監視昆虫

ムラサキウニの唐揚げ

監視昆虫

【1】


 私が「それ」に初めて遭遇したのは、夏期休暇中に自宅で寛いでいた時のことだった。

 暑さの最盛が過ぎ、いくらかの涼しさを含んだ風が揺らぐ夜の雰囲気に浸りながら、大学教授という肩書きも忘れて静かに読書に耽っていた私は、少し開けた窓の向こうから、何者かの視線を感じた。

 その視線はいやらしくかつ無遠慮で、舐め回すように私を観察するものであった。

 それに気づいた時、私がまず覚えたのは違和感であった。仮にこの視線が実際に何者かの眼から放たれていたとして、それはとても不自然な事象だったのだ。私は自室で読書をしていたのだが、部屋は二階にあるのだ。庭に生えている木に登れば覗きをするのは不可能ではない。しかし、そんな行為にわざわざ及ぶのは盗人か狂人かの二択でしかなかった。

 当然ながら、私は窓に近づき視線の正体を確かめようと試みた。勘違いならばそれで良いのだが、本当に誰かがいるのならば、警察を呼ぶなり大声を上げて追い払うなり、何かしらの行動に移す必要があったのだ。

 一歩一歩慎重に近づきつつも、私は得体の知れない視線にいくらかの不安を覚えていたが、果たして窓の向こうに「人間は」いなかった。

 部屋の向こうに生える木の上に、人間は存在していなかった。一応、窓から身を乗り出して木の根元も覗いてみたが、勿論そちらにも誰もいなかった。しかしながら、何者かの視線が私を捉えている感覚は、依然として感じていた。

 視線は樹上より放たれているように思われた。私はそこに向けて目を凝らし、そして視線の主を見つけた。


 それは一匹の虫──にやや類似した「何か」であった。


 私がその生物の正体について断言を避けたのには理由がある。なぜならば、「それ」の身体は実に不気味な形状をしていたためだ。

 それの胴体と足は甲虫に似ていたが、その足の本数は蜘蛛と同じく八本であった。羽には目の様な模様とふさふさした毛があり、それらは蛾にそっくりだった。加えて、尻の部分には蜂のものに相似した器官が備わっており、先端には鋭い針も付属していた。

 だが、それらの不気味な身体的特徴は、まだ我々人類の理解の範疇にあった。その生物の部位で最も不気味かつ不可解だったのは、地球上に存在するどの生物とも合致しない形をした頭部だった。

 胴の先から生えていたのは、いくつかの節で構成された、哺乳類の首の骨に似た何かであった。節の一つひとつにぽっかりと穴が穿たれており、それはまるで木のうろのようだった。そして首の先には桃色の球体が置かれており、そこからさらに同色の三角錐型器官が三つと、一本の触手めいたものが伸びていた。三角錐型器官の底面には赤黒いガラス玉に類似した球体がそれぞれ三個ずつ埋め込まれており、その全てが私に向けられていた。

 私は、その生物が私を見つめていること、それと不気味な視線の主がこの虫であることを即座に理解した。また同時に、なぜこの虫は私を見ているのだろうという言い知れぬ疑問と、それに基づいた言い知れぬ恐怖心を覚えた。

 無意識の内に、私はそれに釘付けにされていた。虫の大きさは頭部の球体から尻までで約二十センチメートル──昆虫としては大型なのだろうが──しかなかったのだが、あたかもそれが牙を剥いた猛獣であり、私が睨まれて筋肉を硬直させている小動物であるかの如く、勢力的には一方的とも呼べる睨み合いをさせられていた。

 しかし、そんな状態においても、思考はかろうじて機能していた。脳髄から肉体へ、絶え間なく「早く窓を閉じろ」という指令が送られ続けていたのだ。

「それを中に入れてはいけない」と叫ぶ声なき声の正体は、人間としての私よりも、この世の存在としての私が発した警告だったのだろう。そう思わされるほどに、この昆虫は現実ならざる恐怖を孕んでいるように思われた。

 その虫は尚も怯えすくむ哀れな男を観察していたが、それ以上の干渉は行って来なかった。そのため、私は今が行動を起こす好機だと直感した。

 成人してから長らく発揮していなかったなけなしの勇気を振り絞り、いささか気の抜けた掛け声を上げて私は窓へと踊りかかった。そして外に出ていた窓枠の取手を掴むと、渾身の力を込めて室内へと引っ張り込んだ。その際にけたたましい音を鳴らしてしまったが、それを気にする余裕はなかった。

