第42話


 溜め息を堪えて奥へ進む。ドアや障子はあちこちで破られ辺りに散らばっているが、ゴミが多過ぎて見晴らしが悪い。かつ踏み込んで分かったが、増築を重ねたのか相当入り組んでいる。歪に並ぶ部屋の間を腸のように廊下がうねり、自分が今どこにいるのか分からなくなりそうだ。歩くたびにゴミやガラクタを触れて騒々しい物音が上がり、ここには俺とシーしかいないと静けさを強調して来る。


 シーが無事に付いて来てるか確かめようと、振り返りながら尋ねた。


「どっか見に行きたい部屋とかあんのか? さっきの、この旅館の持ち主の幽霊が出るって部屋とか」


「それは具体的にどの部屋で出るかは書かれてなかったから、女の幽霊が出るって言われてる浴場を先に見る方が早いと思う。うぐいす旅館についての記事は色々読んだけれど、持ち主が自殺した場所が明記されたものはなかったし、多分井ノ元達もまずは浴場を目指した筈」


「そうかい。全く、これであいつらビビッて中には入ってませんでしたってオチだったらぶん殴ってやる」


 元はと言えばあの馬鹿共め。あいつらが肝試しだの部室への侵入だのをしなければ、シーもこんな所に来なくて済んだってのに。


 腹が立って、足元のガラクタを蹴り飛ばす。


「いのちのみず。もったいない」


「何だって?」


 物音に紛れてシーが何か言ったので振り返った。真後ろにいるシーは視線に気付いて見上げて来る。


「何?」


「今何か言ったろ?」


「浴場に行きたいって?」


「いや、その後」


「後?」


「うえあったのよね」


 シーが怪訝そうに言った直後に、俺でもない声がそう言った。


 背骨が凍り付いて立ち止まる。シーも釘で打たれたように固まった。


 誰かがいる。


 正体を探ろうと、声の特徴を思い出そうとするが上手くいかない。今聞いたばかりなのに、声の記憶に霧でもかかったように年齢も性別も掴めない。

 

 凍った背骨から伝わる冷気が、じわじわ肉を伝って体温を下げる。


 咄嗟に辺りを照らした。円形の光に切り取られた闇の中から、ガラクタに埋め尽くされた細い廊下が現れる。今俺達は、両脇を客室に挟まれた細い廊下にいて、かつてそれらを仕切っていただろう、倒れて壊れている襖を踏みながら進んでいた。客室も不法投棄らしきゴミと、旅館のものだっただろう布団だの机だのが散乱している。


 座椅子の上の、昔のサスペンスドラマでしか見た事が無いごついガラス製の灰皿に溜まっている煙草と吸い殻が、強烈に気になって来た。


「誰だ」


 四方へ懐中電灯を向ける。


 緊張からだろうか。息苦しくなって来た。まだ虫の声は止まったままで、浅くなった自分の呼吸が嫌に耳に残る。


「誰かいるのか?」


 張った声が、尾も引かず闇に吸い込まれる。


 緊張は治まらない。芽吹いた不安は現在進行形でぶくぶく肥え太っている。ぞっとして身体の芯は冷えているのに、体表付近は緊張の所為か嫌な熱を帯びていて、搾り取った身体の水分をじっとりした汗に変えられる。


「聞こえたよな」


 辺りへ目を凝らしたままシーへ尋ねた。


「うん」


 俺同様、緊張で固くなっている声でシーは応える。シーは誰かに聞き取られるのを避けるように、抑えた声で言った。


「ホームレスが住み着いてるなら、玄関の戸に絡まってた蔦がユウが触る以前から払われてないとおかしい。移動しながら壁や窓を確認してたけれど、他に侵入出来そうな場所も見てない」


 俺も調子を合わせて声を落としながらシーを見る。


「そもそもこの旅館のある位置が地図と全然違ってるんだが」


「うん」


 汗が滲んでいるシーは目を伏せると、気を落ち着かせるように深呼吸してから瞼を開けた。表情から緊張がほぼ消え、いつもの貼り付け慣れた無表情になる。


 度を越した精神力に言葉を失う。


 何がこいつをそうも強固に支えているんだ。状況としてはどんどん悪くなっているのに、何を根拠に理性を取り戻してる。単に呆れるぐらいのその強情さで、無理矢理恐怖を抑え込んだのか? それとも。


「……何か分かったのか?」


 何か考えるように俯き加減で黙っていたシーは、俺を見上げる。もう完全に、教室で話す時と変わらないいつもの無表情だった。


 冷気が指先まで到達する。この異様な現状にでなく、何ら心が動いていないシーに理解が出来なくて。

 

 また誰かの声がする。


「しずかですね」


 それを黙らせるようにシーは切り出した。


「何で私とユウは無事なんだろうね」



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