第29話 ボツ原稿

 乞食、孤児、売女ばいた、傷痍軍人、そいったもんを目につくとこに置きなやと、銀の肌した三つ目の旧敵国のお偉いさんが言うたもんで、政府はそそくさと街のそこいらを、ほうきとちりとりで埃を集めるよに掃除した。文字通りの、一掃。とはいえ、国には屑籠くずかごなんかあらん。掃いて捨てるほどの人がおっても、捨てる場所なんかあらん。あってたまるかや。だいたい、そいは国民やった。命からがら生き延びた、我が国の未来やった。わたしやった。あなたやった。ほやから、政府ははたから困っとった。ちゃんと分かっとった。死して誇りを全うするよか、血反吐吐いても生き延びろと言うたんは、そりゃ政府やったから。そういうプロパガンダァなるもんを大量に生産して、国民を鼓舞させてたん、政府やったから。そいでも敗けた手前、憎き銀蝿にあんま逆らうことも出来んくて、結局、トラックにつめこんで山にポイとしたり、一晩は留置場に入れるものの翌日には説教して解放、みたいなことをちまちまと繰り返しとった。

 ただでさえ、みんな腹は減っとった。見えんくても、いろんなところを怪我しとった。それがぶたれたり、怒鳴られたりしたらかなわん。自然、駅前やら道端からは姿を消したけれど、ほんでも彼らがなくなったわけではなかった。慈善家の作った孤児院や病院に入れられるならまだしも、荒っぽい工事現場で、ろくに飯も食わされんと日夜働かされたり、女も、汚い風呂屋に入れられて死ぬまで出て来れんかったり、結局、そういうことやった。あっちの道でも、そっちの角でも、生き地獄。生きて埃と扱われるよか、モガシ飲んでェ死に絶えろ。そいな唄が流行った。モガシ言うんは頭んなかがパチパチなる飲み物で、そもそも人の口にしてええもんじゃなか。血ィ吐いたり、目ェ悪なったり、耳の聞こえんくなったり、不意に高いとこから飛び降りたくなったりする、そんな魔の酒やった。さすがん公的に売るよな店はなかりしけれども、通りをよう知ったある人は、どこでいくらで売られてんのかを、ちゃあんと分かっとった。そこで暮らしてるもんはみんな、ちゃあんと知っとった。知らんのは政府だけやった。お巡りさんだけやった。みんなもうどうにもならん、どうにもしたあない、そんなときは、頭ぁパチパチさせて死んでった。なかにはよう効かんで、泡あ吹いて延々苦しみのたうちまわる人もいて、そういうんは、情けや。みんなで殺す。口ィ塞いだり、あとが残らんように首絞めたぁり、そいから、川に突き落としたりな。明日は我が身やったから、みんな殺すんは手早かった。一刻も早く、苦しみから救うには、さっさと死なしてあげんのが救いやった。生きたところで………………………。そいでも、ぁさんがヒグヒグ呻いてんのを、奥さんが泣きながら最後まで手ェ握ってあげてんのを見たときは、その場にいる全員が泣いた。ほやって、その二人がほんにええ若夫婦やったんは、みんな知っとったから。なんで旦ぁさんが死ななあかんねや。なんでや。なんでやの。優しい人から死んでゆく。見上げればまあるいお月様。憎い銀蝿は今宵とて、政府の設えたる宮殿に寛ぎ、豪華絢爛たる饗応を当然のものと心得たるよ。

 ほんな世も数年経てば変わるもんで、飢えとか、住みかとか、そういうのんには、あんまみんなが困らんくなってきた頃、文字というのが流行り始めた。そいは政府のプロパガンダとちごた。せやけど国策やった。慈しむとか、幸福とか、喜びとか、なんやよう聞きなれん言葉を使たはるもの。論とも違う、詩でもない。そいが物語やった。なんでも、万人知るべきことと評されて、タダでも得られるらしかった。そん頃、おれは孤児同士でつるんで窃盗団の真似事やってたけえど、試しに街の真ん中に行ってみた。噂は、ほんまやった。みなが呉座ござん上で、紙を手にしてた。ほいで不思議なことに、笑たり微笑んだりしていた。こっちの人は真剣な顔したはる。ほいで向こうは、ハンカチで目元を抑えたはる。薄気味悪いと思たんで、おれはした。きいちゃんは見てくると言うて、そこに混ざっていった。きいちゃんを待つ間に、公園をぐるりと回った。飲み屋や食い物屋の戸に、「本有りマス」と貼り紙があって、あれで客を引いとるらしかった。

 何時間かして、戻ってきたきいちゃんは、ほっぺたをあこうして、歯を見せていた。笑顔じゃった。なんぞ面白いもんでもあったか知らん。聞くと、物語ってえやつは、すげえんだぜと言った。きいちゃんの好きなんは、鉄道や船やったから、そういうんが書いてあるんかと尋ねたら、違うと言われた。

「新聞とはちゃうの」

「全然、違う。本当のことが書いてあるんじゃないんだ。全部、作りもんなんだ」

「嘘かいな」

「嘘とも違ぇんだよ。……いや、本当のことじゃないから……でも、楽しい嘘なんだよ。びっくりするぐらい、よく作られてるんだ」

 そいは死にゆく老人の手をとって、あんたの息子ならここにおりますと嘘をついた、あのことに近いのか。老人はおれんことを孫やと思い違いして、穏やかに死んでいった。きいちゃんのいう、楽しい、がよう分からんけど、なんとなくそう思った。

 そん夜に、泥棒に入った。なんでも、金を手に入れたうちがあるとかで、家の作りも入りやすいとか。計画を立てたんも下見も、他の奴やったけえど、竹林に入った段階ですでに、これはまずいな、と気付いた。上手くいかん気がして、ぞわぞわする。ほいでも、なんがあかんのかは、人に説明出来んので、おとなしくみんなについていった。おれはしたっぱじゃったから。