 急いで鍵を閉めてから、私は虫がいた場所を見た。

 虫はいなくなっていた。観察対象による突然の行動に驚いたのか、それとも単に飽きたのか。理由はわからないが、あの恐ろしい視線を今は感じていないということだけは確かな事実であった。

 この奇妙な体験を私の脳は処理し切れていなかったが、幸運にも、ある程度の平静を取り戻すことは出来た。これによって、先に立てた物音に釣られ私を心配しに来た妻を「蜂が部屋に入って来たから追っ払っただけだよ」となんとか宥めかすことに成功した後、彼女が淹れてくれた熱めのミルクを一杯飲んだ。幾分涼しくなったとはいえまだまだ気温は高かったが、先ほどの体験で大いに肝を冷やした私にとって、その熱さはむしろ心地の良いものだった。

 先ほどの体験を妻に話そうかと悩んだが、あんな現実離れした話を口に出したところで信じてもらえる訳がないし、むしろ「夜更かしばかりしているせいで、変な幻なんかを見るんですよ」と笑われ、今年で十歳になる息子をあやすように扱われるのが目に見えていた。

 結局、彼女には何も言えないまま、私は自室へと戻った。読みかけの本がテーブルに置かれているのを見て、そういえば読書の途中であったと思い出したが、精神的な疲労と混乱が私の脳を埋め尽くしていたのでとても再開する気にはなれなかった。

 カーテンが開けっ放しになっていることに気づき、閉めるついでに奴がまた来ていないかを確かめた。だが、外には樹木と暗闇が広がるばかりであった。

 頭を整理し、心を落ち着けるため、私は部屋の明かりを消してベッドに横たわった。初めは眠れるのかと不安に感じていたが、一時間もすれば眠気が来て、いつしか自然と眠りに落ちていた。


【2】


 翌日の朝、目を覚ました私の精神はすっかり安定を取り戻していた。それと共に、昨晩の出来事はまどろみの中で見た幻覚だったのではないかという疑念が浮かんでいた。とはいえ、あの時私が体験した恐怖はかなりの現実味を帯びていて、一概に幻と切って捨てるのも憚られた。

 そのため、私は夢と現実の両面で昨日の出来事を調査しようと考えた。例え答えが出ずとも、この靄がかった気分を少しでも晴らせられればそれで良かったのだ。

 その日の朝食後、私は近場の図書館に足を運んで様々な文献を読み漁った。種類は昆虫図鑑、動物図鑑、地域新聞のバックナンバー、夢占いの本、幻覚についての学術書と多岐に渡ったが、それらの中にかの虫へと繋がる内容は記されていなかった。もちろん私も、必ず手がかりが入手できると確信していた訳ではない。だが、この調査は恐らく難解なものになるだろうという嫌な確信に触れ、やや重い気分となった。

 家に帰ったのは、日もとっぷりと暮れた時間帯だった。妻には「図書館まで何をしに行っていたんですか」と訊かれたので、休暇明けの仕事に備え研究資料の収集を行っていたのだと答え誤魔化した。その後は食事等を済ませ、早めに寝ることにした。

 ベッドへ入る前に、もしかしたらあの虫がまた来ているのではないかと思い、窓の外を覗いてみた。だが目的の姿は見つからず、あの睨め付けるような視線も感じなかった。


 それからの休暇期間中も、私はあの虫について調べ続けた。図書館に足繁く通い文献のページを捲っていただけでなく、古書店で小説やオカルト紙にも目を通し、微かな手がかりさえも逃さぬよう意識を集中させた。また、「虫取り」と称して息子を誘い、自宅の庭や近隣の林にあの虫が生息していないか捜索を行った。しかし、前者は怪しい文言一つの発見すら叶わず、後者はほんの家族サービスにしかならなかった。

 それら全てが無駄に終わったせいなのだろうか、私は急速にあの虫についての興味を失っていき、あの日の体験は全部夢か幻だったのだろうと思うようになった。

 その後の数日は、あの虫や視線が思考に昇るということもなく、実に穏やかな心持ちで過ごしていた。そして休暇が終わり、私は名残惜しみつつも仕事の日々に戻っていった。


 あの虫が再び私のそばに現れたのは、秋学期が始まって二週間が過ぎた日のことだった。その頃には虫のことなどすっかり忘却しており、私の脳はそれに関する記憶を、なんてことのない日常の一幕として処理していた。

 一日の講義の全てを終わらせた私は、自分の研究室にて明日の講義で使用する資料をまとめていた。夜もやや更けてきていたので、早く終わらせて家に帰ろうと思い仕事を進めていた私は、ふと背後から視線を感じた。

