もうひとつの荒涼

空襲警報に慣れてきた頃、向かいの大きな漢方屋を営んどる家に妙な居候が住み始めた。


大きな薬箱を背負い、乱雑に切った黒髪に薄汚れたヘルメット。右腕が途中から無うなっとって、暑かろうが寒かろうが常に着込んどる男じゃ。世間知らずの栄子ちゃんが言いくるめられたのかと心配になっけど、隣家の子供らに身をかがめて竹とんぼを作っちゃる姿を見て、うちもだんだん声をかけるようになった。


男は蕾いう名前で腕は戦場で失うたやら。廣島が故郷じゃったが、家は建物疎開で無うなり家族と縁も切れとるやら。闇市で商売をしとったが、栄子ちゃんと双葉山診療所の満也さんにええ顔をされんけぇやめたやら。


話しゃあ案外面白い男で、ちいと摺れたような性格ではあったけど栄子ちゃんのことをいとう気にかけとるようじゃった。


子供もおらず旦那は戦死したうちの家に時折手伝いに来てくれることもあった。防空壕を掘ってくれんさったり、家具の修理であったり、片腕であることを忘れるほど器用にこなす姿に苦労と優しさを感じたのをよう覚えとる。


栄子ちゃんの母……横井さんに家賃代わりとして時折田舎に行って米や野菜を渡しとるが、隣組のうち達にも得体の知れん者を住ましてもろうとるけぇとようわけてくれる。配給だけでやりくりするなぁ大変じゃけぇこれにゃあぶち助けられた。


ぶっきらぼうで不器用な優しさを持った男いうのがうちの印象じゃ。


7月2日にうちの叔母と両親が住む呉市が大きな空襲を受けた。幸いにも家族は全員無事じゃったそうだが、家が焼けた上に叔母が火傷をして不自由をしとるらしい。


詳細な知らせが届いたなぁ7月4日じゃった。うちゃ呉市まで家族のもとへ行き、自分の家に住まんかと誘うた。最初は迷惑をかけるけぇ言われたが、うちが旦那も子供もおらんで寂しいけぇいてくれる方が嬉しいと伝えると感謝を告げられ一緒に住むことになった。


叔母の火傷は満也さんが診療所から出張して診てくれんさったおかげもあってか順調にようなっていった。満也さんと栄子ちゃんが2人きりでモジモジしとると、蕾さんが会話の助け舟を出しとったのをよう覚えとる。


傷痍軍人なんておっかのうて関わることもないじゃろう思うとったが、彼の存在は案外心地よう日常に溶け込んどった。


うちの家族も廣島市を気に入ってはくれたが、どがぁしても両親は思い出のある呉市にやはり戻りたい言いよったけぇ住む場所を整えるために廣島と呉を行き来する日が続いた。


叔母は空襲警報が鳴る度に酷う怖がるけぇ、怪我をしとるが一緒に呉に行ってなるべく皆で離れんようにした。


そがいな日が続いとった時じゃ。栄子ちゃんから満也さんと2人きりで出掛けると聞いた。どちらから誘うたのか聞くと、どうやら2人で蕾さんへなにか贈り物をしたいという話になってそれなら2人でこっそり買いに行こうとなったんじゃげな。


その話をしよる時は意識しとらんかったんじゃとが、後々2人きりで買い物に行くということに頭の中がいっぱいになってしもうたやらで、顔を真っ赤に慌てる栄子ちゃんに何を買うのか聞くと悲鳴を上げた後に小さな声で考えとらんかったと呟いた。


こりゃあ満也さんも同じふうになってそうじゃと勘が働き、それなら事前練習言うて蕾さんと買い物に行って欲しそうなものを探るとええと告げた。


それを聞くと栄子ちゃんは顔をパッと明るうし、飛び跳ねながらありがと!と礼を告げて慌ただしゅう走り去っていった。あの様子じゃとすぐに蕾さんを誘いに行ったんじゃろう。彼の苦笑する顔が思い浮かぶ。


