第46話


 シーは何も言わない。いや、喋れない。極度の緊張に晒され、荒くなった呼吸で肩が微かに上下している。


「キイを連れて帰る」


 シーは、呼吸を整えてから己に命じるように言うと踏み出した。すると俺の胴回りぐらいある木が折れたような音が、家鳴りのようなノイズを放ち続ける館内に鳴り渡る。


 心臓が跳ね上がり、思わずシーの肩を掴んで引き止めた。


 キイの側へ、剥がれ落ちた天井の一部が落下し埃が噴き上がる。キイは落ちて来た天井の一部に驚く事も無く、辺りで立ち込める埃にせ返りもせず言った。


「ここにいますね」


 つんざくような物音と、キイの側へ落ちた天井の一部に、真っ青になっていたシーが声を零す。


「……え?」


「ここでしんだので。ぱ。いきづまり。うらやましいみえる。おかえりください。う」


 俺はもう何が起きているのか分からず、恐怖と嫌悪感のまま吐き捨てた。


「……何言ってんだよお前。本当にキイか? さっきから気色悪いその声、キイじゃなくてうぐいす旅館の幽霊とかいう奴が喋ってんじゃねえだろうな!? おい! キイから離れろよ! 井ノ元達を飛び降りさせたのもてめえか!?」


 シーが俺の怒声で我に返るとキイを見据える。


「キイ? そうなの? 私達の声聞こえる?」


 ジリリリリリン。ジリリリリリン。


 あのコンビニで聞いたのと同じ、黒電話の音がした。館内のどこからかだ。廃墟に電気なんて通ってる訳無いのに。


 シーが飛び上がって、キイの足元へ向けていた懐中電灯を忙しなく辺りに向ける。出所が掴めないと分かると、諦めたように呟いた。


「……何でここでも。ずっと付いて来てたって事?」


「もうこいつが俺達を呼んでたって考える方が辻褄が合わねえか」


 俺は掴んだままのシーの肩を引き寄せて口走る。


 視線はキイと、ゆったりゆったり揺れ続けている、首吊り自殺に使われたような形の電線に向けっ放しだから見えないが、シーが俺を見上げて「え?」と返したのが声の位置で分かった。


「お前言ってたじゃねえか。今日という日に立て続けに妙な事が起きてるのには、きっと何か理由があるんだって。それがこの旅館の幽霊だったんだよ。肝試しから一週間後の今日に写真がおかしくなったのも、肝試しに行った奴らが次々おかしくなったのも、コンビニの電話も、きっと俺達をここに呼び込む為の餌だったんだ。井ノ元達とも肝試しとも関係無いキイが、あそこにいるのがその証拠だろ」


「何の為に。それにその仮説だと、おきつね様の説明が出来ない」


「おきつね様だって足立の譫言たわごとじゃねえって言い切れねえままだし、コンビニで得た情報も関係があるものなのかまだ未確認だし、今日一遍いっぺんでも理屈が役に立った事あったか? お前が正しかったんだよシー。俺が悪かった。今朝写真の加工検出をした時に素直に信じて、もっと時間をかけてお前を説得すればよかった。常識も理屈も通じない奴は、幽霊は、いるんだよ! 何の為かも明かさねえで、近付く奴らを痛め付ける為に!」


 恐怖に叫ぶ俺に、シーが言葉を失うのを息遣いで気取る。


 そうだ。自分達の物差しで判断しようっていうその考えから間違ってたんだ。その物差しが通じる相手なのかも分からないのに、近付けば何か分かる筈だって。人が死を恐れる事に理由なんて無いように、こいつらの存在にも当てはめる言葉なんてきっと無い。幽霊という言葉だって、そのイメージに近いから勝手にそう呼んでいるだけで、こいつらの正体とは何ら見えてないままなんだから。


 幽霊の定義とは何だ。あれは何だ。何故キイは突然あの椅子に座って現れて、キイのものとは思えない声で訳の分からない事を喋り続けてる。いやそもそもあれは、本当にキイなのか? キイという人間を定義してるものとは何だ? 俺は普段何を頼りに、あの姿をしている人間をキイと呼んで接してる? 気が触れそうだ。俺も妙な事を喋り出したり、突然走り出して山奥へ消えたり、道路に飛び込んで死にそうだ。シーを連れて帰らないと。そうだ。そうしないと。確かに今正しいと言える事は、これだけだ。さっきシーもおかしくなってたのに?



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