 その視線は私の背中から約五十センチメートルという、かなり近い位置より放たれていた。初めは、他の職員か生徒の誰かが軽い悪戯心によって、私を驚かせようとしているのだと思った。だがすぐに、そうではないことに気が付いた。私の後ろにあるのは資料用の本棚とそこに無秩序めいて重ねられた資料達であり、さらにその後ろは壁であった。つまり、その位置には誰もいるはずがなかったのだ。それにそもそも、私の勤務する大学に通う同僚や生徒達に、悪戯という子供じみた真似をする者など誰もいないではないかと、私は思い出した。

 では、この視線を放つ者は一体何なのか?そう疑問に感じた瞬間、私の脳内にあの夜味わった恐怖が呼び起こされた。

 私は衝撃と恐れによって硬直した。幻覚だと片付けていた──無かったことにしていた怪物が、再びあの視線を伴って顕現した事実を認識してしまったのだ。

 後ろを振りむこうかとも考えたが、どうしてもあの虫が恐ろしく、私の目線は手元の資料へ釘付けにされてしまった。

 あれからの視線は、そんな私のことなどお構いなしに、私の背に突き刺さっていた。それだけではなく、「ブブブ ブブブ」といった羽音のような不快音も聞こえてきた。

 私の思考は、背後にいる虫からどう逃げるかだけを考えていた。逃げるしかないと思っていたほどに、この時の私の中であの虫は恐怖の対象となっていた。虫から放たれるあの視線はまるで獲物の品定めをするようで、それがたまらなく不気味であった。

 そんなある種の膠着状態において、私は手元の紙束に目が行った。それと同時に、この紙束がこの状況を打ち破る秘策になるかもしれないと思いついた。

 私はそれらを、背後の虫に悟られぬよう慎重に掴み、思い切り真後ろに放り投げた。紙束で虫の視界を潰し、その隙に研究室から逃げ出そうという判断だった。そのまま椅子から立ち上がり、ドアへと駆ける。そしてノブを捻ると勢いよくドアを開けて外へ身を滑らせ、間髪入れずに閉めた。

 あの虫は私に何もしてこなかった。気づかぬうちに服に張り付いているのではないかと不安に感じ、身の回りを確かめてみたが、幸いにもそのようなことはなかった。それに何より、あの視線を既に感じなくなっていたのが、行動の成功を物語っていた。

 この時廊下には同僚が数人おり、私が慌ただしく部屋から出てきたことに驚き心配したのか、私の方へ駆けてきた。

 休暇中の体験を妻に語らなかったのと同じく、先程の体験も彼らには伏せておこうと初めは思ったのだが、流石に二回目ともなれば受けた精神的動揺も大きかった。私は一部の情報を伏せ、あるいは改変した形ではあるが、彼らにあの虫の話を語って聞かせた。

 同僚達の反応は様々であった。興味深そうに聞く者、疑わしそうに私を見る者、にやにやと笑いながら聞き流す者……。しかし、全体としては懐疑的な反応が多数派だった。

 やはり信じてもらえないかと私はいくらか失望したが、その瞬間、話を聞いていた者の一人が唐突に、「その時、研究室の窓は閉めていたか」と尋ねてきた。私はその質問にやや困惑しながらも、「閉めていた」と答えた。それを聞いた彼は大きく頷いた後、「その『覗き虫』とやらは今その部屋に閉じ込められている。捕まえて、今度はこっちが奴を観察する側になってやろうじゃないか」と大胆にも言い放った。

 私は驚き、危険ではないのかと感じた。だがその一方で、ここであの虫を捕まえてしまえば、私を怯えさせる視線は無くなるのではないかとも思った。そんな逡巡によって私が口を閉じているうちに他の同僚達も面白がって彼の案に乗り、いつの間にか大掛かりな昆虫採集が始まろうとしていた。

 何名かが野犬捕獲用の網を持ってきて、遂に私達は研究室へと踏み込んだ。その瞬間、私は自分に向けて発されるあの鋭い視線を知覚した。

 あの虫は先程と全く同じ位置──つまり資料用の本棚に留まっていた。かつて見た奇怪な姿はそのままに、三本の三角錐の底面に付いた計九つの眼球で私を捉えていた。

 パニックに陥った私は、仲間達に向けて奴の位置を必死に指し示した。ところが、彼らから返ってきた反応は、私の正気を疑っているかのようなとても冷たいものだった。

 これを見た時、私は二種類の感情に襲われた。一つは、「やはり私が見ているものは幻覚なのではないか」という不安。そしてもう一つは、「この虫は実在しているが、これを認識できるのは地球上で私だけではないのか」という恐怖であった。

