捜索

「なぞ?」

 朝議を終えて余計なうちぎを脱ぎ捨てていた統木すばるきの花嫁は、今し方に年嵩の女房達から聞いた話が信じられなくて目を大きく見開く。

 袿を何枚も重ねた二人の女房は憂い顔を扇で隠している。

「ちょっと、お姉様方!? 花嫁様には黙っていてほしいって鈴声すずこえにお願いされてましたよね!?」

 同僚の秘密を主にしれっと暴露した上司達に今言いまことは腕を振り回して今更に真実を覆い隠そうとするが、花嫁はしっかりとその耳で聞いていた。

「そりゃ、可愛い教え子のお願いは叶えてあげたいけれど、中宮様に内緒にしているだなんて、ねぇ?」

「貴きお方に隠し事だなんて畏れ多いもの、心が擦り減ってしまうもの、一日噤むのが限界よね」

「それに一日経っても良くならないだなんて、心配を口に出さずにはいられないわ」

「ずっと熱が引かないのでしょう? お腹も下していて、汗が滝のように流れているとも聞いたわね」

「本人はいつもの不調だから臥せっていればそのうちよくなるというのだけど、体に触れると焼けるように火食ほばんでいるなんて」

「苦しいでしょうね、辛いでしょうね、なんて傷ましい」

 二人は扇を触れ合わせて作った目隠しの陰で顔を寄せ合ってひそひそ話のふりをして語るが、惜しげもない声の大きさで部屋中に丸聞こえだ。

「一から十まで話してくれちゃって、もう! その扇は飾りですか!?」

 姿も声も潜めて迂闊に誰かに見せないのが貴族に生まれた女の嗜みだと形ばかりは振る舞っているのに、むしろ聞えよがしに言ってくれる二人に向けて、今言は考えるよりも先に叫んでしまう。

 そして三人のやり取りを見ていた花嫁はすっかり目が据わっていた。

退きや」

 花嫁は脱いだ衣を踏み付け、衣を取ろうとした侍女の動きを制止して真っ直ぐに歩く道を作り、自ら襖を開け放って廊下へと出て行ってしまった。

「ああ! お待ちを! ウチも! ウチもせめてお供させてくださいー!」

 花嫁の後を慌てて追い駆ける今言もしたり顔で見送って、お姉様方は花嫁に踏まれた衣の両端を向かい合わせに摘まんで皺を伸ばし、侍女に託す。

 花嫁が向かう先は勿論、女房の控える部屋だ。

 花嫁が両手で襖を力任せに開けると、襖は勢い付いて枠まで跳んでパンッ、と鋭い音を立てる。

 部屋の中にいた雲手弱くものたおやは、その音に驚いて丸くした瞳に花嫁の姿を大きく映す。

 花嫁はぐるりと部屋の中を見回すが、雲手弱と同室である女房の布団が見当たらない。

「佳鈴声はいづら?」

「え、あの、その……」

 佳鈴声の居場所を訊ねる花嫁の声は嵐前の雲よりも尚暗く重たくて、雲手弱はしどろもどろに舌を張り付かせて満足な返答が出来ずにいる。

 そこに今言がやっと追い付いて花嫁に縋り付いて部屋から引き離そうとする。怒れる神の気に年下の女房が当てられないようにと必死だった。

「鈴声はたがえで別の部屋に移っててここにはいませんよぉ」

 不遜にも神にしがみ付いている今言は泣きそうな声だった。

 花嫁はそんな今言を肩越しに見下ろして告げる。

案内あないせよ」

「え、あの、ですから物忌ものいみでして」

案内あないせよ」

 花嫁の頑なな声に今言の顔が青褪める。

 仕える主に言われた事は成し遂げなければならないが、さりとて神を穢れに近付ける訳にもいかない。

 どちらを選んでも忠義か信仰か、心のもといとなるものに背かなければならない事態に今言は今にも気絶しそうだった。

 そんなふうに女房を追い詰めた自分に花嫁ははたと冷静になり、自戒で重苦しく嘆息する。

たしなめて、済まぬ」

 花嫁は今言を苦しめた事を謝罪して体から漏れ出していた威圧を鎮めた。

 花嫁が身を引いてくれたと思って今言は顔を明るくするが。

海勇魚船神わたないさなふねのかみや、吾が声を聴け」

 全く別の手段で佳鈴声の居場所を見付ける事にしただけだと理解して再び血の気が引いた。

 主神の呼び掛けに人々の住まう船そのものである神霊が低く唸って応える。

 海勇魚船は自らの躰の中で誰が何処にいるのかを知覚している。そしてこの女神は生物でもある神蛇とは違って主神に従順であると皆に知られている。

が内に住む人の子、我が娘、佳鈴声がいづらにあるか、疾く疾く申せ」

 久方ぶりに起きた戦神は命令を受諾して自らの躰に識覚を巡らせた。

 刹那にて主神の求める答えを見つけ出した海勇魚船神は一鳴き響かせて走査結果を花嫁に伝える。

「佳きかな、好きかな。海勇魚船神はまことまことにするまさしき者と永く伝えむ」

 花嫁に褒められて自分の役目を寸分違えずに果たしたと理解した海勇魚船神は、祝詞に神魂を満たしつつ、また眠りに就く。

 目的地を知った花嫁は開け放ったままになっていた襖を静かに閉めてから、踵を返す。

「あ、待って! お供しますってば!」

「ちょっと待ってください、私もお供します!」

 ずんずんと自らの居船の中を歩んでいく花嫁の背中に、今言と雲手弱が揃って追い縋る。この調子で佳鈴声が寝込んでいる場所に花嫁だけで乗り込んでしまったらと考えると、二人共恐ろしくて仕方がなかった。

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