第2話 変わり者の父親

 耕太郎の父は横須賀の和菓子屋の坊ちゃんとして育った。父がまだ幼いころ、店はずいぶん繁盛していたそうだ。従業員を何人も抱え、身の回りの世話は家政婦が焼いた。テレビが発売されるや地域で誰よりも早く手に入れて店に置いたことから、物珍しさにつられた客で店内はいっそうごった返した。ところが、経営は徐々に翳りだす。悪いことは重なるもので両親の夫婦仲もぎくしゃくし始めた。どちらも修復できぬまま事態は一方的に悪化し、居たたまれなくなった父は高校卒業と同時に家を飛び出した。

 それからは苦労続きだったろうが、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、幼い頃に育まれた鷹揚さは大人になっても変わらないらしかった。穏やかで誰に対しても優しかったから一緒にいて気づまりにはならなかった。ところが、耕太郎にとっては時として一筋縄ではいかない曲者でもあった。


 父は絶えず煙草をふかしていた。


(こう年がら年中吸っているのだから、うまくないわけがない。)


 当時売られていた、棒状のチョコレートを煙草の巻紙で包んだお菓子をしゃぶりながら、食い意地の張った耕太郎はひそかに思っていた。

 ある日曜の午後、父は居間でテレビを見ていた。灰皿の縁に無造作に置かれたタバコの先から煙がくゆっている。幸いこういうことに厳しい母の姿は近くにはなく、目の前の父はどう見ても脇が甘い。


(絶好のチャンスだ!)


 そう思うが早いか、耕太郎は目にも止まらぬ速さでタバコをかすめ取ると口に運んだ。先端はそれまでになく赤々と燃え上がり、煙が激しく立ち上っている。ところが、何の味覚もない。耕太郎は怪訝な顔で父を見た。すると、ニヤリとして父が言うのだ。


「バカだな。吐くんじゃない。吸うんだよ。」


 いつもモクモクと煙を吐く姿ばかり見てきたから、つい勘違いしていた。

 父の反応は意外だったが、思いがけずお墨付きも得られた。これで心置きなく念願をかなえられる。耕太郎の表情は実に晴れ晴れとしていた。いよいよ大きく呼吸を整え、ゆっくりと吸い口をくわえると、ためらうことなく一気に吸い込んだ。結末は無残としか言いようがない。肺が飛び出しそうな勢いで激しく咳き込んだ。洟と涎と涙でぐちゃぐちゃになった息子を父は声をあげて笑った。


 こんなことは数えればきりがなかった。手渡された小さな巾着が突如甲高い声を発して笑い出す。「笑い袋」だった。物心もついていない耕太郎がびっくりして泣きながらそれを放り出したときも父は大喜びだった。また、暑い夏の盛り、居間の卓袱台の上にはグラスがあった。そこに注がれたキンキンに冷えたビールを、耕太郎はまたしても父の隙をついて口いっぱいに含んだ。泡立ちのいいサイダーくらいに思っていたから、あまりの苦さに反射的に吐き出した。このときも父は爆笑していた。だから、どこかで警戒していたはずなのだが。


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