 虫は変わらずに私を眺め、時折羽を細かに動かしていた。私は同僚達が、せめて音だけでも聞こえているのではないかという一縷の望みを抱き、彼らに羽音の様なものが聞こえないかと問うた。だが、彼は変わらず疑心の眼で私を見るばかりで、私の精神はますます混乱の極みへと進むことになった。

 業を煮やした私は同僚の一人が持っていた網をひったくると、その勢いのまま虫へと踊りかかった。距離は短く、速度もそれなりに乗っていたが、あの虫は私の動きなどお見通しであると言わんばかりに、軽々と飛び上がりかわしてしまった。

 その動きに呆然とする私と、私の動きに呆気に取られる仲間達を尻目に、奴はその奇怪な外見とはかけ離れた軽快な機動で部屋を飛び回り、やがて同僚の一人の肩に降り立った。

 私は焦り、彼に警告を飛ばそうと試みたが、彼とその周囲の者達は依然として困惑の態度を崩さず、むしろ私に対する心配の言葉を投げかけてきた。それでも私は諦めず「肩に虫が止まっているぞ」と言い続け、ようやく彼が自らの肩に触れるところまで漕ぎ着けたが、その結果はさらに私の恐怖を掻き立てる現実となった。

 肩に伸ばされた同僚の手は、意外なほどあっさりと、しかし確かに虫に触れた。ところが、同僚の口は信じ難い言葉を吐き出したのだ。

「君は何を言っているのだね?虫なんてどこにもいないじゃないか」

 彼は実際に触れてなお、虫の実在を否定した。それどころか、周りの同僚らも首を縦に振り同意を示していた。

 私の混乱は今や最高潮に達していたが、それでも僅かに残された理性と視覚は、この事実を正確に把握しようとしていた。私はこの現状が願わくば幻覚であれと思ったが、この光景は現実の産物であるという無情な答えを私の網膜は映し出していた。

 同僚の手は一寸の疑いもなく、あの虫へと触れていた。彼の右手は三角錐の一つと胴体部に接していたが、彼も、そしてあの虫のどちらも、まるでお互いを認識していないかのように振る舞っていた。

 いよいよ私はこの狂気的な現実を許容できず、逃げる様に研究室を飛び出し、引き止めようとする同僚達の声と手を振り切って外へと走った。全速力で廊下を駆け抜け、脇目も振らず大学の庭を走り、一目散に自宅へと急いだ。

 その道すがら、ずっと突き刺さる様な視線が私に向けられていたが、その視線の主があの虫なのか、それとも夜道を練り歩く通行人達のものなのかは、その時の私には最早判別不可能であった。


 ほうほうの体で家に辿り着いた私は、服も着替えず、食事も摂らないままに自室へと向かった。それからすぐに部屋の鍵を閉め、窓の戸締りを確認した後、靴も脱がずにベッドへ潜り込んだ。ブランケットを頭から被り、爪先さえも布からはみ出ぬよう胎児の如く丸まって、ひたすらに眠りという安寧が現実という恐怖から自分を一時的にでも救済してくれるよう、私は目を瞑り祈った。

 視線はその時には感じていなかったが、いつまたあの虫がやって来るのかわからないと思うと恐ろしく、早急に準備をする必要があった。

 妻がドアの先から私に声をかけているのが聞こえたので、私は「しばらく放っておいてくれ」と叫び、彼女を追い払った。本当は一緒にいて欲しいと思わなくもなかったが、それ以上に、彼女もあの虫を認識していないのだろうと考えると、私の孤独がより耐え難い苦痛になるかもしれないという恐れが積み上がっていく気がして、彼女を受け入れることが出来なかったのだ。

 暑さの絶頂は過ぎたとはいえ気温はまだ高く、ブランケットの中は耐え難いほどに暑くなっていた。体中から嫌な汗が流れ出し、密閉されたブランケット内には生暖かいばかりで不快な空気が充満していく。だが、この張り子の城から抜け出すという選択肢は既に私にはなく、眠気が私をかりそめの楽園に連れて行ってくれることを、ただ愚直に願うしかなかった。

 やがて──恐らく床に就いてから一時間が過ぎた頃だろうか──私は三度目となる例の視線を感知した。それは私のブランケットの外から眺めているようだったが、それでも視線は鋭く私に突き刺さり、それがとても堪え難かった。しかし先の体験から、立ち向かう勇気も逃げる根気も霧消した私に出来ることは何もなく、より小さく丸くなって一心に救いを望むばかりだった。

