第40話


 俺の言葉を待っているシーと目が合う。じっと俺を捉える双眸から、じわじわ不安が露わになっていく。自分の強情さに付き合ったばっかりに、平常心を失いつつある俺に罪悪感を覚えている。それと同時進行で自罰している。もっと上手く言いくるめて、一人で来る方法は無かったかと。


 強靭なんだか打たれ弱いんだか、矛盾そのものな精神だ。決して曲げたくはないのに、その所為で誰かが悲しむのも絶対に嫌がる。だから毎日無表情を貼り付けては我慢して、こうして破滅も恐れず危険へ踏み込む。


 きっと今日という日が来なくてもこいつとは、いつか必ず破綻して、ろくな目に遭わない人生を送るんだろう。あくまでお前を苦しめているのはお前自身の価値観に過ぎないと、頭がいい割に理解する気が無いようだから。そういうちぐはぐな所が、出会った頃からどうにも疎ましく好きだった。


 ……まるで走馬灯じゃないか。そんな場合じゃないのに、遠い過去に浸るだなんて。


 つまり俺とは、こいつとお別れするのは勘弁という訳だ。最後の日なんて考えたくないし、今もこうしてそいつが来る時を、一分でも一秒でも遠ざけようとこんな山奥まで付き合ってる。


「お前が無事に帰るまで正気でいるさ」


 皮肉っぽく歯を見せて、シーの頭を乱暴に撫でた。


 不意を突かれたシーは驚いて目を伏せると、俺が手を離した途端嫌そうに手櫛で髪を直す。


 それでまたおかしくなって笑みが漏れて、こういう下らない遣り取りをやってるだけで過ぎ去って来た日々を取り戻すべく、木々の奥の建物を指した。


「見てみようぜ。うぐいす旅館に関係があるかもしれねえ」


 そうだ。アプリだって完璧じゃない。山奥の情報なんて利用者も乏しいし、きっと更新の優先順位が低くて情報が古いままなんだ。


 歩き出すとシーが動揺したのも頷けるぐらい、その建物は川のすぐ側にあったと分かる。だが高い脚に支えられている通り傾斜がキツい。枝や木の幹を頼りによじ登ると、建物周辺の多少ならされた地面へ辿り着いた。荒くなった呼吸を整えながら辺りを見渡すと、伸び放題だった雑草も大人しくなっていて、木々も疎らになり開けている。


 その中心で、川へ壁面を向けている、庶民的な作りの木造の建物があった。誰かの家にしては随分と大きい。三世帯で暮らしてもまだまだ部屋が余るだろう。老朽化で建物全体的が川方向へやや傾いていて、金属は赤茶けて錆びていた。建物の半分近くが高い脚に支えられ、宙に浮いているような格好になっており頼り無い。浮いている部分は丁度ちょうど、川の真上辺りまで伸びていた。脚から蔦が纏わり付いていて、建物全体を目の粗い網のように覆っている。


 ……遠目で見た時からそんな格好をしていただろうか? よじ登るのに必死で、まじまじとは観察していない。そもそもこの建物の存在自体が奇妙だ。でもこの通り、実在している。だが何の建物だ? 昔の農家が住んでたとか? 


 建物の周りで、小学生ぐらいの子供らしき影が複数突っ立っていた。咄嗟に懐中電灯を向ける。円形の光に切り抜かれた闇から、苔むした石灯籠が現れた。


 ……正体はこいつだったのか? 恐る恐る他の影にも向けてみると、全て同じ石灯籠でほっとする。遅れて、息が止まっていた自分への怒りも湧いて来た。ビビり過ぎだ。こんな調子で無事にシーを帰せるだろうか。つーか、何でこんなに石灯籠が。


 建物全体の形を把握しようと、イライラと懐中電灯を向ける。あちこちを円形に切り抜かれていくその姿に、どこか見覚えを感じた。


 隣でシーが言う。


「ここうぐいす旅館だ」


「何だって?」


 振り向くとシーは、取り出したスマホに目を落としていた。


「電波届いたのか?」


「いや、画像検索した時にスクショ撮ってた」


 言いながらスマホを向けて来る。確かに相変わらず電波状況は壊滅しっ放しで、ピンチアウトしたうぐいす旅館の画像が表示されていた。そしてその画像は、俺も事前に検索した際現れた、うぐいす旅館の画像と同じだった。つまり地図アプリが示す位置とは全く異なる場所で、うぐいす旅館は存在している事になる。



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