第43話


「……え?」


「えじゃないよ。この距離で聞こえない訳無い」


 俺が漏らした間抜けな声が面白かったのか、シーは薄く笑う。


 いつも幽霊みたいだと思っていた。見ていると季節感が狂う程白い肌と、折れそうなぐらい華奢な身体が、夕暮れ時にばったり出会ったらそう勘違いしても不思議じゃないぐらい儚く、実在してる印象が乏しくて。そういう歩き方の癖に過ぎないんだろうが足音も小さくて、今朝キイに呼び出されてあの写真を見ている隙に隣に立たれた時は、心臓が止まるかと思った。公園から図書館に向かおうと歩き出した時の、太陽光に直撃されつい目を細めて立ち止まっている様も、そのまま消えてしまいそうに見えた。


 馬鹿な考えが頭の中で警報を鳴らす。みたいだと常々思っていたが、もしかして本当にそうなのだろうかと。


 井ノ元達が飛び降りる直前、部室の前で藤宮の様子がおかしくなった時。シーははっきりと答えなかった事がある。黒い男の、大人の人は、お前には見えてたのかという俺の問いに。


 どうしてシーはあの時、「藤宮さんの為に近付いたのは事実」なんて、まるで躱すような答え方をしたんだ? 気が動転していたから? 俺も気が立って責めるような物言いをしてしまったし、井ノ元達が飛び降りるわで改めて尋ねる事をずっと忘れていた。


 何で答えなかったんだ? 答えると何かまずい事でもあったから? もし見えていたと教えたら、シーにどんな不利益が起きる? 


 シーはずっと俺を見上げている。瞬きの回数が少ない目で、じっと俺を見ている。光源はシーが垂らしている左手の懐中電灯だけで、足元から微かに漏れる光に照らされる顔は人形のように生気が感じられない。


 俺は動けなくなって、懐中電灯を意味も無くシーの背後へ向けていた。ずっと同じ位置を切り抜かれた闇は、通過して来た廊下の一部をぽっかりと晒している。さっきまで照らされるゴミやガラクタにあれ程気を取られていたのに、今は何も意味を見出す余裕が無い。警戒すべきものが眼前にいる。違う。何を馬鹿な事を考えてるんだ俺は。


 指先まで冷たくなっていた身体は、張り裂けそうな程激しく収縮を繰り返す心臓に循環される血で熱くなっていた。まるで、いつでも叫んで駆け出せるように。


 まだ瞬きをしないシーは喋り続ける。


「何で私とユウが来た途端、都合よくおかしな事が起きてるんだろうね。映画じゃあるまいし。井ノ元達が一週間前ここに来た時も、今日と同じように地図と違う場所に建ってて、今みたいに誰かの声が聞こえてたのかな。なら付き合わされてたモトが怖がって、すぐ私達に連絡して来ると思わない?」


「……何も、起きなかったからだろ? だって、足立だけ首無しになってた写真は、昨日の夜キイに送られたんだし、それまでは、何も……」


「ねえ大丈夫? 辿々たどたどしいけれど」


 シーは右手で口元を押さえ、くすくすと笑った。四人でいる時でも中々見せない可愛い笑み。俺と二人でいる時は、まだ見せる気がする。いつもガラガラな図書室で、シーが小説を書いているのを向かいの席で眺めているのに飽きて少しからかった時、そうして笑う。


 シーは感情のスイッチがオフになったように、ぱっと無表情に戻って言った。


「やっぱり今日じゃないといけない理由があったんだ」


「……何がだよ」


 自分の声が震えている。


「何なんだろうね」


 即答するシーの声は、機械音声のように抑揚が無い。


「もう出よう。お前おかしいぞ」


「そう思ってる根拠は何? 何を基準に普通と異常を判断してるの? 人の心っていう目に見えないものを信じるって、神や幽霊を信じる事とどう違うの?」


 シーの右手を掴んだ。そのまま来た道を引き返そうと歩き出す。


「もういいだろ。引きってでも帰るって言ったよな!?」


「どうしていきちゃいけないの」


「うるせえぞいい加減にしろ!」


 シーは懐中電灯を滅茶苦茶に振りながらきゃっきゃと笑う。


「もうユウ私じゃないってば」


 スマホの着信音が上がり驚いて立ち止まった。……俺のだ。電波は届いてなかったんじゃなかったか?


 懐中電灯をくわえて空けた手を、ズボンのポケットに突っ込む。矢張やはり俺のスマホが鳴っていて、ロックを解くとキイからだった。


「キイ?」


 口にすると、後ろで懐中電灯で遊んでいたシーが動きを止めて俺を見る。正気に戻ったか?


 俺はシーの意識をキイへ向けようと、懐中電灯を無理矢理ズボンのポケットに押し込み、ハンズフリーにして電話に出た。


「もしもし? キイ?」



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