 時間も忘れ、ただただ祈り続けた私の脳は恐怖と怯え、加えて精神的負荷によって鈍い痛みを放ち始めていた。そして熱気の籠るブランケットの中に新鮮な酸素は今や残されておらず、私はいつからか恐れが取り払われることだけでなく、この苦痛から解放されることも切に願っていた。

 何度も息を抑えようと試みたが、それに反して私の口はハアハアと、節操を持たない野良犬にも似た呼吸を吐き出し続けていた。息苦しさは限界へと近づきつつあったが、それでも、このささやかな抵抗を止める訳にはいかなかった。

 時間が経つと共に、私の吐息の音は変化していき、ゼイゼイと不定期で荒くなっていく。けれども、どうしても私は動くことが出来なかった。


 幸運にも眠気が訪れてくれたのか、それとも酸欠で気絶してしまったのだろうか。ともかく私は、いつの間にか意識を失っていた。ふと目を覚ました時、私の体はブランケットをはだけさせ、だらしなくうつ伏せになっていた。

 この時の私の脳内は、寝起きの影響なのか薄ぼんやりと膜がかかった様な状態で、自分は眠る前に何をしていただろうと呑気にも考えていた。そしてふと寝返りを打とうとした時、私は絶叫した。

 眼前には、あの虫がいた。九つの眼は身じろぎもせずに私を凝視し、不快な羽音を鳴らしていた。

 私は悲鳴を上げてベッドから飛び退き、そのままドアを開けようとドアノブにしがみついた。しかし、虫が部屋に入ってこないよう用心で鍵を閉めていたのが災いした。ノブをいくら捻ってもそれは耳障りな金属音を発するばかりで、私は無様にも慌てふためいただけだった。

 ようやく内鍵の存在を思い出し、私は激しく震える手でなんとか解錠して部屋の外へと転げ出た。その間、背後の虫は先の頃と変わらず私を見つめることしかしてこなかったが、それでも私はあの虫の視界に入れられるのが嫌だった。そして即座にドアを閉め、背中を壁に叩きつけ、息も絶え絶えにへたり込んだまま私は扉を凝視した。

 すぐに駆けつけてきた妻と息子に何があったのか問われたが、これまでの体験で気力が尽き果てていた私はろくに口も利けず、ただひたすらに自室のドアを指差すことしか出来なかった。

 私のその行動を不審に思った妻は、私が静止する間もなくドアを開け、私を安心させるために室内を見回していたが、すぐに「中には何もいませんよ」と振り返った。当然、私は彼女の言葉を信用しなかった。なぜならば、彼女が扉を開けている間、あの忌まわしい視線が部屋の向こうからひしひしと伝わってきたうえ、扉を閉めて振り返った彼女の胸部には、あの虫が私を見つめながら留まっていたからだ。

 私は、再び気を失った。


 大学から休職を勧められたのと、私が療養所に係るのを決めたのは、それからほとんど間を置かずに行われたことであった。


【3】


 療養所でカウンセリングを受け、処方された薬を飲み、心を落ち着ける努力を私は一年続けたが、あの虫と視線が、私の世界から消え失せることはなかった。

 虫が現れる頻度はあれ以降ますます短くなっていき、いつしかあの虫は、常に私の視界に入り続け、不気味な視線を四六時中投げかけていた。

 私はその恐怖を絶え間なく感じ続けていたが、以前のように逃げ惑いはしなかった。決して慣れたのではない、抵抗する精神力がもはや残っていなかったというのが正しい解釈だ。

「大丈夫です。しばらく心を落ち着ければ、必ず良くなりますよ」

 療養所に訪れた日、そういって微笑む医師の顔の左半分に纏わりつく虫を無気力に眺めながら返事したことを私は覚えている。それからしばらく経って、また顔を合わせた際には右腕に張り付いていたこともだ。

 彼が朗らかに語った内容は全て欺瞞だった。この施設に来てからというもの、私を取り囲む全ての事象は悪化の一途を辿りつつある。

 まず、社会的な信用が地に堕ちた。私が休職を続けているため家に金が入らず、加えて積み重なる私の医療費のせいで、今まで働いた経験のない妻が内職を始めなくてはならなくなった。私は何度か彼女を手伝おうとしたが、あの視線への恐怖のせいで満足に動けず、何の役にも立たなかった。彼女は日に日にやつれていき、やがて、私へ見る目が「愛する夫」から「無能な家畜」を見るものへと変化していった。息子はまだ幼く、自身と両親の身に何が起こっているのかを完全には理解していなかったが、愛する母を苦しめている原因が木偶の棒じみて家にいるだけの父親にあると気づくと、強い憎しみの目で私を見つめるようになった。