 家は、しんとしていた。明かりは全て落ちていた。

 玄関の鍵は、開いていた。

 そろそろと中に入る。衣擦れ、呼吸、はなから忍ぶつもりはない。手に持った短刀を握り直す。手ぇの平が、じんわり汗ばんでいる。

 どんどんと廊下の先に進んで行く者。左の部屋に入る者。……そいなら、おれは右の部屋と覚悟を決めら刃を構え、ふすまを開ける。暗がり。人の姿に、ひんと喉が詰まった。背ぇの高い人。いや、あれはぶらさがっている。足が、宙に浮いている。

 慌ててスイッチを探し、壁ごと叩いた。仲間の怒る声。部屋に入り、鴨居から垂れ下がってる縄を切りにかかる。横たわった椅子に乗っかっても、背ェが足りん。大きな机が目に入る。あれをみんなで動かしたら。

 普段はおとなしゅう従うだけのしたっぱが、あれこれ指図するのんに驚いて、ほやけど、みんなテキパキと動いてくれる。まだ身体があったかいから、死んでへんと誰かが言う。これ以上首の絞まらんように、あっちゃこっちゃから支える。机の上に椅子を乗せて、首を吊ったある縄をようやく切れたとき、両手はじんじんと痛んでいた。男の人を畳に寝かして、具合を確かめる。ビクンッと痙攣して、そん人は目を覚ました。しばらくは、なにがなんだか分からない様子だった。こっちかて、分かられても困る。物盗りに来たんですとは言えん。

 そん人が物語ちうもんを書いとる、えらいせんせやった。みんなはせんせが目を覚ました途端にばらばら逃げよったけえど、おれは逃げんかった。ほいでせんせに水飲ましたり寝かせたり介抱して、ほいでそんまま、そこで下働きすることんなった。

 飯と風呂と服。せんせはおれをたいそう可愛がってくれた。可哀想に思ってくれた。おれが話すんは言葉遣いがおかしいと、言葉も教えてくれた。せんせは物書きやったから、書く文字も教科書のように美しかった。おれのみみずがのたくったような線とは、まるで異なっとった。

 せんせは銀肌三つ目のお偉いさんのために、ようものを書いとった。ぎらんぎらんの気味悪い肌を日本刀の美しさにたとえ、二つ目よりは三つ目のがものがよくみえてかしこであると褒め称えた。そいなもんをもう書きとうなくて、せんせは首を吊ったのだとある夜おれに打ち明けた。せんせは、戦争中は我が国を鼓舞するもんばかりを作っとった。

「何故、我が神国は敗けてしまったのか」

 せんせはいたとき、よくそうぼやいた。他国の言葉を排斥し、古語まで持ち出して千代に八千代に我が国の繁栄あらざらんことをと願った国民の、大半は何故虫けらのように死なねばならんかったんか。何故、自分は生き残ってしまったのか。せんせは酔いて酔いて、おれに愚痴をこぼした。おれはせんせの語る難しい論はよう分からんかった。

「武士とは死ぬことと見つけたり。我が国民とは、桜のように散るものなり」

 せんせはよう家に来る銀肌の男に書いたもんを渡して、代わりに金を受け取っていた。ああ、またこれで、私は祖国を汚したのだ。私は売奴だ。守銭奴だ。せんせは金を手にしたらすぐに全部酒や薬に変えてしまうもんだから、そいを諫めんのもおれん役目になった。

「ほんなら、せんせ、ほんまはなんが書きたいんです」

「書きたいものはとうに禁止されている」

「禁止」

「検閲というものがあってね。発禁処分どころか、そこで引っかかるだろうね。そうしたら、私は生きていることさえ許されないよ」

 いやいっそ書いてしまって、殺されてしまおうかなどと、せんせは笑った。

「君も書いてみたらいいよ」

「ほんなん、出来ません」

 自分の名前さえ書くんが精一杯なんに、物語なんぞ作れるわけがない。そいでも君の書いたものが読んでみたいとせんせが言うもんで、おれは紙とペンを手にした。素敵な嘘の話なんぞ思いつくような頭じゃなし、おれは自分のことを書いた。ほいでせんせに見せた。せんせはゲラゲラ笑って、畳の上で転げ回った。

「そんなおかしいですか」

「君はどぶん中で生まれたんだね」

「はあ。そう聞いとります」

「のっけから驚かされたよ」

 せんせはそっから、ときどきおれにものを書かせては笑うようになった。そん笑いはおれを馬鹿にしとう笑いじゃなく、昔きいちゃんと公園に出掛けたときに見た、あん呉座ん上ん人の、そいとも、赤ん坊を抱く母親の笑顔に似とった。いつかせんせを感心させて、唸らせることが出来たなら、おれは満足するじゃろか。ほいなことを思う。

 せんせと暮らしていると、おれというもんが出来上がってきて、ただん掃き溜めで似たよな仲間と暮らしとったときは、ただの砂の一粒だったんが、今はしっかりと思考だの自我だの、その言葉が合ってるかは知らんが、なんやそういうもんがある。

「せんせ。そのお金はお酒にしちゃ駄目です」

「飲みたいんだよ。さ、君も行こう」

「ああ、も、あかんのに」

 せんせに手を引かれて、おれもカフェに向かう。そこにはせんせみたいにものを書いとる人らがよう集まっとって、おれにはとんと分からん横文字をようけ使いよる。最近は私小説ばかりが持て囃されて困るとせんせは仲間にぼやく。せんせはまったく架空の、美しい物語しか書けないのだ。おれは大好物のオムライスをおとなしう食べている。

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