ。王家ですら発現しているか分からない。非常に高い魔法の才能の表れでもある。物によっては一人で国を相手取ることもできるという…


「そんなもの、無くてもやってやる」


「見事。だが人間の貴様は不老不死だろうと魂の老いに抗うことができない。さぁゼロ・スティングレイ、その穢れた魂を差し出すがっ…!」


霧の騎士の言葉が途絶える。


「な、なんだ…?何が起こって…」


胸に剣が突き刺さっているのが見えた。背後から何者かに襲われているらしい。


「がはッ…!ア…!?き、貴様は…!何故だ…!何故この我に傷を…!?」


「死にゆく者に種明かしが必要でしょうか。目立つ魔法で助かりました。おかげで位置が特定できましたからね」


騎士の背後から聞こえる女の声。一度も聞いたことがない声だ。


「おのれ…!奇襲など…恥を知らぬのか!」


「あなたが言えたことですか。生憎、私はただ主様の言いつけ通りに行動するだけですので。異論があるならその尽きかけの命で主様に直談判しに行けばよろしいのでは?」


声の主は騎士の体で隠れて見えない。


「おのれェ…!決闘を侮辱され、新王に忠誠を示すことなく朽ちていくなど…!」


「ええ。そのまま消えてしまいなさい。霧のように、ゴミのように」


「この…!貴様を地獄で待っているぞ!貴様の行いがエンバージュ王に許されると思うな!傲慢さを知れ、叛逆者共!!」


耳をつん裂くような声量でそう叫び、霧となって消えていく騎士。何故かそれが彼の消滅を意味することが不思議と理解できた。


「あ、あんた…助けてくれたのか?」


霧が散ったあとに残っていた女性、ベルナに使えるメイドの服に似た服、美しい銀の髪、そして獣人の耳…


「…やはり似ている。失礼、私は叛逆の騎士団第一席、ルシア・スティングレイと申します。ええ、かの叛逆者の初めの騎士ですとも。以後お見知り置きを」


あの男の部下ということだろうか。獣人のメイドは剣を払うと深々とお辞儀をした。


「え…あ、どうも。ゼノ・ルイスだ。助けてくれてありがとう」


「いえ。主様のご命令ですから。して、ゼノ様は何故この廃都に?」


霧が晴れて初めて、ここが街であることがわかった。といっても、何十年も放置された古い廃墟ばかりであったが。


「魔王を討伐するために…あとは…そうだな、グロウタウンに構えることはできない。理由は…あの男の部下なら分かるだろ?」


あの男が結局あの後どうなったのか分からないが、今になって部下を遣わしてきたということは生きているのだろう。恐ろしい男だ。


「理解しました。それ以上の説明は必要ありません。…何を焦った顔を?ああ…お二人なら既に保護しました。あなただけ3時間も霧を彷徨っていたみたいですね」


「待ってくれ、霧に入っていたのは数十分くらいだぞ。はぐれてからも数分しか経ってないだろ?」


「忘却の霧はあの者の意のままなのです。霧の中であれば、突如として人を別の場所に転移させることも、霧に閉じ込めることも可能。あなたがお二人からはぐれたのは何時間も前のこと。…腑に落ちない顔ですね。奇怪かもしれませんが、アグリーツァには確かにそのような魔法が存在するのです」


このメイドの知識には圧倒される。そんなことをよく知っている。


「えっと…なんでそんなに詳しいの?」


「似た魔法が使えるので理解が早かっただけです。それに、何時間も霧を彷徨っていれば推理するのに十分でしょう。…まったく、ご自身の身体の心配が先でしょうに」


「え…?うわ、傷だらけだ…いつのまに…」


ルシアの言っていることが正しいなら、俺はあの騎士と2、3時間も戦っていた可能性がある。よく生き残っていたものだ。俺としては本当に数十秒の出来事だった。


「手当は任せてください。私はゼロ様に使える至高のメイドなので」


「助かる。…どうやってここに?叛逆の騎士団ってことはリヴィドから来たんだろ?結構遠いと思うし、どうしてここに俺達がいるって分かった?」


助けてもらった身で失礼を承知だが、好奇心の方が勝ってしまう。


「…存在の証明を否定する。それが私の魔法…もとい、ゼロ様に授かった力」


ルシアは左手の指輪を見せた。魔力が渦巻いており、遺物だと分かる。ベルナの緑龍の瞳と同等の魔力だ。


「えーっと…つまりどういうことだ?」


「世界が私の存在する場所を、あるいは存在そのものを定めることはできない。私は私の意思によって存在し、どこに存在するかは私が決めること」


「君は瞬間移動ができるってことか?好きな場所に?」


「ええ。そういうことです。貴方様の思っているほど便利な能力ではありませんが、貴方様の仰ったことに解釈の誤りはありません。…手当は終わりました。それでは私はこれで…」


ルシアはメイド服のスカートを整え、手を払って身だしなみを整え始めた。


「待ってくれ!まだ聞きたいことが…!」


「何でしょう」


「その…ゼロは…父さんはどうして今更俺を助けるんだ?なんで初めから…俺がレグーナにいた時から助けてくれなかったんだ?」


メイドの顔は見えない。まるで後ろ姿で語りかけてくるようだ。


「命令にはそのような指示は含まれておりませんが…いいでしょう。少し長くなりますが、貴方様には知る権利がある」


息を呑んだ。


「話してくれ」








































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