 それと並行して──恐らく妻と息子が愚痴として言いふらしたのだろう──かつて親しくしていた近隣住人達からは、憐れみと侮蔑が入り混じった目線を向けられるようになった。

 また、私の心身も激しい衰弱を見せ始めていた。真っ先に問題となったのは、著しい集中力の欠如である。絶え間なく視線を注がれている影響なのか、私は何をするにもあの虫の存在を意識せざるを得なくなり、常に気が散るようになってしまった。そして当たり前ながら、その影響は様々な障害となって私の身に降りかかってきた。

 その中で最も強く私を苛んだものは、睡眠の欠乏である。私の精神を決定的に壊してしまったあの日の出来事以来、この肉体は長時間の睡眠を拒絶するようになった。理由は至極単純で、常に観察のみをしているあの虫が、私が意識を手放している間に何を行うのかわからず、それを私の精神が病的に恐れているためだ。この頃は、総合して一日にわずか三か四時間ほどしか眠っていない。さらに付け加えるのであれば、その内ベッドにて取られた時間は三十分にも満たない。その大多数は不意に強烈さを増す睡眠欲によって、家の床や道端で倒れ込んだ時のもので占められている。

 私にはそれだけでも地獄に落とされたように苦しんだが、あの虫がもたらした苦痛はこれだけではなかった。

 次に起こったのは肉体の衰弱であった。右記に示した問題によって、私は満足な栄養摂取すら難しくなっていた。十分な食欲を満たすことは、ある意味では眠ることよりも難題であったのだ。

 苦難となったのは、味覚の喪失だった。私の舌は度重なる精神的負荷のあまり、どんなに味付けの濃いものを口に入れられても、一切の反応を示さなくなっていた。初めの頃は無理矢理料理を噛み下し、水で以って喉へと流し込んでいたが、次第に栄養補給についての義務感を、無味な物体を飲み込むという苦痛を避けたいとする忌避感が上回っていった。最終的に、今の私は僅かな流動物を細やかな主食とし、残りの栄養は点滴で定期的に直接身体へと注がねばならない状態に陥っていた。

 当然、そんな不健全な方法で十全な補いが出来る訳もなく、私の肉体は日増しに痩せ細り、病弱なか弱い代物へと変化を遂げた。特に内臓器官の衰えは顕著で、私は毎日、激しい咳に耐える必要があった。


 ここまでに挙げた悪夢的なまでの環境変化は、欠片ほどの慈悲も与えず私の肉体と精神を破壊し尽くした。しかしながら、私が狂気の視線に晒される中で到達してしまった「真実」に比べれば、ほんの少しではあるが、まだ温情があった方なのかもしれない。

 初めてそれに気づいた瞬間、私は込み上げる恐怖を堪え切れず、喉を焼く絶叫のうちに嘔吐した。そして汚物が顔を汚すことも厭わず、暗黒が真実を包み隠してくれるよう、顔面を両の手で覆い込んだ。

 私は、この悪夢を自覚せぬままに死へと導いてくれなかった運命を強く呪った。それから、もはやこの世界に安住の地はないのだという絶望に、無抵抗のまま呑み込まれていった。


 虫……。

 私を監視するあの虫は、一匹だけではなかったのだ。


 そうだ。私は気づいてしまったのだ。

 私を激しく蔑視する妻の背後に、私を憎悪の眼で睨む息子の右隣に、私を気狂いと憐れむ医師の左隣に、私を能無しと嘲笑う近所の人々の頭上に、私をいないものとして無視する道行く者達の足元に、奴らはいた。

 私だけではない。私達の一人ひとりを、全人類の一挙手一投足を、あの虫達は見ているのだ。

 今日に至るまで私は視界に入る人物の全てを眺め、誰か一人でも奴らの非監視対象になっている者はいないかと探し回った。だが、その行為はいたずらに私の心を虚しさで埋め、絶望という断崖へと押しやるのみであった。

 例外は存在しなかった。知性もなく泣き叫ぶ赤子であろうと、苦痛など知らぬかのように笑う少年であろうと、かけがえのない家族との団欒に喜ぶ女性であろうと、呻き方もとうに忘れベッドに横たわる老人であろうと関係なく、全ての人間はあの虫達に観察されていた。

