打開

 翌日の朝議で早速、農民からの訴えを航君わたぎみは集まった一同に告げた。

 その場の面々は皆して難しそうに顔を顰め、農民の代表である吉次郎の側に位置している者は彼に真偽を伺っている。

 吉次郎からそういう声は多いと返されると、誰もがむぅと口を噤んだ。

統木すばるきが根を広げて採集が行えない間、農民の仕事は何かなかろうか」

 航君の問い掛けに船民の取り纏めであるおきの弥彦やひこは頭を掻き、漁民の代表である波暮はぐれ和助かずすけは頬を掻き、どちらも渋い顔をする。

 海勇魚船わたないさなふねで人手が必要な仕事と言えば操船か漁であるが、どちらも素人にさせるには荷が勝つ。数ヶ月ばかりの間働いてもらうのに仕事を教える人員を割くのはどうにも割に合わなく思えるのだ。

「こんな事を訊くのははばかられますが、やはり根を増やしながら実らせるのは無理なんでしょうか?」

 一人が花嫁に向かって恐る恐るそんな質問を投げ掛けた。

 統木の花嫁は何枚も重ねられた袖の中程を内側で掴み床を擦ってそちらに体を向ける。

「ちと難しゅう」

 現在、南東に向かっている海勇魚船は確かに日射しも強く暖かくなってきているが、それだけでは成長と結実を同時にこなせない。

「皆が日毎ひごとに歌を供うらば、如何いかにも」

 和歌は神の威光勢力を養う。人々がそれを捧げれば航津海わたつみの統木大神すばるきおおみかみも神威をより一層発揮出来る。

「それは全員?」

 花君はなきみが人数を訊ねると、花嫁はちらと天井を見て考えを巡らせる。

なかばだに」

「五百人……いや、必要なのは歌だから実質は五百首か」

 花嫁の告げた概算に航君は頭を振った。

「現実的ではありませんね」

 海皇の口から出てこなかった重たい感想を、すぐ横に座っている陰陽師の保志門ほしかど招揺しょうようがあっさりと言ってしまった。

 海勇魚船で最も歌を得意とする佳鈴声よしすずこえは一日に七首を詠んだ事もあるが、普段は三日に一度捧げられるくらいだ。

 まして千人の民の内、九百近くは船民、漁民、農民という日の出から日の入りまで働き続けている人々だ。日々の生活に加えて毎日歌を詠むのは大きな負担になる。

ひしおはどうだ?」

 議論が早速行き詰って沈黙が降りた時に、和助が声を漏らした。

 部屋に納まって肩を寄せ合う面々がばっと空気を擦る音を立てて和助に顔を向ける。

「醤とは?」

 航君が一拍置いてから和助に問い掛ける。

「いやさ、前に農の奴らと喋ってる時によ、底部屋は肌寒いくらいで冬じゃなくたって酒が仕込めそうだって言っててよ。酒は米がないから無理にしても、醤ならこっちで取る雑魚で作れるだろ」

 なるほど、と航君は唸る。

 海勇魚船には海辺に住んでいた人を中心に乗せたので、魚醤の醸造は多くの民が弁えている。調味料は腹に溜まるものではないが、食事の味を良くする。それに一人一膳分で使う量は少なくても千人の毎日の食事と考えれば大量生産をして無駄になるものではない筈だ。

「それは、行けそうですね」

 吉次郎が顎髭を擦る。海勇魚船に乗り込む民には、人数が限られるから様々な技術を併せ持った多才な者が選別された。

 中でも杜氏とうじ蔵人くらうどは元から農作の出来ない冬の出稼ぎとして知られていたので、海勇魚船に乗り込んだ農民にも数が多い。これが初仕事になる者もいるだろうが、農民の間で仕事を教えられるので余所の人員を割く必要もない。

「船室を改めましょう」

「元から酒蔵として設えられた部屋もあったな。今は道具を仕舞っているだけだが、そこも確認しよう」

「部屋割りも考えねばなりませんな」

 固まって座っていた文官達が船の間取りを思い浮かべて、まずは実現可能か調査を始める算段を付けていく。

 だがその声は弾みがあって、けして無理難題ではないのが周りにも伝わる。

 そこから話し合いは打って変わって明るくとんとん拍子で進んで行く。これから三日の内に必要な調査を行い、計画を粗々決めて、四日後の朝議でまた議論をすると決議が取られる。

 光が一筋でも見付かれば、海勇魚船の人々は勇ましく行動していく。そんな民の頼もしさを見守る花嫁は唇の端をこっそりと持ち上げてしきりに頷くのだった。

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