彼からどがいな愚痴が出てくるのか聞きたかったが、あいにく今日から3日ほど呉の方に行く予定じゃったためうちゃ家族と電車に乗って廣島市を離れた。


それが8月5日の出来事。


次の日……8月6日。家の建て直しをしとるとピカリと辺りが一瞬明るうなった。天気もええのに妙なものじゃ思うとると、しばらくしてちいと大きな地震が数秒続いた。


なんかおっかないことが起きとるんじゃないかと、不安がる叔母を励ましとると誰かが山の向こうを見ろ言うた。


山の向こう、廣島市の方向。かなとこ雲言うにゃあ大き過ぎる巨大な雲がもうもうと立ち上っとるのが見えて得もしれん不安に駆られた。


大きな空襲があった時に雲が出来るなぁ知っとるが、あの雲はどうも様子が違う。今すぐにでも廣島市に帰りたかったが、様子の分からんうちは危ないけぇやめといた方がええと家族に説得され諦めることにした。


呉の人達がちらほらとどこからか噂を聞いたのか、廣島に新型爆弾が落とされたという話が耳に入ってきた頃、うちゃ家族を呉に残して廣島の自分の家の様子を見に行くことを決意した。


隣組の方々も気になるし、出掛けの約束をしとったであろう栄子ちゃんと蕾さんのことも気になる。えらい酷い様子やらいう話だが、呉の空襲も酷かったが家族は無事じゃったということもあり、きっと助かっとるじゃろうと不安を押し殺すように自分に言い聞かせながら廣島市へ向かった。


電車は廣島市へ向かう途中で止まり、これ以上は線路がやられとるため使えん言われ途中から歩きで行った。多くの人が不安そうな面持ちで向かう中に混じり歩みを進めとるとうちの知っとる街はもうそこにゃあ無かった。


木造の家は焼け落ちたのかそれとも吹き飛ばされたのか跡形ものう、至る所に遺体が転がり、川も街もどこを見ても酷い有様じゃった。


救護所や避難場所に行きゃあ会えるか思うたが、日数も立っとるため顔見知りの満也さんの双葉山診療所へ身を寄せとるのかもしれにゃあ先にそちらへ向かうことにした。


双葉山診療所は山の方にあるため、上手う木に守られたのか建物はやや傾いてはいたがしっかりと残っとった。火傷をおった患者が道端に溢れとったがその中に慣れ親しんだ顔はおらん。


慌ただしゅう動き回る人達の中に満也さんの姿を見つけて胸を撫で下ろす。頭に包帯は巻いとるが大きな怪我はしとらんうだ。うちゃここに隣組の人達や栄子ちゃんや蕾さんが来とるのじゃないかと満也さんに声をかけた。


満也さんはうちの顔を見ると安心したようにほっと息をつくと、すぐに暗い表情になった。


栄子ちゃんはもう焼かれて骨になっとった。


遺体を見ん方がかえってよかった思う言う満也さんの背をそっと撫でる。2人が恋をしとったことを周囲の人は皆知っとった。どれほど辛かったじゃろう。それでもなるべく多いくの人を助けるために医者としての仕事をする彼はぶち強かった。


蕾さんのことも尋ねた。満也さんはちいと言葉を濁しながら、栄子ちゃんと蕾さんが2人でこちらに避難してきたこと。それから辿り着いた途端に栄子ちゃんが亡くなってしもうたこと。ほいで怪我もしとるのに手当を受けずフラフラと立ち去ってしもうた蕾さんのことを話してくれんさった。


忙しゅうて探しに行くことも出来ん満也さんに代わり、隣組の人達も探すついでじゃけぇ言うてうちゃ街の方へ走った。


ぽつりぽつりとある救護所で何人かの無事と訃報を聞いた。


どれほど探しても蕾さんを見つけることも、見よるという話も出てこんかった。色んな人に彼を見つけたら知らせを送ってほしいと頼み込んだ。


街は日に日に復興していった。路面電車が走り、バラック小屋が建てられ、人々の生活がゆっくりとだが戻っていった。


満也さんは今も蕾さんを探しよるらしい。


知らせはまだ来ない。

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台本置き場 月桂樹 @Bay_laurel

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