 しかし、奴らはただ「見ている」だけだった。奴らは私達を見ているだけで、それ以外のことは何もしてこなかった。確かに人間に接触してくる個体はいるが、それは接触中の者とは別の対象を観察している個体であり、奴らは観察対象には決して干渉することはなかった。それが実に不可解で、私をさらに戦慄させた。また、そんな大規模な動きが日夜行われているにも関わらず、私以外の人間がこの状況を認識している素振りがないのも、不気味さに拍車をかけた。

 正体も目的もわからぬまま、終わりなく監視され続けている。

 その事実だけが純然と思考に横たわり、か弱い私の正気と精神を貪っていった。


 細かに千切れた集中力を粗雑ながらも繋ぎ合わせ、監視者達について思いを馳せる。それが無意味で無駄な行動であるのはとうに分かりきっていたが、私は、私の何もかもを破壊した奴らに対して、せめてもの復讐をしてやりたかった。

 無論、あちらこちらに火を放って奴らを一匹でも多く焼き殺してやろうなどという、荒唐無稽な企みは抱いていない。そもそも、かつてならいざ知らず、今の衰えきった私にはあの虫達の一匹を叩き潰すことはおろか、触れることさえ叶わないだろう。

 だからこそ、私は奴らの正体の一端に触れてやろうと思い至った。せめて、あの忌まわしき監視者達の目的か生態を暴き、それを冥府へと誘われる日までの慰みにしてやろうと考えついたのだ。

 私自身、実に浅はかで愚かな発想であったと悔いている。それでも、一片の救いもなく、流れるままに破滅へと転がり落ちていたその時の私には、それがとても重大で、必要な行動であると感じられたのだ。

 緩やかに、だが確実に終わりへと向かう日々の中で、私は奴らの観察を開始した。皮肉にも、奴らに全てを奪われたおかげで時間だけはあった。それに、観察対象は一秒の間もなく私を見つめてくるため、やろうと思えばいつまでも見返してやることが出来た。

 その頃にも依然として虫達への恐怖心は感じ続けていたが、それは無謀としか形容しようのない好奇心によって実質上の麻痺状態にあった。そして、その狭まった視界は私をさらなる恐怖へと誘うことになった。


【4】


 観察を重ねるごとに、私はとある「違和感」を抱くようになっていった。初めは、集中力の欠如という要因もありほとんど気付かなかったのだが、何度も奴らを、正確に言うのなら奴らの頭部を見ていくうちに、私はその違和感の正体の一端に近付いていった。

 それは、「視線」だった。初めて私が奴らを認識した時から常に感じていた視線こそが、違和感の正体だったのだ。

 私がこのことに気づかなかった理由は、決して私の脳が愚鈍であったからというだけではない。仮に私の脳神経が正常に機能していたとしても、それなりに時間を費やして観察を行わなければ勘づけはしなかっただろう。

 その視線の何がおかしかったのかというと、その視線に込められた「意志」に似た雰囲気と、その主である虫達の振る舞いがどうにも噛み合わないように思われたのだ。

 最初に奴らと遭遇してから今まで、私は常にそれらから「意志」の存在を感じていた。いやらしくかつ無遠慮で、舐め回すような視線。それがあの視線に込められていた。しかし、その視線に反して、あの虫の振る舞いは、まるで普通の虫と変わってはいなかった。

 確かに、私を観察する動きや、食事もせずに私の周囲を飛び回るといった行為は異常と呼べるだろうが、それ以外は普通の昆虫達と比べてもほとんど違いがあるようには思えなかった。よりはっきりした言い方をするのであれば、「知性」というものが感じられなかった。

 ではどうして、私はこんな矛盾した印象をあの虫達に抱いているのだろうか。この発見に辿り着いてから、そんな疑問が私の脳裏には常に浮かんでいたが、それはある「気づき」によって、不幸にも解き明かされることになった。


 奴らを見つめてから数日、私は虫達が持つ奇妙な頭部が、あるものに類似しているかのように見えた。細長く伸びた三角錐型の器官と、その先端に付属した眼球に似た物体……。それはあたかも望遠鏡か、もしくは双眼鏡のような遠くを眺めるための道具を想起させた。

 もし……、もしだ。

 もし私が先に述べた違和感を覚えぬままいれば……。それ以前に、恐ろしき観察者達へのささやかな復讐を試みず、あの夜と同じく瞳を閉じて部屋の片隅で怯えながら最後の時を過ごしていれば、少なくとも今よりかは、まだ幸せな死を迎えられたのかもしれない。

 しかし現実は無情にも、私に真の恐怖を植え付けたのだ。

 何が理由となったかはわからない。だがこの怪しげな類似性を発見した時、私の脳髄は一時的に、また、あの場においては全く持って不運なことに、正常な機能を取り戻した。それと同時に、脳細胞達は記憶内に散乱した微かな要素を繋ぎ合わせ、一つの「仮説」として私の思考に提示した。


 あの虫は生物ではない。奴らは望遠鏡のような道具として、私達を観察するために用いられているのである。そして、奴らの主人がその肉体の中、或いは別の場所や時空から私達を見ているのだ。


 その仮説が浮かび上がった瞬間、私は咄嗟にそれらから目を逸らし、二度と直視することはなかった。所詮は仮説だと打ち払おうとしたが、そもそも私が置かれていた異常極まる状況に、否定し切れる可能性など何もないのだと気がつくと、私は思考するのをやめ、これまで以上に虫達を恐れるようになった。


 私の肉体の衰えはもはや回復不可能な状態まで達しており、死神の迎えはそう遠くないと最近は感じるようになった。ここしばらくは歩くことさえままならなくなり、ベッドの上のみが私の行動範囲となっていた。

 私は常に寝床の上へ横たわり、瞳を閉じる。外から見れば眠っていると思われるだろうが、実際に睡眠に入っている時間は極々僅かだ。ほとんどの時間は覚醒したままじっと、最後の時を待ち続けている。

 今では、あの虫達は現実の存在であると信じて疑わなくなっていた。療養所の薬は結局効果を発揮することはなかったし、医師からもたらされた言葉の数々も私の精神を快方へと向かわせはしなかったのだ。それならば、奴らが虚構の産物ではなく、実在するものだと受け入れる方が遥かに自然で、何より楽だった。

「なぜ奴らは私以外の者には知覚されないのか」という疑問については、現時点でも推論を立てられていないままだが、それについては考えるだけ無駄な話だろう。どんなに突き詰めたところで答えは、本来人類が認識できないあの虫達を、私だけが何らかの要因で見えるようになってしまっただけのことなのだ。そういうことにしておくのが良い。

 例え真実が別にあったとして、私はそれを探し求めるつもりはない。知らなければ良かった事実に辿り着き、恐怖に心を汚されるのはもうまっぴらだった。


 私の心の中に、既に希望など在りはしなかった。

 もし、奴らの姿を見えぬようにしてやると世界一の名医に言われたところで、私がその言葉に喜ぶことはないだろう。奴らの姿が見えなくなったとして、私が奴らに植え付けられた恐怖心が取り払われるわけではない。むしろ今度は、あの虫達が不可視の存在になって新たに生まれる「見えざる恐怖」のせいで、今日までと何も変わらずに怯えるようになるのだ。

 ならば記憶ごと消すかと問われれば、やはり私は首を振る。虫達に関わる記憶が喪されることと、奴らの存在を認識しなくなることは必ずしもイコールとは言えない。下手を打てば、何も知らぬ状態からもう一度、あの恐怖の日々を味わわされることになる。

 私はもう、ただ一つを除いて何も望むつもりはない。私は、これ以上の苦痛を感じぬまま、静かに死にたいだけなのだ。極僅かでも穏やかな終末こそが、私の願いなのだ。

 自死しようとは思っていない。かつては首をくくることなども考えていたが、「奴らの向こう側にいる者達」の存在が脳裏をよぎるようになってからは、彼らの見せ物として動きたくないがために、可能な限り静かで怠惰な生活を送るよう密かに心がけていた。

 出来る限り「つまらない死」を彼らに捧げる。これこそが、私が奴らにしてやれる真の意味での最後の抵抗であった。そして、私の心を慰める細やかにして唯一の手段だった。


 私は浅い眠りから目覚め、すっかり重くなってしまった瞼を開く。

 視界には相も変わらず、私を眺める虫の姿があった。

 今となっては叫ぶ力も怯える余力も尽き果て、私は無気力さに任せて再び瞼を閉じた。

 暗黒の深淵か、乏しい幻想の世界へと誘われるまでの長い時の間、私は漠然と一つのことを願う。

 願わくば、妻と息子、それから全ての人間が、自らを眺める者達について何も気づかず健やかなる生を送り、無知の揺籠からはみ出さぬうちに穏やかなる死を迎えんことを。

 監視は未だ、継続されている。


〈終〉









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監視昆虫 ムラサキウニの唐揚げ @Murasakiuni-no-Karaage

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